バッドエンド の 映画 は 嫌い なん だ。 バッドエンドを求める人の心理を教えてください

ネタバレ御免!バッド・エンドな映画たち

バッドエンド の 映画 は 嫌い なん だ

「映画だから物語だから」観れる読めるのだと思います その物語の人物に投影するのではなく筋書きが面白いという理由で。 なので 映画「ダンサーインザダーク」「ミスティックリバー」は救いが無い話ですが結末までの流れから目を離せませんでした。 結末を知っているのでもう一度見るかどうか分かりませんが 観て後悔はしていません。 漫画「ブラックジャック」も話によっては救いが無い話ありますね。 宮部みゆきさんの「クロスファイア」なども救いは無い。 現実では考えられない非道な犯罪が描かれていると その犯罪描写というより被害者心理が辛すぎる時もありますが、私の場合そういう話には自分(家族)を投影させないので読めるのかもしれません。 映画・本でその他のジャンルに関しては投影させてしまい感動・感涙してしまいます。 内容によって最初から心をガードして読んでいるのかもしれません。 戦争映画は描写云々ではなく観ることができません。 他の方の意見とても気になります。 ユーザーID: 3742563882• 救いようのない話は読みたくない 私は えぐい死体や拷問シーンがバンバン出てくる映画が好きですが 現実には超平和主義者で これっぽっちも残酷なものは好きではありません。 映画で楽しめるのは フィクションだとわかってるから。 どうやって撮影してるのかな?とか想像しながら見てます。 それとは別に バッドエンドの映画もすきです。 現実には いい人が報われなかったり いいところで人生が終わったり・・そういうことのほうが多いと思います。 なので ストーリー的にはバッドエンドもののほうが考えさせられます。 あとラブコメ程度ならハッピーエンドでも楽しめるんですが(それこそスプラッタと同じくらいフィクションの世界だし) 戦争ものとか犯罪もので バンバンわき役が死んでるのに 主人公と家族だけ助かってハッピーエンドと言われても モヤモヤしてしまいます。 ユーザーID: 7752725580• 話題ランキング• 真実があるように思えるから 私はミステリが大好きなので、子供のころから救いのない話をたくさん読んでいます。 なぜ、そういう話が好きなのかなと考えてみたのですが。 まず、ミステリ好きではありますが結末が全てではないかな。 ハードボイルド、心理サスペンス、ノワールと呼ばれているものが好きなのもあります。 人が何を考えどう動くのか。 そういう人の様子を眺めるのが好きなのかな? ちなみに、私はバッドエンドのものを見聞きしてもあまり引き摺らないですね。 どよーんとなるよりは、「人というのは何と恐ろしいものなのか」みたいに割と冷静に考えるかもしれないです。 そういえば、小学生のときは土曜日の夜にウィークエンダーという番組を見るのが好きでした。 事件をパネラーが説明するのですが、それで私は男女の愛憎や 人間の業、といったものを自然と覚えたように思いますね。 そして、人間の愚かさ、愛しさなども覚えたかもしれません。 そういうのがずっと続いていて、今でも暗い小説や映画を好むのかもしれません。 ユーザーID: 4319881856• 予備知識なしで マイナー映画が好きです。 終わり方に拘らずに。 『ソフィアの夜明け』(ブルガリア)、『ディーヴァさすらいの女神たち』(フランス)は、終わりません。 ソフィアは、主役が撮影中に事故で亡くなったため、途中で終わります。 ディーヴァも、ひとときの平穏で切っただけで、「まだ乗り越えなきゃいけない壁はある」という感じがあります。 自分の人生は、死んだら終わりです。 映画も、感情移入した主人公の死が1番リアルなエンディングのような気がします。 それか、「彼の人生は、まだ続いているよ」って終わり方ですね。 よりその世界観に入り込めるのは、上記のような作品だと思います。 私は、「物語を楽しむ事」も好きだけど、「物語に入り込むこと」も好きです。 リアルに近い終わり方の映画は、後者の楽しみ方をさせてくれます。 救いようのない状態で終わるのも、同じだと思います。 「末永く幸せに暮らしましたとさ」は、人生には良い時も悪い時もあるって分かってしまった私に、 リアルを感じさせません。 幸せに向けて苦悩・努力するのは、いつもの事です。 ユーザーID: 1006499280• 以前に何かで読んだ そして、想像以上にダメージを受けてしまう……、のだと思います。 最初から、救われないらしいよ〜、と知らない場合もありますし。 何人の方々が挙げている『ダンサーインザダーク』は劇場で、待ち合わせまでの時間調整で見ました。 化粧はハゲ落ち、セーターの胸元はびしょびしょ。 終演後のトイレは嗚咽する女性で一杯でした。 3日は引きずりましたが、音楽はよかったよなあ〜と思いつつ、もう一度見る体力は無いと思います。 もう1つ。 『誰も知らない』は、独り暮らしをしていた時、正月休みの夜中にテレビをザッピングしていたら偶然見つけて最後まで見てしまいました。 孤独やら、周囲の無関心や無力感にぐったりし、年の初めから、暗い気持ちになったものです。 以上、私が選ぶ『後味が悪い映画』でした。 ユーザーID: 4267035108• ありますね… そんなこと思ってもみませんでした。 