あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない 感想。 「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」感想・考察まとめ【花の名前とは?】|かっぱの平泳ぎ

あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。 2話

あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない 感想

2020年5月23日に放送されたック天国。 なので 全国各地で見れるわけではないが、 その時に紹介されていた。 熱心なファンの方々 お祭りの様子などが紹介されていたので 今更ながら見てみよう、そんなきっかけ。 昔のアニメなので他所で 似たような表現があれば申し訳ない。 結果、 要所要所で泣いたし 花火や最終回では涙もこぼれた。 面白いか面白くないかと聞かれたら オタクっぽいおっさんの主観として面白い。 ただ、 人によっては(おっさんの)泣くポイントに 共感は特に欲しくないと思うので 人に勧めるかと言われると微妙。 そんなことを考えつつ 視聴が終わってから某所の感想を見ると 意外と善し悪しが割れていた。 予備知識として 超泣ける 名前が変 は死んでいる こんな感じ。 少し構えて見ようと思い、 視点で視聴開始。 感想は先に述べた通り。 物語の世界観は大切に。 世代によって重なる思いも違うし 重ならない感動だってある。 私的に、 疲れたおっさんが見て感動をする こちらをお勧めしたい。 矛盾があるからがっかりした そんな感想も多かった。 が、 意義を求めるには理由が必要と言うが、 それらを自分で補完するからこそ 面白いと思えることもあるのではないか? 誰かの小屋を拝借しているにしても 数年間誰も来ないのもおかしい まずそこから疑問に思ったが 子どもの頃の秘密基地。 それでいいはず。 ・・・ 全く見当はずれな最期ではなかった。 涙を流す意義が必要かもしれないが そこに理由は必要だろうか? 悲しいから 切ないから それが誰かの気持ちを汲んだものなら尚更だ。 誰かの気持ちになって泣けるのであれば それは素晴らしいことだと思うし、 そうでなくとも何ら不思議ではない。 ホラー映画を見て怖がる度合いが違うように 泣けるポイントも違うはず。 作品としてまとまっていた。 どんな作品も様々な感想があるのは仕方ない。 2度目は視点を変えてみようと思う。 そんな作品だったことは確か。 うん、面白かった。 と、終わると何の変哲もない。 制作に対してひとつあるとすれば せめてもう1話欲しかった。 最後のかくれんぼをしつつ ひとりずつの回想を入れ みんなの心を繋げていく。 あの時のかくれんぼもこの木でー そんなイメージだろうか。 誰もが思っているだろうこと、 映像はそれぞれ補完してくれ、 そう言わんばかりの視聴側とのズレ。 そう「まだ見たかった」のだ。 そんな個人的なワガママもあるが リミッターを外せば 妄想を爆発できる自分としては 特に問題なかった。 表現したくない 表現して欲しくない 説明したくない 説明して欲しくない 1対0。 9回裏2アウト満塁。 バッターは4番。 ピッチャーが最後の一球を投げる。 場面転換して歓声で終わるー。 どっちが勝ったのか? そんな終わり方でもいいはず。 あぁ、2へ続くのだろう。 主人公の方が勝ったのだろう。 など 主人公の生死を明かさない最終回も然り。 そんなこともあるだろう。 ずっと引っかかっていたタイトル、 言ってしまえば、 あの花= 最後、じんたんのナレーション。 視点で見た自分は素直にそう感じた。 まだ知らない、 けど いま知った、 伏線とか何とかではなく 素直に進む物語を楽しめる。 そう言う点で面白かった。 その位置づけは自分でも変えようがなかった。 変えることで(ゆきあつの気持ちが) 変わるのが怖かったのではないか? いちばんの理解者~、を演じていた。 おいてけぼりのぽっぽ 首から下げているものが気になったが (劇場版で解き明かされる) 溺れる?は誰も見ておらず 水面から左手を出したと思われ ぽっぽは右手を差し伸べようとして逃げた? 最後のかくれんぼ そんな感じの回想があれば、 もっと分かりやすくなったかもしれない。 隠れているというか見えなかっただけ。 