リスト ハンガリー狂詩曲。 リスト「ハンガリー狂詩曲第2番」

ハンガリー狂詩曲とは

リスト ハンガリー狂詩曲

リスト 管弦楽曲 、、その他 リストの 交響詩は全部で13曲ある。 番号 題名 第7番 「祭典の響き」 第1番 「人、山上にて聞きしこと」 第8番 「英雄の嘆き」 第2番 「タッソ(悲劇と勝利)」 第9番 「ハンガリー」 第3番 「前奏曲」 第10番 「ハムレット」 第4番 「オルフェウス」 第11番 「フン族の戦い」 第5番 「プロメテウス」 第12番 「理想」 第6番 「マゼッパ」 第13番 「ゆりかごから墓場まで」 中でも有名なのが、「前奏曲 Les Preludes 」である。 これはPreludeが複数形になっているので、単に「前奏曲」と訳していいものかどうか疑問である。 「人生は死への前奏曲である」というテーマをもとに、変奏曲形式で書かれている。 「前奏曲」 指揮ウィーン・フィル EMI。 1954年録音。 ART処理されたReferenceシリーズ輸入盤CHS5 66770 2 3CD。 ウィーン・フィルとのスタジオ録音集。 他の収録曲は、「驚愕」、モーツァルトの第40番、「未完成」、シューマン「マンフレッド序曲」、ベルリオーズ「ラコッツィ行進曲」、メンデルスゾーン「フィンガルの洞窟」、ケルビーニ「アナクレオン序曲」、グルックの序曲2曲、ヴェーバーの序曲3曲、シュトラウスの皇帝円舞曲・ピツィカートポルカ。 モーツァルト「魔笛」から夜の女王のアリア2曲。 に次のような記述がある。 要するにフルトヴェングラーは「ノー」と言えない性質でした。 それを考えると彼のスタジオ録音がもう少し残っていてもいいように思えるのですが。 相手方、この場合はレコード会社のほうから、あの曲とかこの曲とかいう風に、具体的に曲目を指定するように、というのが彼の意向でした。 たとえばリストの「プレリュード」などが録音されるようになったのは、そうした理由からでした。 戦後EMIエレクトローラ株式会社の録音部長の任にあったヴァルター・レッゲ氏は、ぜひ「プレリュード」の録音を指揮して欲しい、とかねてから懇請していました。 フルトヴェングラーは、さほどリストを賞賛していたわけではなかったのに、出来上がった録音はすばらしいものでしたし、彼自身も不思議だったそうですが、仕事の間じゅう、けっこう楽しかったといいます。 フルトヴェングラーの変奏の妙味が味わえるスケールの大きな名演である。 2011年1月、フルトヴェングラー生誕125周年で SACD化された。 このSACDは、上記Reference盤3枚組と同じ曲が、同じカップリングで3枚分売で出ている。 指揮ロンドン交響楽団 EMI。 1940年2月28日、キングズウェイ・ホールでの録音。 GREAT CONDUCTORS OF THE 20TH CENTURYシリーズ2枚組に、同日録音の「メフィスト・ワルツ」とともに収録されている。 Paul Bailyによるリマスタリングが施されている。 指揮ベルリン・フィル DG。 1967年録音。 OIBP化された輸入盤2枚組のリスト作品集。 他の収録曲は次の通り。 「メフィスト・ワルツ」 1971 、「ハンガリー幻想曲」 1960,シューラ・チェルカスキー,p 、「マゼッパ」 1961 、「タッソー」 1975 、ハンガリー狂詩曲第2番 1967,第4番と表記 、同第4番 1975,第2番と表記 、同第5番 1975。 「前奏曲」「マゼッパ」「ハンガリー狂詩曲第2番」の3曲は、スメタナ「モルダウ」他とともに1枚でOIBP盤も出ている。 指揮ベルリン・フィル DG。 1983年12月、84年1月、2月録音。 ハンガリー狂詩曲第5番と。 初出は「モルダウ」「舞踏への勧誘」「ウィリアム・テル序曲」とカップリングだったが、私が持っているのは国内盤のカラヤン・ベスト・アルバムで「運命」などとのカップリングのものである。 カレル・アンチェル指揮チェコ・フィル SUPRAPHON。 1964年12月17-18日録音。 ショスタコーヴィチのチェロ協奏曲などとカップリング。 ジュゼッペ・シノーポリ指揮ウィーン・フィル DG。 1996年録音。 他の収録曲は「オルフェウス」「マゼッパ」、ハンガリー狂詩曲第2番。 ヘルマン・シェルヒェン指揮ウィーン国立歌劇場管弦楽団 ウェストミンスター。 1957年ステレオ録音。 