どんな小説をお読みになったのかわかりませんが、 「救いようのないくらいバッドエンドな」物語であったとの感想、 それは飽くまでトピ主さんの主観に過ぎない思うのですが… 同じ作品でも受け取る側の考え方によって、何を得るかは千差万別なはずです。 救いのないような物語の中に何を見出すか、読み手の想像力の問題でしょうね。 救いやハッピーエンドなどの分かりやすいオチを求めて小説を手に取る方も沢山いらっしゃるようですが、 「結局のところ、これは一体何なんだろう?」という余韻も、 作品を味わい深くする要素の一つであると愚考致します。 ユーザーID: 8852439887• すぐ思い浮かぶのは 安全な立場で見るからこそ あれこれ考えられるわけで 実際、目の前に銃を突きつけられてたら 「ああ、この人は病気の子供を持っていて その治療費を得られない為にせっぱつまって 空砲の銃で、ここに押し入ったんだなぁ」 なんて思いを巡らしたり ここに至る背景・過程を知る事なんてできませんし 「フランダースの犬」なんて 身寄りもなく貧乏な子供が 周囲の大人・社会に見殺しにされただけの話で 私には救いのない作品としか思えないけど 天国行きが「救い」なんですよね 観賞後は孤児一人引き取る責任が生じたら のんきに可哀想なんて言ってられないのは明白 うがった見方をすれば、ある意味 無意識にでも自己の安全確認してるのかも ユーザーID: 8224639692• 私も昔から好きです バッドエンド、好きです。 先日、予備知識無く見たホラー映画(怖いの大好き)の結末が結構な救われなさでした。 少し驚きはしましたが、このラストで良かったのだと思います。 私が思うにバッドエンドのほうが色々考えませんか? もし、あそこでこうしていたらどうだったんだろう?とか。 バドエンドが主人公的に失敗だとすると、成功してハッピーエンドにするには何が必要だったのか?って。 映画も小説も好きだけど、印象深くてずっと覚えているのはバッドエンドのものが多いです。 多分私が一番最初に見たバッドエンドの映画は小学生の時に劇場で見た「バンデッドQ」 ファンタジーものですが清々しいまで無意味に最悪なラストは私に衝撃を与えました。 成人してからモンティ・パイソンにはまりましたが、バンデットQの監督がメンバーであったことを知り、何だか運命めいたものを感じたり…。 モンティ・パイソンはギャグですが、救いがないっていうか「ええええ!!!それでいいの!?」って話ばかりです。 最近ではドラマ「贖罪」。 湊かなえの原作なので小説も読んでみたいです。 ユーザーID: 2269971513• 私の場合 バッドエンドという意味で言えば、日本の私小説の多くは救いがありません。 そもそもが、救いのない人生や社会を描くのが自然主義で、それが、特殊な形で展開してしまったのが日本の「私小説」なので、当然といえば当然なのですが。 映画で言えば、アメリカンニューシネマの代表作の多くは、バッドエンドです。 しかし、これらの作品には、人生や社会の真実が垣間見えるのです。 日本の「私小説」も同じです。 人はなぜ、救いのない小説や映画を見るのかといえば、そこに描かれている人生や社会の真実に触れたいからだと思います。 ユーザーID: 1091252994• たぶん 未知のものだから、じゃないでしょうか。 普段暮らしている自分の周りの世界では起こりえないようなことなので惹かれるのかなと思います。 人間はこれほどのことをしてしまうものなのか、どれほどのことをしてしまうのだろう、それが知りたいからだと思います。 私も子供の頃からそういう映画や小説を見たり読んだりしてきました。 海外ドラマが好きでよく見ていますが、サスペンスや犯罪物が特に好きなのでそういう物は多いです。 でも、私は救いようのない結末でも結末として完結していれば、大抵はその中に何がしかの救い(というか気持ちの落とし所とでも言うか)を見つけるので引きずることはあまりありません。 そして、未知のものという点でニュースを見るのも好きです。 私は50歳過ぎでこれだけ子供の頃からいろいろ見てきているのに、時々ニュースで「事実は小説より奇なり」を実感するような記事を目にします。 最近読んだものでは、湊かなえの「告白」ですね。 主人公の先生に対してちょっと複雑な気持ちになりました。 でも、恋愛物ではハッピーエンドの方が好きです。 ハッピーエンドでは話にならないものもありますけどね。 ユーザーID: 6110800630• 日陰のふたり 私もトピ主と同じようなことを思っていたので、このトピは興味深いです。 私がそう思ったきっかけは、TVで放映していた「日陰のふたり」という映画を何気なくみたのですが、全く救いようのない内容だったからです(原作あり)。 舞台はビクトリア朝のイギリスで、事実婚をして3人の子供をもうけた男女の話です。 何とも言えない悲劇が起きます。 この映画をみたとき、なぜこんな映画を作るのかと怒りさえ覚えました。 こんな人々がいたことを知らせたいのか、こんなことが起きてはいけないと啓発したいのか、わかりませんが。 結末を知っていたら絶対にみません。 タイタニックのケイト・ウイスレットが主演でした。。 でも、今までに見た映画の中でも最も印象に残っている(悪い意味でですが)映画ではあるので、それは作り手の狙いだったのでしょうか? ユーザーID: 3205767602.

次の

メリバとは何の意味?アニメにも頻出の創作に役立つメリーバッドエンド!