それが見えるようになった理由 どうしてそこの木でなければダメだったのか? カブトムシを採った木? 数年で場所が開けた? まぁ、朝陽を見るにはちょうどいいから、 みたいな補完の仕方だがモヤモヤするのは確か。 終わってからこその疑問と思うが 視聴中は特に考えていなかった。 の声はダイナマイト7の エルマに声が似てるなーとか そう言えば、 さんとさんは 声が似てるよなーとか OPを遠目で見るとが 鼻血出してるように見えるなーとか。 思わなかったからこそ 終わったときの反動が大きかったようだ。 自分の補完したことを 見つめ直しながら もう1回見るのも良いかもしれない。 そして劇場版を見てしまう。 最終回の疑問が(ある程度) 明確になって気持ち的には少し楽になった感じ。 そう、妄想超大爆発だ。 枠としては最終回の1話分。 それを総集編で振り返り 流れ的には悪くなかった。 ファンはファンとして素直に楽しめる。 高校生があんなに幼いわけないじゃん 感情移入できませんでした。 みたいな考えの人は 好みの問題でしかないので そうですね、でしょう。 明かされることのなかった あの花 これは精神的比喩と考えて やはりのことかな、 そう思っていたが、 劇場版を見てからもうひとつ、 アリかな そう感じたことがあった。 劇場版を見てからの考察。 時系列は定かでないのでお許しを。 が出てきたのは恐らく7回忌? 今までお墓参り行かなかったのか、 みたいなつっこみもあるし お墓参り行ってからついて来たとかの方が 自然だったのかもしれない。 その辺は親同士が相当揉めたのだろう それでいいような気もする。 ついて来ないにしても お墓参りのシーンは欲しかった。 背景として、 それぞれが過去を引きずり カタチだけ前に進んでいる現在。 もちろんそれが現実という保証はない。 死んで以降からずっと じんたんの傍にいたかもしれないが 本人が気づかなければ分かるはずがない。 本人が心残りに思っていること 成仏しているかどうかも分からない。 そう、 ずっとひとりで歩き続けていたかもしれない 冷めていく家庭を見て ひとりで誰かを救おうと それぞれの家を周り何かしらをしていたかもしれない。 何もできなかった。 ひとりでは何もできなかった。 時間が止まったままの。 あの時救ってくれたからー じんたんに助けを求め現れた。 そういった解釈もある。 (商的な話や制作側の意図は置いといて) 多分地上波で ここまで作りたかった話のはず。 当たり前だが。 そう考えると、 あの日を示すのはどこか? 初めて会った日? 何か思い出の遊びがあった日? 死んだ日・・・ そして僕等。 はいないので男子。 これは正直誰でも良い気がするが、じんたんだろう。 最終回になるはずだった劇場版 まだ知らない(けどこの後知る) もう分りましたね? 起点はを見送ってからの1年後。 また昔みたいに集まった仲間。 普通の、何気ない生活を取り戻そうとしている。 天に帰る煙を見上げながら みんなが去年のことを回想しているのが本編。 のためにー つるこが持ってきたマグ。 深い考えはなかったのかもしれない。 じんたんが言う 「あの花(の模様)何?」 何気ない普通の会話の一コマ。 「〇〇だよ。 好きそうと思って」 そこから弾む会話。 普通の日常になるはずだった会話。 まるでがそこにいるかのように。 (ご都合主義と言われるとそれまでだが) 誰かの、仲間のためー そんな自分を犠牲にした考え方、 もちろん仲間の絆も大切だが 自分のためと思うことが 人の(仲間)ためになること。 裏を返せば人間関係の難しさもあるが、 その時から昔のような日常、 友だち関係を修復したいという願望が タイトルに込められているのではないか、そう感じた。 大切な誰かと共に生きる日常 それは隣にいようと心の中にいようと同じこと どうしてが現れたのか ということよりも どうして僕たちは生きなければならないのか そういったメッセージのように感じた。 でも、最後は手紙を回して 誰かが誰かのを読んで欲しかった・・・。 複雑な人間関係に色恋沙汰を混ぜるな そんな人もいるのだろう。 これは誰の視点から見ても感じたが やはりこの劇場版を見なくては 新たな起点が見えないため 時が止まっているように感じることだろう。 時間が止まったままの。 思い出したくないとする家族やかつての仲間。 思い出して欲しいのではなく、 同じように成長している自分を 仲間として一緒に歩みたいという のワガママなのかもしれない。 tanonobu.