2002年、DG傘下に入りOIBP化された輸入盤2枚組で「ハンガリー狂詩曲全6曲」「マゼッパ」「メフィスト・ワルツ第1番」「フン族の戦争」とカップリングである。 ヤノシュ・フェレンチーク指揮ハンガリー国立交響楽団 フンガロトン。 1982年録音。 他の収録曲は「オルフェウス」「タッソー」。 ゲオルク・ショルティ指揮シカゴ響 DECCCA。 1992年6月8日、ザルツブルク祝祭大劇場、聖霊降臨祭コンサートでのライヴ録音。 とカップリング。 アタウルフォ・アルヘンタ指揮スイス・ロマンド管 DECCA。 1955年ステレオ録音。 ORIGINAL REMASTERED RECORDING。 パリ音楽院管とのとカップリング。 フェレンツ・フリッチャイ指揮ベルリン放送交響楽団 DG。 1959年録音。 2001年にOIBP化された盤に買い換えた。 ベルリン・フィルとの「・」とカップリング。 リッカルド・ムーティ指揮フィラデルフィア EMI。 国内廉価盤。 「展覧会の絵」とカップリング ジョス・ファン・インマゼール指揮アニマ・エテルナ ZigZag。 2003年9月21-23日、ブリュージュ・コンセルトヘボウでの録音。 収録曲は、「前奏曲」の他、 「死の舞踏」、交響詩「マゼッパ」、交響詩「ゆりかごから墓場まで」、ハンガリー狂詩曲第1番・第3番。 ピリオド楽器でのリスト初録音。 現代オケだと、ただ派手なだけという曲も、こうして聴くとまた別の味わいがある。 特に「死の舞踏」では、リアン・デ・ヴァールが1886年製エラール・ピアノを弾いている。 たぶんインマゼール所有の楽器である。 このピアノの音色が華やかで、オケとの相性も良い。 (さすがにこの曲ではインマゼールも弾き振りはできなかったか。 ) ハンガリー狂詩曲 ハンガリー狂詩曲は、 もとはピアノ曲であり、全部で19曲ある。 そのうち リストとドップラーにより管弦楽に編曲されているものが6つある。 番号に混乱が見られるため「Searle番号」(グローヴ音楽事典 第5版でのH. Searleによる整理番号)を記載する。 管弦楽編曲版の番号 ピアノ原曲版の番号・調 第1番 ヘ短調 S359-1 第14番 ヘ短調 S244-14 第2番 嬰ハ短調 S359-4(第4番) 第2番 嬰ハ短調 S244-2 第3番 ニ長調 S359-3 第6番 変ニ長調 S244-6 第4番 ニ短調 S359-2(第2番) 第12番 嬰ハ短調 S244-12 第5番 ホ短調 S359-5 第5番 ホ短調「悲愴的な叙情詩」 S244-5 第6番 ニ長調 S359-6 第9番 変ホ長調「ペストの謝肉祭」 S244-9 もっとも有名なものは「第2番 S359-4」である。 ただこの曲で問題なのは、 第2番と第4番の番号表記が入れ替わっていることがあるということである。 「音楽之友社1996年版作曲家別クラシックCD&LD総目録」によれば、そういう入れ替わった表記をすることがあるようなのだ。 また「第2番S359-4」には リスト&ドップラー版(嬰ハ短調)の他に、 ドップラーが単独で編曲した版(ニ短調)、 カール・ミュラー・ベルクハウス版(ハ短調)など別の編曲もある。 それぞれ調が半音ずつ違うのだが、その表記も間違っていたりするので困ったものである。 アルトゥール・ニキシュ指揮ベルリン・フィル DG。 1920年録音。 第1番。 「運命」とカップリング。 レオポルド・ストコフスキ指揮フィラデルフィア管弦楽団 GRAMMOFONO。 1936年SP復刻。 第2番。 「新世界」とカップリング。 レオポルド・ストコフスキ指揮RCAビクター交響楽団 RCA。 1960年録音。 第2番。 「悲愴」とカップリング。 当盤の解説によればストコフスキーは カール・ミュラー・ベルクハウス版(ハ短調)を使用しているはずなのに、ディスクでの表記は嬰ハ短調になっている。 その後の演奏も頻繁にテンポ・ルバートがなされるが、曲が曲だけにハマっている。 指揮ベルリン・フィル DG。 上記OIBP化された輸入盤2枚組のリスト作品集。 第2番S359-4 第4番と表記,1967年録音 、 第4番S359-2 第2番と表記,1975年録音 、 第5番 1975年録音。 リスト&ドップラー版の第2番S359-4は、ベルリン・フィルの 分厚い弦のユニゾンで始まる格調高い演奏だ。 ところでこの第2番S359-4は、「前奏曲」「マゼッパ」やスメタナの「モルダウ」などとカップリングのオリジナルス・シリーズ第1弾のOIBP盤1枚でも出ている。 