バッドエンド の 映画 は 嫌い なん だ

下記は、質問の直接の答えではないし、裏を取ったわけでは無く偏見かもしれないので、信じすぎない程度に聞いて下さい。 悲劇的な雰囲気に浸るのが好まれた時代がかつてあったというような話を本で読んだことがあります。 想像になりますが、そのかつての風潮の流れがあるのかもしれません。 悲劇的な雰囲気に浸るのが好まれたというのは例えば、音楽は明るいものは流さず、失恋しただけで「もうこの世の終わりである」と頭を抱えるようなものだったそうです。 それがステータスであったとさえ書かれていたかもしれません。 ここはかなり自信がありません その風潮があったというのが本当なのか、あったとしたら何故なのか、現在小説やゲームでのバッドエンドを好む人がいるのと関係があるのか・・・というのははっきりしませんけどね。 ちなみに私もバッドエンドは好きではありませんね。 一時は好きでしたよ。 でも、バッドエンドだから大人向きとか教訓が多いとか思っていたのはただの勘違いなんじゃ無いかなと思うようになりました。 創作物だけではなく、日常生活からしてそもそもそうだと思います。 失敗体験だけでは無く、予定通りにいったこと、予定よりもうまくいったこと全てを振り返って学ぶべきであり、失敗していないから学ぶべきものは何も無い・振り返る必要は無いというのはおかしい気がします。 さらに言えば創作物は、教訓が一番大事なわけでもありませんしね。 そう思ったら、バッドエンドの良さというものが分からなくなりました。 バッドエンド物って、登場人物が己の持てる能力の全てを出し切るが如く、果敢に運命に立ち向かって行くというストーリーが多いですよね。 その中途中途で仲間を見つけて協力し合ったり、小さな勝利を収めて、ささやかな希望が見えたり…。 その時代というか社会というか、自分一人の力ではどうにもならない大きな力に翻弄されながらも生き抜こうとする姿がとても魅力的かつ人間的で共感できたり、ときには自分と重ねて応援したくなったり。 逆に、自分が如何に安穏として暮らしているのかに気付かされて、胸が締め付けられたり…。 映画や漫画にバッドエンドを求めるのにも、同様の心理が働いていると思います。 作品を鑑賞することで、登場人物達の波瀾万丈な人生を疑似体験することも一つの目的になっていますが、自分の現実の立ち位置の確認には、バッドエンド物の方がハッピーエンド物よりも分かり易く、感情移入し易いというのが要因としてあるのでは…。 つまるところ、「自分自身の幸福値を確かめることにバッドエンド物は一役買っている」のではないでしょうか。 辛いときこそ、「本当の幸福とは不幸とは何か? 生きるとはどういうことなのか?」とトコトン突き詰めて、歌や物語に登場する主人公達の苦しみを間近に感じることで、言葉は悪いですが、ここまで辛い運命に立ち向かう人がいるのなら、自分はまだまだやれるはず、頑張れるはずだと奮起する為に「活力源として求める」ということも考えられます。 他にも色んなことが考えられますが… 何だかよく分からないけれど、不安だとか悲しいと感じることは、生きていく上で経験する人は多いものでしょう。 自分では言葉には出来ない、映像化しにくい不安や葛藤が作品によって具現化され、シミュレーションすることが出来るので、安堵感が得られるという点も大きいと思います。 そういった実態の掴み辛いストレスを作品を観て泣くことで鎮められるということを経験上 実感している人が、バッドエンド作品を求めるのではないでしょうか。 これに関連すると思われる話として、 【泣こうよ. com】 では、 【涙の効用】 という記事が載っていますので、是非ご覧になって下さい。 その記事について掻い摘んで説明します。 そこで紹介されているウイリアム. フレイ2世博士の「感情的な涙」の調査結果によると、人は喜びよりも悲しみに涙する生き物 (1. ***** これは私の場合ですが、バッドエンドの物語を見るときは、一縷の望みを求めている事が多いですね。 完膚無きまでにどん底なものよりも、何処かで救われている人はいないのか?とか、ハッピーエンドとは言えなくとも、望みを託せるようなサバイバーとも呼ぶべき逞しい人はいないものかと…。 悲しみの中の希望は尊く思えるから、つまりは「感動したい」ということ、これが本音になりますね。 A ベストアンサー バッドエンドが大好きな人ですがお答えします。 >映画とかドラマでバッドエンドが好きな人ってどういう考え方なのですか? 恋愛映画などでは結ばれないで終わるとか、 ヒューマンドラマでは死んで終わるとかです。 こういう人は基本的に悲劇的な創作が好きなんだと思います。 恋愛映画も、ヒューマンドラマも好きではないが、いい意味で期待が裏切られる快楽に病み付きというわけですね。 あるいは夜よりも暗い絶望の中に薄い光を見出しているのかも。 >他人が不幸になることで喜びを感じるのでしょうか? それとも自分が不幸だから他の人も自分と同じような状況になって共感するのでしょうか? 一概には言えませんが、約束された薄っぺらな愛や幻想が破壊されるのは、苦労した人や知識人など一部の人には受けると思います。 共感というよりは「まあ頑張れよ」といったところで、多少の喜びはあるかもしれません。 要するにアンパンマンよりバイキンマンを応援し続けていたタイプですね。 A ベストアンサー 1.絶対!絶対!ハッピーエンド!! 2.悲しいじゃないですか、物によっては凄く怖いじゃないですか(泣)。 あまり見たくないけど…ホラー系で最後、ドワァ~~って感じで終わられると、凄くその後が気になっちゃうし、効果音が凄かったりリアルすぎればすぎるほど何だか怖いし。 