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あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない 感想

あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。 あらすじ 昔は仲良しだった幼馴染男女6人。 高校生になった彼らの距離はいつの間にか離れてしまっていた。 ヒキコモリぎみの主人公"じんたん"(宿海仁太)。 ギャル友達に流され気味の"あなる"(安城鳴子)。 進学校に通う"ユキアツ"(松雪集)、"つるこ"(鶴見知利子)。 高校に進学せず旅を重ねる"ぽっぽ"(久川鉄道)。 仲良しだった小学生の頃から、それぞれが変わっていく中で変わらない少女"めんま"(本間芽衣子)。 ある日、"お願いを叶えて欲しい"とじんたんにお願いをするめんま。 困りながらも"めんまのお願い"を探るじんたん。 そして、めんまのお願い事がきっかけとなり、それぞれのテリトリーでそれぞれの生活を送っていた幼馴染達が再び集まり始る。 めんまのお願いとは一体何なのか。 願いが叶った先に幼馴染を待ち受けるものとは…。

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劇場版 あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。のレビュー・感想・評価

あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない 感想

上巻あらすじ 小学生の頃、仲良しだった幼なじみ男女6人組。 めんまの願いを叶えるため、再び集まるかつての幼馴染み「超平和バスターズ」。 果たして、 めんまの願いは叶うのか? めんまの本当の願いとは? こんばんは。 時文です。 TVアニメ『 あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。 』 以降『あの花』 鑑賞後、ノベライズ版小説を読みました。 小説は、 TVアニメの脚本を手がけた岡田麿里さんが執筆。 『ダ・ヴィンチ』2011年3~7月号で連載され、大幅に修正・加筆したものを小説上下2巻で刊行。 本レビューでは下巻を取り上げます。 下巻はTVアニメで言うと、6~11話 最終話 に相当。 #ストーリー、構成が若干違うので、完全一致ではありません。 Contents• はじめに 小説『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。 』は、TVアニメの原作ではなく、アニメ版を小説化したノベライズです。 下巻に入ると、アニメとはもう少し違う展開になっていきます。 正確に表現すると、登場人物像と過去設定はほぼ同じで、起きる出来事の順番やタイミングが少しだけ違う。 出来事への入り方が違い、登場人物に起きたことと知っている情報が違うと、対応や反応も変わってくる。 アニメを見た後に読むと、まるで、同じ時間帯、同じ設定、同じ人物のパラレルワールドを見ているよう。 でも、 読んでて「違和感」はありません。 そこにあるのは『あの花』の世界なのです。 タイミングが変わっても、超平和バスターズの面々が選ぶ選択肢は同じ。 違う角度から見ることができ、より深く『あの花』を理解する。 なかなか面白い位置付けの小説。 私に取っては、 アニメと小説を合わせて「完全版『あの花』」であると感じました。 では、小説『 あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。 下 』感想レビューをどうぞ。 感想レビュー 以降、 ネタバレありです ここからは、小説版だけでなく アニメ版の ネタバレもあります。 アニメ未視聴の方はご注意下さい。 アニメと小説 下巻 の明らかな違い• 唯一違ったのは、めんまの母親から譲ってもらった「日記」。 アニメでは日記でしたが、小説では交換日記です。 この交換日記にまつわる話がとても良いので、ぜひ小説版『あの花』をお読み下さい。 めんまと一緒にやっていた交換日記に「願い事」のヒントがあるのではないかと考えるのは、アニメの日記と同じ。 めんまの母親は 交換日記なので、皆の所有物でもあり、譲ってくれたのです。 #この点は小説の方が説得力ありますね。 小学生時代 交換日記は、あなるが始めようと言い始めました。 そこには、あなるのじんたんに対する「思いを伝える作戦」があったのです。 ページをめくると、あなるの文字が。 そこで慌てて、ページをめくるあなる。 そこには一体、何が書かれていたのか? あなるの変わらない可愛らしい一面が楽しめますよ。 