それにはLP初発売時のジャケット写真がのっているのだが、それを見ると1968年発売のLPではちゃんと「第2番」と表記している。 「第4番・第5番」を1960年にもDGに録音しているが持っていない(この旧録音の第4番も初出LPではちゃんと「第4番」と表記されていた)。 また「第5番」は1983-84年にも「前奏曲」とともにデジタル録音しており、こちらは上記のように国内編集盤でもっている。 指揮フィルハーモニア管弦楽団 EMI。 1958年1月、ステレオ録音。 リスト&ドップラー版の 第2番S359-4。 GREAT CONDUCTORSシリーズ2枚組に収録。 このCDの表記もめちゃめちゃである。 「Hungarian Rhapsody in D-minor, S359 No. 「D-minor, S359 No. 2」ならば第4番になってしまうではないか! ちなみにレコ芸別冊「カラヤン」のディスコグラフィ170番のところでは「第2番ミュラー・ベルクハウス版」と書かれている。 何ともはや... ジュゼッペ・シノーポリ指揮ウィーン・フィル DG。 1996年録音。 第2番。 上記「前奏曲」などとカップリング。 私が持っている輸入盤には、タイトルに「no. 2 Searle 244 no. 2」とピアノ原曲の番号を記した下に「Orchestral Version no. 4 : Franz Doppler」とある。 DGが原曲第2番のオケ版を第4番としていることがハッキリわかる。 ドップラー単独編曲である。 カラヤン盤と異なり、 冒頭はトランペットで始まる、ややアッサリ味の編曲である。 ヘルマン・シェルヒェン指揮ウィーン国立歌劇場管弦楽団 ウェストミンスター。 1959年録音。 全6曲ステレオ録音である。 2002年、DG傘下に入りOIBP化された輸入盤2枚組で「前奏曲」「マゼッパ」「メフィスト・ワルツ第1番」「フン族の戦争」とカップリングである。 さて、この録音での「第2番」は、シノーポリと同じくトランペットで始まるので「 ドップラー単独編曲」と思われる。 にもかかわらず、カラヤン盤と同様「第4番」と記載されている。 この盤には次のような但し書きが書いてある。 Numbering according to The New Grove, 2nd Edition,2001 なるほど。 だんだん話が見えてきた。 グローヴ音楽事典がSearle番号を採用した時に、DGがそれを採用したということか。 (上記の表を見ればわかるように、Searle番号の順に並べると第2番と第4番が逆になる。 )しかし、他のレーベルでは、それ以前の番号がしぶとく使われており、なかなか「グローヴ音楽事典 & DG」がスタンダードにならないということなわけだ。 フェレンツ・フリッチャイ指揮ベルリン放送交響楽団 DG。 1954年、イエス・キリスト教会でのモノラル録音。 2003年にeloquenceシリーズでモノラル録音の「新世界」とカップリングで 第1番、第2番の2曲。 さて、このCDは2003年リリースと新しいのだから、DGは上記のいきさつからするならSearle番号通り有名な第2番は「第4番」と表記すると思いきや「Nr. 2 d-moll」と表記されている。 ちょっと待て? d-mollつまりニ短調ならばドップラー単独編曲版の調ではないか。 しかし演奏を聴けばカラヤン盤同様、重厚な弦楽合奏で始まっているからリスト&ドップラー版であり、ならば「嬰ハ短調」の間違いだろう。 本当にこの曲の表記は混乱している。 ジョス・ファン・インマゼール指揮アニマ・エテルナ ZigZag。 2003年9月21-23日、ブリュージュ・コンセルトヘボウでの録音。 上記「前奏曲」の他の盤に 第1番・第3番の2曲が収録されている。 ファウスト交響曲 レナード・バーンスタイン指揮ボストン交響楽団 タングルウッド音楽祭合唱団、ケネス・リーゲル T DG。 OIBP化。 1976年録音。 「ファウスト交響曲」。 指揮シカゴ響 RCA。 LIVING STEREO。 メフィスト・ワルツ。 「悲愴」とカップリング。

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ハンガリー狂詩曲ってリストのピアノ作品の中ではどれくらいのレベルに位置し...