何度も夢に見ちゃうし(ホラーはだから嫌い、付き合いで見たりすると後で後悔する)。 物語がハッピーエンドで終わってくれる方が、ああっ良かったね~良かったね~ってほのぼのしていられるし安心だし…絶対、その方が良いです。 バットエンドは私にとって心臓に悪いので嫌です。 アニメやドラマもスッキリしないので好きではありません。 Q インターネット上にはグロ画像・グロ動画と呼ばれるメディアが沢山出回っています。 汚物や死体や人が殺されている現場や拷問されている現場、その他嫌悪を催すものを題材にした映像類のことです。 ずいぶん前からこの手の画像や動画を見たりしていて、止められないのです。 もちろんこういうものを見ると不愉快な感情になりますし、人が殺されている現場などを見ていることに罪悪感や恐怖も感じます。 論理的に考えれば、そんなもの"みたい"なんて思うわけないのですが、気が付けばグロ動画を検索しているような状態です。 このような人は沢山いると思うのですが、第三者から見れば私は普通のサラリーマンだと思います。 会社勤めもしていて、仕事も任されています。 友人は少ないですが、恋人も作れるし家族とも仲良くしています。 なぜこのようなことになってしまったのでしょうか。 どうしたら健全な状態になれるでしょうか。 学術的なアドバイスでも、宗教的なアドバイスでもよいので私に教えてください。 A ベストアンサー これは、きっと、あなただけの問題ではなく、 いま日本の社会が、もっている、社会的な病理、情報構造の病理ともいえるのかと思い投稿させていただきました。 これらの画像や映像を見ようとする行為というのは、自らは、観察者として(絶対的な安全が確保された上で)自分と関係の無い他人が、生きている状態から無残な状態へと変貌させられるという過程を息を呑みながら「視る」という行いです。 あなたはただそれを見ているだけと思っているかもしれませんが、あなたが、視たことによって引き起こされた感情なり想い(ショック、悲しみ、不条理感、怒り、無力感)によって、実は何事も行動しなかったという行いもしているのです。 さらに、視たことを自分の心の中に隠匿し、なおかつ背徳感を抱きながら、ある部分悩んでいるという行為をも・・・。 質問文の最後に「なぜこのようなことになってしまったのでしょうか。 どうしたら健全な状態になれるでしょうか。 」とあるようにあなたの心は、その行為の、背徳性をすでに知り、健康な状態への志向が顔をだしているのでは? 画像や映像によって知った「現実」に対して、これが人間の性だとか、これが今の社会の現状だとか思わせられてしまうのが、自分は何もできない、巨大な情報ネットワークであり、「考察」や「分析」であり政治や教育、経済もそれに深く絡んでいます。 人は、いつも世の中で何が起こっているのか知りたいのです。 それは、きれいなこともひどいことも。 隣町で戦争が起こって、人が悲惨な状態になり、または、誰かが人を殺そうとしたりしている、あるいはしてしまったとしましょう。 それを、見に行こう知ろうとするのはむしろ必要なことかもしれません。 勇気のいることであるとも言えます。 むしろ、それらが起こっていることを知りながら、そこから遠ざかろうとするだけでは人間として不十分なのかもしれません。 しかし、それを視たことによって、どんな想いを描くかが問題でしょう。 それを視て喜ぶのか、自分もやりたいと思うか、加担しようとするか、悲しみ、憤ることもできるでしょう。 人びとに訴えることもできるでしょうし、そのようなことを阻止しようとすることも助けようとすることもできるでしょう。 起こっていることが何なのか考えることも、見ている自分が何なのかも考えることができる。 さらにもっとできることはあるはずです。 最初は小さいかもしれませんが、自分自身が、社会に何か作用する力を持っているということを思い出してください。 多分、昼間は目一杯会社で働かされて、夜や休みの日自分の時間を休みとして刺激の最も強いもので様々な縛りからのがれようとしているのかもしれませんが。 それらの画像や映像を撮るときどんな想いによってそれがなされたでしょう。 それをネット上にアップする人の気持ちの根底にどんな想いがあったのでしょう。 そういう邪悪な感情とは同調しないようするのが いいのではないかと思います。 知り得た事実に対してどのように行為できるかが現代の人びとの大きな課題だと思います。 これは、きっと、あなただけの問題ではなく、 いま日本の社会が、もっている、社会的な病理、情報構造の病理ともいえるのかと思い投稿させていただきました。 これらの画像や映像を見ようとする行為というのは、自らは、観察者として(絶対的な安全が確保された上で)自分と関係の無い他人が、生きている状態から無残な状態へと変貌させられるという過程を息を呑みながら「視る」という行いです。 あなたはただそれを見ているだけと思っているかもしれませんが、あなたが、視たことによって引き起こされた感情... Q 週休2日制(土日休み)の仕事をしており、金曜日が来ると「よし、この2日はこんなことしよう!」と色々計画を立てるのですが、何一つ実行できません。 まず、朝、起きることができません。 昼、なんとか起きて食事を作るものの食べたら、次の行動を起こせないんです。 例えば、友達と約束をしていても外出することができません。 休みなんだから無理しない』と考えて、ベットに横たわると、夜になっています。 つまり、土日はまるまる2日、ほとんど寝ているんです。 熱はないし、食欲がない、いくらでも眠れる・・・という感じで、とにかく衰弱してるんです。 今日も20時間ほど、トイレもいかずに寝ていました。 月曜日になると、朝6時に起きて、始業時刻の1時間前には出勤し、12時間以上働いて帰宅します。 