めんまを含めた超平和バスターズの6人は再び交換日記を始める。 めんまに対する思いだけでなく、それぞれ思い思いに。 高校生+子供のままのめんまとの交換日記。 書く内容、書き方にそれぞれの性格が表れとても上手く交換日記というツールを使ってます。 めんまとのコミュニケーションツールとして、欠かせないモノとなっていく。 めんまは、じんたん以外とは交換日記を使って普段のコミュニケーションをします。 交換日記の残りのページ数を気にして、日常会話は小さい文字で最小限の言葉で書く場面も。 躊躇しているめんま のペン を見て、つるこは最後の数ページに「めんまのおしゃべりコーナー」を作る。 「えっ・・・?」 「めんまが喋りたいことは、これからこのスペースに書くといいわ・・・それにね。 みんなの交換日記だからって、遠慮することはないのよ」 「!」 知利子は芽衣子の姿が見えていないのに、芽衣子の心はすべて見えているかのように口にした。 by 小説『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。 』 下巻 交換日記一つ取っても端々に皆の優しさが溢れているのが心地よい。 アニメ鑑賞時、気になってました。 めんまが、日記にかなり大きな字で文字を書いていたので。 分かりますよ! アニメだから画面でその字を見せないといけないので、大きい文字で書くのは。 成仏させようとしていたのだから、長くはいられないことを予想していたのも。 それでも、めんまが文字を書けるのは、その日記しかないのです。 とても貴重で大切な日記・・・ そんなにサクサク、心情的に書けないだろうと・・・ 小説を読み、岡田麿里さんは、こういう展開も描きたかったことを知り、納得しました。 そのバイトをするのに、高校から許可証をもらいに行くのに奮闘する姿が読めます。 めんまの願いを叶えるために、これまで避けてきたことに立ち向かいます。 ゲームショップではバイトしないので、 アニメであった、あなるのあの名シーンは!? と思っていたら、違う環境でありました。 なんとそこでは、あなるはじんたんを突き飛ばします。 倒れたじんたんをそのままにして、あなるは思いを伝える場面に・・・ これはこれとして、「画として」アニメで見たかった 笑。 じんたんが工事現場でしかバイトしない分、あなるがバイト先へ足を運び、じんたんとの接点を持とうとします。 その姿を、めんまが目撃し、あなるのじんたんに対する想いを知ります。 工事現場という、オープンな場だからこそ自然にできた展開ですね。 超平和バスターズのメンバーが真に打ち解ける• 秘密基地で缶蹴り 小説のみ• 秘密基地でかくれんぼ• 「見つかっちゃっ・・・た」• ロケット花火打ち上げ 小説では、花火を打ち上げるより先にかくれんぼがあり、それより前に超平和バスターズのメンバーが打ち解け合ってます。 打ち上げ花火を上げることが、めんまの願いだと信じていたメンバーは、花火を上げる日がめんまと一緒にいられるリミット。 その時間を惜しむかのように、時間があれば、メンバーが集まって遊ぶ。 めんまの姿は見えないので、かくれんぼはできない。 そこで皆が考えたのは、 物を動かすことができる「缶蹴り」。 めんまが鬼役ですね。 見つかったら、めんまが缶を踏み、そのちょっとした音を聞き取り、誰が見つかったかを、じんたんを通じて伝える。 誰が見つかったを確認する時間だけは、見られても良いルール。 など、めんまに合わせた、とても優しい遊び方。 ゆきあつは、めんまに見つかると、ゲームで負けているのに、なんだかうれしそう・・・ この辺りのエピソードがとても温かく、そして切ないのです。 小説は、この 缶蹴りがあったからこそ「かくれんぼ」が利いていた気がします。 アニメとは違い、わだかまりのない花火の打ち上げ。 花火が打ち上がる際、メンバーはそれぞれめんまに対する想いを叫ぶ。 いや~~泣かされた! めんまが泣かしたのは、じんたんだけじゃないぞ! とバカなツッコミをしてました 笑。 【考察】めんまの願いは・・・ めんまの願いは、結局なんだったのか? アニメでも小説でも、明らかにはされていません。 が、アニメと小説のめんまが成仏したタイミングを考えると、一つの仮説が導かれます。 超平和バスターズのメンバーが真に打ち解ける• 秘密基地で缶蹴り 小説のみ• 秘密基地でかくれんぼ• 「見つかっちゃっ・・・た」• ロケット花火打ち上げ こうして並べると、めんまの願いが「ロケット花火」ではないのは明らか。 #並べなくても皆さん分かってますよね 苦笑 どちらも共通しているのは、超平和バスターズのメンバーが打ち解けた なかよしになった 後。 よって、 めんまの本当の願いは「超平和バスターズはずっとなかよし」なのかな、と私は考えてます。 