リスト ハンガリー狂詩曲

リスト 管弦楽曲 、、その他 リストの 交響詩は全部で13曲ある。 番号 題名 第7番 「祭典の響き」 第1番 「人、山上にて聞きしこと」 第8番 「英雄の嘆き」 第2番 「タッソ(悲劇と勝利)」 第9番 「ハンガリー」 第3番 「前奏曲」 第10番 「ハムレット」 第4番 「オルフェウス」 第11番 「フン族の戦い」 第5番 「プロメテウス」 第12番 「理想」 第6番 「マゼッパ」 第13番 「ゆりかごから墓場まで」 中でも有名なのが、「前奏曲 Les Preludes 」である。 これはPreludeが複数形になっているので、単に「前奏曲」と訳していいものかどうか疑問である。 「人生は死への前奏曲である」というテーマをもとに、変奏曲形式で書かれている。 「前奏曲」 指揮ウィーン・フィル EMI。 1954年録音。 ART処理されたReferenceシリーズ輸入盤CHS5 66770 2 3CD。 ウィーン・フィルとのスタジオ録音集。 他の収録曲は、「驚愕」、モーツァルトの第40番、「未完成」、シューマン「マンフレッド序曲」、ベルリオーズ「ラコッツィ行進曲」、メンデルスゾーン「フィンガルの洞窟」、ケルビーニ「アナクレオン序曲」、グルックの序曲2曲、ヴェーバーの序曲3曲、シュトラウスの皇帝円舞曲・ピツィカートポルカ。 モーツァルト「魔笛」から夜の女王のアリア2曲。 に次のような記述がある。 要するにフルトヴェングラーは「ノー」と言えない性質でした。 それを考えると彼のスタジオ録音がもう少し残っていてもいいように思えるのですが。 相手方、この場合はレコード会社のほうから、あの曲とかこの曲とかいう風に、具体的に曲目を指定するように、というのが彼の意向でした。 たとえばリストの「プレリュード」などが録音されるようになったのは、そうした理由からでした。 戦後EMIエレクトローラ株式会社の録音部長の任にあったヴァルター・レッゲ氏は、ぜひ「プレリュード」の録音を指揮して欲しい、とかねてから懇請していました。 フルトヴェングラーは、さほどリストを賞賛していたわけではなかったのに、出来上がった録音はすばらしいものでしたし、彼自身も不思議だったそうですが、仕事の間じゅう、けっこう楽しかったといいます。 フルトヴェングラーの変奏の妙味が味わえるスケールの大きな名演である。 2011年1月、フルトヴェングラー生誕125周年で SACD化された。 このSACDは、上記Reference盤3枚組と同じ曲が、同じカップリングで3枚分売で出ている。 指揮ロンドン交響楽団 EMI。 1940年2月28日、キングズウェイ・ホールでの録音。 GREAT CONDUCTORS OF THE 20TH CENTURYシリーズ2枚組に、同日録音の「メフィスト・ワルツ」とともに収録されている。 Paul Bailyによるリマスタリングが施されている。 指揮ベルリン・フィル DG。 1967年録音。 OIBP化された輸入盤2枚組のリスト作品集。 他の収録曲は次の通り。 「メフィスト・ワルツ」 1971 、「ハンガリー幻想曲」 1960,シューラ・チェルカスキー,p 、「マゼッパ」 1961 、「タッソー」 1975 、ハンガリー狂詩曲第2番 1967,第4番と表記 、同第4番 1975,第2番と表記 、同第5番 1975。 「前奏曲」「マゼッパ」「ハンガリー狂詩曲第2番」の3曲は、スメタナ「モルダウ」他とともに1枚でOIBP盤も出ている。 指揮ベルリン・フィル DG。 1983年12月、84年1月、2月録音。 ハンガリー狂詩曲第5番と。 