平日はこの調子で金曜まで元気いっぱいです。 でも、この土日になると、とたんに無気力になり何にもできないんです。 世間には、私のような人はいらっしゃらないでしょうか?ほんとに怖いくらい無気力になってしまうんですが、これって、病気ではないでしょうか? 週休2日制(土日休み)の仕事をしており、金曜日が来ると「よし、この2日はこんなことしよう!」と色々計画を立てるのですが、何一つ実行できません。 まず、朝、起きることができません。 昼、なんとか起きて食事を作るものの食べたら、次の行動を起こせないんです。 例えば、友達と約束をしていても外出することができません。 休みなんだから無理しない』と考えて、ベットに横たわると、夜になっています。 A ベストアンサー TVで精神科医が話してらしたのですが、 普段と違うことをすることによって脳のストレスが緩和されるそうです。 ・事務系の人が、休日アウトドアしたり、就業後カラオケで発散する。 ・外回りの人が、週末部屋でTVみてゴロゴロする。 ・子育て中の主婦が、たまにママ友達とファミレスでおしゃべりする。 ストレスの緩和は立場によって違うんですね。 現在の日本は、不安を抱えた平和で安全な国だと思います。 刺激がないので刺激を求め、痛みがないので痛みを求め、 男女の出会いが安直になっているので、純愛映画が流行り、 感動が少ないので、泣ける話がヒットする。 脳の中にはいろいろな引き出しがあって、 カラの引き出しを、埋めようとしているのかもしれません。 親譲りの気管支ぜんそく気味な体質ではあります(でも常時服薬するとかではない)。 朝なんかも起きると必ず咳。 実は、上のようになると必ず1日数回、 そうでなくても、夏冬の時期・冷暖房などによる室内外の温度差や乾燥などでも 『突然、肺の上のあたり~喉にむかってむず痒くなり、数秒で苦しいほどの咳が出ます。 痒くてチカチカイガイガが猛烈に来た感じで、それが止まるまで顔が真っ赤になるほど咳が止まらず、息を吸う間もないほど激しくなります。 涙・鼻たれ、グジャグジャ。 』 会議中や、バスの中などでこれに出くわすと、精神的にも参ります。 必死で息を少しだけ吸って真っ赤になってガマン。 水飲んだりのど飴もダメで、時間がある時は、とにかく治まるまで5-10分咳をし続け、疲れ果てたころやっと治まる。 こんな方いらっしゃらないですか?ただの咳というより、喉が奥から急激に痒くなる感じでやってくるような方。 キタキタ・・・・とわかるんです2秒くらいで。 一時的にどうされていますか?意外と早くその場でしずめられる妙案ご存知ないですか? 同じ症状の方、どうなさっているか、しのぎ方を知りたいです。 親譲りの気管支ぜんそく気味な体質ではあります(でも常時服薬するとかではない)。 朝なんかも起きると必ず咳。 実は、上のようになると必ず1日数回、 そうでなくても、夏冬の時期・冷暖房などによる室内外の温度差や乾燥などでも 『突然、肺の上のあたり~喉にむかってむず痒くなり、数秒で苦... 呼吸器をやられる風邪だったようですが、 胸のあたりからイガイガチカチカし始め、一旦咳が出始めると止まらない という状態に、私もここ数週間悩まされてました^^; その時は、とにかく部屋を加湿し 気管支を乾燥させないように、市販の吸入器でひたすら湯気を吸っていました。 ただ気管支が弱い(?)方で、質問者様のように仕事先や出先で咳が止まらなくなる時は 一時的な対処だけでは気管支の炎症を引き起こし長引かせてしまう場合も。 ここはやはり今一度、呼吸器内科などで相談されるのがいいかと。 喘息気味が本格的な喘息になる前に、中長期的な治療も考慮されたほうがいいと思います。 お大事になさってくださいね Q 私はブスがすごく嫌いなんですがどうしてでしょうか? 今英語の勉強をしていて、外国人と毎日会話をしています。 有料の英語プログラムで、外国人の女性のウェブカメラを見ながら会話をするんですが 相手が美人の時は、時間いっぱいまでたっぷり話すし、やる気も出るんですが 相手がブスとかデブとか黒人とか40位のばばあとか出てきた時は、こちらから強制的に切断してしまいます。 カメラの映像を消して、会話にだけ集中しようと思ったりもしましたが、最初にブスとわかってしまうと もうだめなんです、話す気もおきないし、頭に何も質問が浮かんでこないんです。 話していてもどうしても攻撃的になっちゃうし、めんどくさいんです。 相手が最初にかわいい大学生だったり、すると日系人でも、ヒスパニックでもアメリカンコリアンでものりのりで話せます。 なぜブスに耐えられないんでしょうか? 他の場面では 職場で美人の先輩とかだと、理不尽なことを言われてもたまには私も言い返したりもしますが、大体はしょうがないなって思えます。 デブとかブスの女の先輩の場合、相手の顔を見るとひきつってしまったり、何を言われてもうるせえな、ブスの癖に生意気なんだよってすぐに思ってしまうんです。 合コンをやったときに、幹事が普通くらいの顔なのに残りの4人の女の子をブスでそろえてきた時に、待ち合わせ場所で私がキレてしまい。 合コンをはじめるまえに、今日は一人8000円だけど払える?って言ったら女性がそれは無理といって無理やり合コンを中止にしたりしました。 耐えられないんです。 ブスと思ってしまうと我慢ができません。 逆の例をだします。 昔出会い系でお互い顔を見せずに、駅で待ち合わせをするとリクルートスーツを着た、顔が小さい坂下ちりちゃんの若い時みたいな顔の子がきて、ついガッツポーズをしちゃいました。 相手は僕の顔は何も気にしなくて、結局そのままいい感じにまでもっていけたんですが、その子が結構わがままだったりしたんですが、とにかくかわいくて、周りの友達に自慢できたし、一緒に歩いてても恥ずかしくないので長く関係をもてたんです。 