気になるのは、アニメでは、神社で自分達の気持ちをぶつけ合うシーンと同時に、めんまが消えかかったんですよね。 ちと、早い気がするのが気掛かり。 ですが、こうしてアニメと小説。 特に小説で、めんまの性格と心情描写を読んでいると、めんまは自分の事より、周りの事を優先。 事故に遭った間際のことは覚えてないようですが、自分の存在がキッカケで、大好きだった超平和バスターズのメンバーがバラバラになるのを気に懸けていたのではないでしょうか。 じんたんの前に現れ、じんたんにしか見えなかったのは、彼なら、昔の超平和バスターズの関係を取り戻してくれると思っていたから。 勿論、じんたんのことを好きだったというのもあるでしょう。 めんまの性格です。 願いが、じんたんのことだけだとしても、そういう結論に辿り着かない。 自分よがりな考えは途中で排除してしまう性格。 自分でも気付いてない、根底にある強い感情が、じんたんにだける見えるという現象を起こしたのではないでしょうか。 じんたんを追いかけて、めんまはじんたんに何を伝えたかったのでしょうか? 「じんたんはそう思ってくれてなくても、めんまは、じんたんのこと好きだよ」 なんて、セリフが私の頭の中に浮かびました。 好きだよと、伝えることができなかったので、じんたんの前に現れたのではないか? ところが、伝えたかったことを忘れ、じんたんは昔のじんたんとは様変わり。 だから、昔の超平和バスターズを取り戻し、その過程で、自分の思いは、じんたんに伝わった。 じんたん目線で書かれてます。 小学生時代 「めんまの葬式」が抱える意味をあまり理解していなかった、じんたん。 ただ、その日に、めんまの葬式があるとだけは知っていた。 父親は、じんたんを葬式に連れて行く気はなかったが、 じんたんはごねてごねて連れて行ってもらう。 それも小学生時代に。 何もやる気がなく、手に付かなくなるはずです。 上巻同様、下巻でもアニメだけでは分からなかった心情描写やセリフが描かれ、登場人物の内面をより理解できました。 主だったところを登場人物別に紹介しましょう。 めんま:他人を優先 上巻のレビューでも書いたのですが。 アニメを見ていた時、違和感があったのは、めんまが家族に対して冷めていること。 めんまは優しい子だし、生前、家族と距離があったように思えない。 なのにどうして?と思ってました。 小説を読んで明らかになりました。 それは、両親と弟のいる家に帰ったとき。 あの居間で、コップを落とした。 ただそれだけで、小石を放り込んだ湖面にうまれる水紋のように、ぶわっと険悪な空気が広がっていった・・・。 自分は、この世界に『何も残しちゃいけない』のだ。 やっぱり自分は、この世界からの、ノケモノ。 by 小説『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。 』 下巻 めんまの優しさ故、ですね。 めんまの記憶があるだけで、めんまを思い出させるだけで、家族を険悪にさせてしまう。 そこに、幼少時代からの周りから仲間はずれにされていた「ノケモノ」のトラウマが重なり、自分は ここには 存在してはいけない。 だから、家族に自分の存在を悟らせたくなかったのです。 とても切ない場面でした。 ゆきあつ:テンパりMAX ゆきあつが、めんまの格好をし始めたキッカケが小説では語られます。 最初は、パッチンが始まりだった。 知利子と、地元に帰る電車を待つ間、駅ビルでうろついていた時のこと。 芽衣子にあげたはずの、そして受け取りを拒否されたはずのパッチンに、あまりにもよく似たヘアピンを見つけた。 なかば無意識に、集はそれを買ってしまっていた。 隣に知利子がいて、その視線を感じているというのに。 by 小説『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。 』 下巻 アニメでも小説でも、ゆきあつが、いつ頃から女装をしていたのかは触れられてません。 が、このモノローグから推測するに。 「地元へ帰る電車」と言っているので高校に入ってからか。 というと、ここ半年程度の話だったのですね。 確かに、サイズも、今のゆきあつにピッタリだったので、小学生時代からではないことは分かってましたが。 そして、ここでも語られます。 #上巻では、つるこ目線で語られます。 #詳しくは上巻レビューのをどうぞ。 あの時、めんまに渡そうとしたヘアピンではなく、「似たヘアピン」をここで手に入れたのです。 かつ、そのヘアピンが、めんまの格好をし始めたキッカケだったのです。 ゆきあつるこ:やはり皆、そう思ってた 笑 小説では「ゆきあつるこ」の会話も健在。 アニメではカットされてましたが、この会話最高でした! 「驚いてるのは、あの変態行為じゃないわよ。 