初出は「モルダウ」「舞踏への勧誘」「ウィリアム・テル序曲」とカップリングだったが、私が持っているのは国内盤のカラヤン・ベスト・アルバムで「運命」などとのカップリングのものである。 カレル・アンチェル指揮チェコ・フィル SUPRAPHON。 1964年12月17-18日録音。 ショスタコーヴィチのチェロ協奏曲などとカップリング。 ジュゼッペ・シノーポリ指揮ウィーン・フィル DG。 1996年録音。 他の収録曲は「オルフェウス」「マゼッパ」、ハンガリー狂詩曲第2番。 ヘルマン・シェルヒェン指揮ウィーン国立歌劇場管弦楽団 ウェストミンスター。 1957年ステレオ録音。 2002年、DG傘下に入りOIBP化された輸入盤2枚組で「ハンガリー狂詩曲全6曲」「マゼッパ」「メフィスト・ワルツ第1番」「フン族の戦争」とカップリングである。 ヤノシュ・フェレンチーク指揮ハンガリー国立交響楽団 フンガロトン。 1982年録音。 他の収録曲は「オルフェウス」「タッソー」。 ゲオルク・ショルティ指揮シカゴ響 DECCCA。 1992年6月8日、ザルツブルク祝祭大劇場、聖霊降臨祭コンサートでのライヴ録音。 とカップリング。 アタウルフォ・アルヘンタ指揮スイス・ロマンド管 DECCA。 1955年ステレオ録音。 ORIGINAL REMASTERED RECORDING。 パリ音楽院管とのとカップリング。 フェレンツ・フリッチャイ指揮ベルリン放送交響楽団 DG。 1959年録音。 2001年にOIBP化された盤に買い換えた。 ベルリン・フィルとの「・」とカップリング。 リッカルド・ムーティ指揮フィラデルフィア EMI。 国内廉価盤。 「展覧会の絵」とカップリング ジョス・ファン・インマゼール指揮アニマ・エテルナ ZigZag。 2003年9月21-23日、ブリュージュ・コンセルトヘボウでの録音。 収録曲は、「前奏曲」の他、 「死の舞踏」、交響詩「マゼッパ」、交響詩「ゆりかごから墓場まで」、ハンガリー狂詩曲第1番・第3番。 ピリオド楽器でのリスト初録音。 現代オケだと、ただ派手なだけという曲も、こうして聴くとまた別の味わいがある。 特に「死の舞踏」では、リアン・デ・ヴァールが1886年製エラール・ピアノを弾いている。 たぶんインマゼール所有の楽器である。 このピアノの音色が華やかで、オケとの相性も良い。 (さすがにこの曲ではインマゼールも弾き振りはできなかったか。 ) ハンガリー狂詩曲 ハンガリー狂詩曲は、 もとはピアノ曲であり、全部で19曲ある。 そのうち リストとドップラーにより管弦楽に編曲されているものが6つある。 番号に混乱が見られるため「Searle番号」(グローヴ音楽事典 第5版でのH. Searleによる整理番号)を記載する。 管弦楽編曲版の番号 ピアノ原曲版の番号・調 第1番 ヘ短調 S359-1 第14番 ヘ短調 S244-14 第2番 嬰ハ短調 S359-4(第4番) 第2番 嬰ハ短調 S244-2 第3番 ニ長調 S359-3 第6番 変ニ長調 S244-6 第4番 ニ短調 S359-2(第2番) 第12番 嬰ハ短調 S244-12 第5番 ホ短調 S359-5 第5番 ホ短調「悲愴的な叙情詩」 S244-5 第6番 ニ長調 S359-6 第9番 変ホ長調「ペストの謝肉祭」 S244-9 もっとも有名なものは「第2番 S359-4」である。 ただこの曲で問題なのは、 第2番と第4番の番号表記が入れ替わっていることがあるということである。 「音楽之友社1996年版作曲家別クラシックCD&LD総目録」によれば、そういう入れ替わった表記をすることがあるようなのだ。 