悪い経験が、年齢が19でDカップという情報を聞いていて、駅にきたのがおばさんみたいな顔をした鼻の横の線が太くて、一重で、うすっぺらい顔だけど、性格のいい子で、同じ関東同士なのにわざわざお土産までもってきてくれたんですが、どうしてもその顔に耐えられなくて、ビルに入ってトイレに行くふりをしてそのままばっくれて、携帯のメールも電話も全て拒否しました。 最悪なのはわかっているんです。 でもブスとわかると何もかも全てのことが許せなくなるんです。 自分に対してもイライラするし、周りの人が自分のことを笑ってる気がするし、 一番思うのが、ブスの癖に生意気、ブスなんかは一切かかわりたくない、意味がない、好かれたくもないし、目的が一切ない、ブスが俺と話すのなんて生意気、とかそんなことを思ってしまいます。 なんでなんでしょうか。 自分に対するコンプレックスの表れなんでしょうか。 ちなみに父親は普通の顔ですが、母親はかなり美人らしいです、田舎ですが準ミスになってるので。 なので僕も顔は結構イケテルらしいです。 あくまでもらしいです。 でも女性に対しての性格は最悪っていわれます。 私はブスがすごく嫌いなんですがどうしてでしょうか? 今英語の勉強をしていて、外国人と毎日会話をしています。 有料の英語プログラムで、外国人の女性のウェブカメラを見ながら会話をするんですが 相手が美人の時は、時間いっぱいまでたっぷり話すし、やる気も出るんですが 相手がブスとかデブとか黒人とか40位のばばあとか出てきた時は、こちらから強制的に切断してしまいます。 カメラの映像を消して、会話にだけ集中しようと思ったりもしましたが、最初にブスとわかってしまうと もうだめなんです、話す... A ベストアンサー 私は女ですが、ブスが嫌いです。 細い子はなぜ細いかというと太らないよう常に努力してますし、可愛い子ほどメイクも服も少しでも自分を可愛くみせるよう絶え間ない研究&努力をしています。 さらに言うと、元々の顔がブスでも、努力して可愛く見せている女の子はたくさんいます。 (一重はメザイクやアイプチでいくらでも二重にできますし、それこそ美容整形だっていくらでもありますしね)。 私が思うに、ブスは生まれたときからブスなのではなくて、なるべくしてブスになったんだと思います。 デブも同じです。 女に生まれたからには可愛くなくっちゃ意味がないと、私は思います。 すっぴんで過ごす小中学生は仕方が無いですが、高校を過ぎてしまえば、女性の美しさは元々の顔形というより努力とお金の掛け方に比例します。 私は、何の努力もしないままブスやデブな自分に甘んじて怠惰に生きているその性根が嫌いだし、ブスやデブなまま生きてるコを見るとイライラします。 「あるがままの自分の姿を受け止めてくれる人がいつか現れるはず」なんて自分に甘い考えは捨てて、愛されるために最大限の努力をすべきだと思います。 なぜブスのまま生きていらるのか、なぜ可愛くなるための努力をしないのか、まったく意味が分かりません。 質問者さまは私と同じで、自分に甘い人間や努力しない人間が嫌いなんじゃないでしょうか?? 私は女ですが、ブスが嫌いです。 細い子はなぜ細いかというと太らないよう常に努力してますし、可愛い子ほどメイクも服も少しでも自分を可愛くみせるよう絶え間ない研究&努力をしています。 さらに言うと、元々の顔がブスでも、努力して可愛く見せている女の子はたくさんいます。 (一重はメザイクやアイプチでいくらでも二重にできますし、それこそ美容整形だっていくらでもありますしね)。 私が思うに、ブスは生まれたときからブスなのではなくて、なるべくしてブスになったんだと思います。 デブも同じです... A ベストアンサー いろいろな理由があるかもしれませんが、一つには「悲しいときに悲しい表情をすると、心の底から悲しくなってしまうので、それを避けようとして笑う」というのがあるのではないでしょうか。 多くの人がそのようにして笑った経験があるだろうと思うのですが、それではどうして「悲しいときに心から悲しい」と素直に認めることができないのでしょう。 人間は成長していく中でさまざまな出会いを繰り返し、社会の中で自分をどのように表現していけばよいのかを学んでいきます。 その中で「まわりに会わせる」方ばかりに天秤が傾いてしまって「自分の素直な気持ちを受け入れ、表現する」ことができなくなってしまうと、顔の表情と心の中身が違った人になってしまいます。 多くのカウンセリングの理論では「自分の気持ちを素直に表現できるようになること」を一つの目標にしていますが、それくらい本当の自分の心を表現できない人々がこの世の中にはいるのですね。 現実の生活では時と場合に応じてさまざまな役割を果たさなければならないように、いつもいつも「ホンネで素直な自分」で過ごせるとは限りませんが、時には「笑えて来るくらい悲しい」自分の中の「悲しい気持ち」に意識を集中して、思いっきり悲しんでみるのも大切なようです。 仮面の笑いに隠された「ホンネ」を思いっきり感じてみる。 するとそのあとで、気持ちがすっきりすることが多いようですよ。 いろいろな理由があるかもしれませんが、一つには「悲しいときに悲しい表情をすると、心の底から悲しくなってしまうので、それを避けようとして笑う」というのがあるのではないでしょうか。 多くの人がそのようにして笑った経験があるだろうと思うのですが、それではどうして「悲しいときに心から悲しい」と素直に認めることができないのでしょう。 人間は成長していく中でさまざまな出会いを繰り返し、社会の中で自分をどのように表現していけばよいのかを学んでいきます。 その中で「まわりに会わせる」方...