なんであっさり、日常に戻ってこられるわけ?」 「じゃあ、どうしてれば満足だ?」 「 宿海仁太に続く、超平和バスターズ二人目のヒキコモリ」 「 俺の神経逆なでするの、天才だよな。 」 by 小説『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。 』 下巻 アニメでも、小説でも、あの変態行為の翌日には、何事もなかったかのように学校へ。 小説では、別の場面で、ぽっぽとじんたんも「立ち直れねえだろうな」とまで言ってます 笑。 にも関わらず、この図太さ! これが、ゆきあつの強さ。 小学生時代。 大好きな、まんまがあんな事になっても、じんたんとは違い、平常運転していた強さが見て取れます。 強がった分、めんまへの愛情が歪んでいったのでしょう。 そこへ、例の「ヘアピン」が目に入り、めんまの格好をすると言う行為に至ったのです。 つるこ:努力の子 つるこはマジメで、ゆきあつと同じ進学校へ入った。 決して、頭が良いだけではない、努力の後が伺えました。 アニメ7話でも、ゆきあつとの電話を切った、つるこは言ってます。 もうすぐ試験よ。 -中略- あんたに付いていくのは相当大変なんだから。 by TVアニメ『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。 』7話 小説では、三人称視点で、つるこのことを解説しています。 頭がよくソツがない。 そんなキャラクターは知利子が努力で身につけたものだ。 実際の知利子は不器用で、人よりも思考に倍以上時間がかかる。 けれどそのぶん『真実』により近く擦り寄ることができる。 by 小説『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。 』 下巻 この文章を読んで、私は、つるこを好きになった気がします。 アニメでは先のセリフより前、こんな場面がありました。 アニメ5話 電車に乗るためにホームまで走ってきた、ゆきあつるこ。 つるこだけ、肩で息をするほど必死に走ってきた様子。 ゆきあつは運動は苦手だったと思うけど、そこは流石に男子女子の差か。 などとアニメを見て思っていたのですが、ゆきあつに必死に着いていく様子を表現していたのかもしれないですね。 深掘りされた点 ぽっぽの贖罪 さて、ここまで読んでる方々なら良いですよね。 小説『あの花』のぽっぽに関する大きなネタバレです。 上巻からあった、誰の視点か分からないが一人称視点。 何のことを言っているのか・・・ 分からないが、なんとなく予想はつく、いや知りたくない・・・ 段々暗くなり、怖くて、でもどうしようもない、逃れられない、その何か。 きおくそのいち• きおくそのに• きおくそのさん 下巻• きおくのうろうろ• きおくのうろうろ、その思いつき• きおくのうろうろ、はたと気づいた• きおくのうろうろ、わすれえぬ by 小説『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。 』 一人称の主は、ぽっぽでした。 ぽっぽは、めんまが事故に遭った瞬間を見ていたのです。 そのことが頭から離れず、ずっとイメージとして残っている様子が描かれます。 とても、辛く、悲しく、怖く、忘れたくても忘れられない、記憶・・・ 小説はページを一気に飛ばして読むことができます。 読み終わった後、このページだけを読むと、ぽっぽの心情変化がよく分かります。 小説では、秘密基地でぽっぽが一人涙しているシーンがあります。 この「記憶」の話を理解して読むと、辛い思いが伝わってきます。 皆、めんまのことで、何かを抱えて生きてきたのです。 』 下巻 とは さて、下巻を読み進めていると、私の中で面白い現象が起きました。 アニメ『あの花』と小説『あの花』は、展開が違います。 過去の設定も少し違い、それによるストーリーが変わってくるのが面白い。 ストーリーが変われば、普通なら別作品と理解してしまうのですが、私には同じ作品にしか思えませんでした。 登場人物の性格や考え方が全く同じで、状況が違うので違う感情、セリフが綴られる。 違うセリフ、違う行動をしているのに、やはり同じ人物に見えるのです。 状況が変われば、彼なら、彼女なら、そう答えるよな、と言う納得感があるのです。 まるで、SF作品のように過去に戻って、少し設定を変えてやり直しているのを、神さま視点で見ている感覚。 作品の舞台、人物、世界観、そしてプロットがしっかりしていると、これだけ展開が変わっても、違和感がない作品ができるのだとまざまざと見せつけられた感じです。 恐るべし! 非常に面白い感覚でした。 ではでは。

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