次の

バッドエンドを求める人の心理を教えてください

バッドエンド の 映画 は 嫌い なん だ

旅行でチリにやってきたグリンゴ(イーライ・ロス)は、現地案内人でもある友人アリエルとポヨに連れていかれたナイトクラブで、モニカ(アンドレア・オズヴァルト)ら3人の若い女性と知り合い意気投合していました。 そんな折、突如大地震が発生! クラブの中はパニックに陥り、アリエルは片腕をなくす大怪我を負ってしまいました。 ようやく一同が外に出たら、そこはもう瓦礫だらけの廃墟と化していて、しかも津波警報のサイレンまで鳴り出したので、避難すべくケーブルカーで山に向かうことに。 しかし先にアリエルを乗せたケーブルカーは途中で落下し、乗員は全員死亡。 逃げ場を失った人々は、津波がまもなくやってくる恐怖も相まって、次第に暴徒化していきます。 さらには崩壊した刑務所から囚人たちが脱走し、警官隊と激しい攻防を繰り広げつつ、若い女性たちに襲いかかっていきます。 旅行のアバンチュルから一転、阿鼻叫喚と化していく地獄絵図の中、グリンゴたちの運命やいかに? 本作では地震や津波といった自然災害の恐怖はもちろんですが、それ以上に怖いのは人間そのものであるといった辛辣な視線のもと、シビアでえぐい描写が徐々につるべ打ちとなっていきます。 何せ主演が『キャビン・フィーバー』(03)や『ホステル』(05)『グリーン・インフェルノ』(13)など地獄モードのホラー映画監督として定評のある(最近は『ルイスと不思議な時計』みたいなメルヘン映画も手掛けるようになってはいますが)イーライ・ロスなので、まあ、彼が主演に加えて原案、脚本にまで関わる作品ですから、そりゃあ、あの、その、ねえ……。 なお、次章ではバッドエンド映画の名作選をお届けしますが、これまたある程度のネタバレは避けられない類いの特集になってしまいますので(さすがにエンドそのものの内容までは記しませんけどね)、そういうのは「僕は(私は)嫌だ!」という方は、ここでストップして『アフターショック』をご覧になってみてください!? ジャンル別で バッドエンド映画を選んでみた! では今回はジャンル別にバッド・エンド映画をいくつか集めてみました。 (あからさまなホラー映画は今回除外しています。 だってホラーはバッドエンドなホラー映画って当たり前すぎるでしょ) 戦争映画 戦争映画の場合、『遠すぎた橋』(77)みたいにミッションの失敗を描いたものもさながら、やはり戦場に赴いた兵士の悲惨な末路を描いたものが数多く、古くは『西部戦線異状なし』(30)みたいな戦前の名作はそのスタンダード。 潜水艦映画の名作『U・ボート』(81)なんて海の底も海上もどちらも地獄であったことを訴えながら戦争の過酷さと人生の過酷さを重ね合わせた名作でした。 やむなく上官の命令に従ったことで戦後BC級戦犯として処刑される日本人の悲劇を描いた『私は貝になりたい』は幾度もドラマ(58・07)&映画化(59・08)されています。 日本の戦争映画は『ひめゆりの塔』(54・82・95)や『樺太1945年夏・氷雪の門』(74)、また広島や長崎の原爆を扱った作品など、悲劇を戦争そのものに対する怒りに変えて反戦を訴える作品も多いですね。 そういった中で、あえて今回1本選ぶとしたら、戦場で両手足も目も耳も口も失った兵士ジョニーの悲劇を描いたドルトン・トランボ監督の『ジョニーは戦場へ行った』(71)を挙げたいところ。 凄惨な現在と、そんな彼にも甘く切ない青春があったことを告げる、そのギャップがあまりにもエモーショナルに心に響き、見終えてしばらくは何もできなくなるほどの衝撃をもたらしてくれます。 SFファンタジー映画 『スター・ウォーズ』が1977年に登場する以前、1960年代末から70年代なかばにかけてのSF映画は、従来のセンス・オブ・ワンダー活劇的なものから、『猿の惑星』(68)を筆頭に文明批判を強く訴える傾向がありました。 『ソイレント・グリーン』(73)『赤ちゃんよ永遠に…』(72)『ソイレント・グリーン』(73)など行き過ぎた文明を批判するバッド・エンド作品が多く作られています。 80年代に入り、本来は未来が暗いことを訴えようとしていた『ブレードランナー』(82)は、製作サイドの意向により後味の良いラストを付け足したものが最初に劇場公開され、後に監督のリドリー・スコットが理想とするディレクターズカットが幾度もお披露目されていきました。 テリー・ギリアム監督の『未来世紀ブラジル』(85)も、当初のバッドエンドと真逆なハッピーエンド版を製作サイドが勝手にこしらえたことで、後々ハリウッドを揺るがす一大トラブル事件が発生しています。 21世紀に入り、9・11以降のSFファンタジーは文明批判を含んだダークテイストのものが再び急増(今に至るゾンビ映画のブームも、それとは無縁ではないでしょう)。 中でも20世紀の『ターミネーター』1(84)&2(91)は未来の危機をいかに回避するかに焦点が絞られていましたが、『ターミネーター3』(03)では今までの努力がすべて水の泡と化したかのように世界は崩壊し、さながら『猿の惑星』シリーズみたいな様相を呈していきます。 逃れられない世界崩壊の予言と対峙する家族の悲劇を描いた『ノウイング』(09)なんて、見ているだけで辛く空しい映画もありました。 が、個人的に最も愛してやまないバッド・エンドSFファンタジー映画はスティーブン・キング原作の『ミスト』(07)です。 濃霧の中から次々と人を襲う謎のモンスターによる壮大なる惨禍と、それに伴う人生の無情と無常の描出は、この手の作品が苦手な人でも一度は見ておくべきと断言できる優れものです。 サスペンス映画 こちらもホラー映画同様、バッドエンドなものは数限りなく多いジャンルです。 この手の特集でよく登場するのは『セブン』(95)や『レクイエム・フォー・ドリーム』(00)みたいな作品で、どちらも見終えていや~んな気分にさせられること必至。 ただ、こちらも個人的に押したいのはブライアン・デ・パルマ監督の『ミッドナイトクロス』(81)。 殺人に伴う狙撃音をたまたま録音してしまった映画音響マンがたどる数奇な運命をミステリアスに描いたものですが、このラストはもうあまりにもつらく悲しすぎて……。 ちなみにこの時期のデ・パルマ監督は、他にも『キャリー』(76)や『フューリー』(78)『殺しのドレス』(80)などの悪夢的バッド・エンド意欲作で台頭し、多くの映画ファンを虜にしていました。 ミュージカル ミュージカルといえば華やかでハッピーなイメージが付きまといがちですが、よくよく考えますと《ロミオとジュリエット》をモデルにした『ウエスト・サイド物語』(61)なんて完全なるアンハッピーエンドですし、ロミジュリそのもののミュージカル化『ロミオ&ジュリエット』(96)もあります。 フランス映画『シェルブールの雨傘』(63)にしても、最後は切ない終わり方になっています。 またヴェトナム戦争批判を前面に訴えた『ヘアー』(79)あたりからミュージカルもどんどん自由になってきたとでもいいますか、マドンナ主演の『エビータ』(96)も感動的ではあれ悲劇の人生の映画化でした。 最近の『ラ・ラ・ランド』(16)だって、視点を変えてみるとある意味バッドエンドでしょう。 そしてアイスランド出身の人気歌手ビョーグ主演という触れ込みで日本でも大ヒットした『ダンサー・イン・ザ・ダーク』(00)も、それまでバッドエンドに免疫のない若者たちに多大なトラウマを与えたことで大いに知られている作品です。 本作のラース・フォン・トリアー監督はこれ以外にも『ドッグヴィル』(03)などトラウマ映画の巨匠ともいえる存在なので、クレジットに彼の名前をみつけたらある程度の覚悟をもって作品に接するべきでしょう。 アニメーション これはもう説明不要、高畑勲監督の『火垂るの墓』(88)に尽きる! 初公開時は何と『となりのトトロ』(88)と二本立てだったという、まさにどちらを先に見るかで映画館を後にするときの気分が天国か地獄かと言わんばかりに違ってきます。 あともう1本挙げたいのは『風が吹くとき』(86)。 これは核戦争勃発を知らされた老夫婦が、政府の安易なマニュアルに盲目的に従って保存食やらシェルターやらの準備をした挙句、放射能に侵されて死んでいくという、『スノーマン』でおなじみレイモンド・ブリックスの描くキャラクターの愛らしさとは真逆の悲惨さに満ち溢れた問題作でした。 北野武 こちらももう言わずもがなで、デビュー作『その男、凶暴につき』(89)から『アウトレイジ』3部作(10~17)まで、彼が作るバイオレンス映画にハッピーエンドなんて求めてはいけません。 クリント・イーストウッド 実は彼こそバッド・エンド映画の名匠ではないかと確信しております。 特に21世紀に入ってからの『ミスティック・リバー』(03)や『ミリオンダラー・ベイビー』(04)『J・エドガー』(11)『アメリカン・スナイパー』(14)など、いずれも秀逸な出来ではあれ、しょっちゅう何度も繰り返し見たいかどうかと問われるとあまりにも辛い、そんな人生をシビアに見据えた彼の監督作品は意外に多いのです。 もともとイーストウッドは初監督作品『恐怖のメロディ』(71)の頃から、どこかしら倒錯的で残酷なバイオレンス映画を撮り続けています。 また出演作品でも『白い肌の異常な夜』(71)など猟奇的題材のものが多々あります。 そもそも残虐なイタリア製西部劇マカロニ・ウエスタンの立役者だった彼、そこでもたらされた血の洗礼は今もなお影響を及ぼしているのかもしれません。 人間ドラマ 最後に、バッドエンドなのに見終えて心がなぜか洗われる作品を紹介しておきたいと思います。 ジョン・フォード監督の1941年度作品『わが谷は緑なりき』。 初老の男が生まれ故郷のイギリス、ウェールズ地方の炭鉱町ロンダの谷での貧しくも幸せだった少年時代の家族を回想していくストーリー。 しかし、その幸せはやがて終わりを告げ、それこそ誰も報われることなく映画は終わります。 それでも、この作品は人間の善意と誠実さを抒情的モノクロ映像で切々と謳い上げていくことによって、悲しみの涙が見る者の心を浄化させてくれる究極の人間讃歌として見事に成立しているのです。 第14回アカデミー賞では最優秀作品賞をはじめ6部門を制覇した名作中の名作。 バッドエンドが見る者の心を豊かに潤わせてくれる奇跡的なまでのマジック、それも映画ならではの効用といえるのかもしれませんね。 映画文筆。 朝日ソノラマ『宇宙船』『獅子王』、キネマ旬報社『キネマ旬報』編集部を経て、フリーの映画文筆業に就く。 取材書に『十五人の黒澤明』(ぴあ刊)、『特撮映画美術監督・井上泰幸』(キネマ旬報社刊)など。 編集書に『40/300 その画、音、人』(佐藤勝・著)『神(ゴジラ)を放った男/映画製作者・田中友幸』(田中文雄・著)『日記』(中井貴一・著)『日記2』(中井貴一・著)『キネ旬ムック/竹中直人の小宇宙』『同/忠臣蔵映画の世界』『同/戦争映画大作戦』(以上、キネマ旬報社刊) その他、パンフレットやBD&DVDライナーノートへの寄稿、取材など多数。 ノヴェライズ執筆に『狐怪談』『君に捧げる初恋』『4400』サードシーズン(以上、竹書房刊) 現在『キネマ旬報』誌に国産アニメーション映画レビュー・コーナー『戯画日誌』を連載中。 近著に『映画よ憤怒の河を渉れ 映画監督佐藤純彌』(DU BOOKS刊)がある。

次の