また「第2番S359-4」には リスト&ドップラー版(嬰ハ短調)の他に、 ドップラーが単独で編曲した版(ニ短調)、 カール・ミュラー・ベルクハウス版(ハ短調)など別の編曲もある。 それぞれ調が半音ずつ違うのだが、その表記も間違っていたりするので困ったものである。 アルトゥール・ニキシュ指揮ベルリン・フィル DG。 1920年録音。 第1番。 「運命」とカップリング。 レオポルド・ストコフスキ指揮フィラデルフィア管弦楽団 GRAMMOFONO。 1936年SP復刻。 第2番。 「新世界」とカップリング。 レオポルド・ストコフスキ指揮RCAビクター交響楽団 RCA。 1960年録音。 第2番。 「悲愴」とカップリング。 当盤の解説によればストコフスキーは カール・ミュラー・ベルクハウス版(ハ短調)を使用しているはずなのに、ディスクでの表記は嬰ハ短調になっている。 その後の演奏も頻繁にテンポ・ルバートがなされるが、曲が曲だけにハマっている。 指揮ベルリン・フィル DG。 上記OIBP化された輸入盤2枚組のリスト作品集。 第2番S359-4 第4番と表記,1967年録音 、 第4番S359-2 第2番と表記,1975年録音 、 第5番 1975年録音。 リスト&ドップラー版の第2番S359-4は、ベルリン・フィルの 分厚い弦のユニゾンで始まる格調高い演奏だ。 ところでこの第2番S359-4は、「前奏曲」「マゼッパ」やスメタナの「モルダウ」などとカップリングのオリジナルス・シリーズ第1弾のOIBP盤1枚でも出ている。 それにはLP初発売時のジャケット写真がのっているのだが、それを見ると1968年発売のLPではちゃんと「第2番」と表記している。 「第4番・第5番」を1960年にもDGに録音しているが持っていない(この旧録音の第4番も初出LPではちゃんと「第4番」と表記されていた)。 また「第5番」は1983-84年にも「前奏曲」とともにデジタル録音しており、こちらは上記のように国内編集盤でもっている。 指揮フィルハーモニア管弦楽団 EMI。 1958年1月、ステレオ録音。 リスト&ドップラー版の 第2番S359-4。 GREAT CONDUCTORSシリーズ2枚組に収録。 このCDの表記もめちゃめちゃである。 「Hungarian Rhapsody in D-minor, S359 No. 「D-minor, S359 No. 2」ならば第4番になってしまうではないか! ちなみにレコ芸別冊「カラヤン」のディスコグラフィ170番のところでは「第2番ミュラー・ベルクハウス版」と書かれている。 何ともはや... ジュゼッペ・シノーポリ指揮ウィーン・フィル DG。 1996年録音。 第2番。 上記「前奏曲」などとカップリング。 私が持っている輸入盤には、タイトルに「no. 2 Searle 244 no. 2」とピアノ原曲の番号を記した下に「Orchestral Version no. 4 : Franz Doppler」とある。 DGが原曲第2番のオケ版を第4番としていることがハッキリわかる。 ドップラー単独編曲である。 カラヤン盤と異なり、 冒頭はトランペットで始まる、ややアッサリ味の編曲である。 ヘルマン・シェルヒェン指揮ウィーン国立歌劇場管弦楽団 ウェストミンスター。 1959年録音。 全6曲ステレオ録音である。 2002年、DG傘下に入りOIBP化された輸入盤2枚組で「前奏曲」「マゼッパ」「メフィスト・ワルツ第1番」「フン族の戦争」とカップリングである。 さて、この録音での「第2番」は、シノーポリと同じくトランペットで始まるので「 ドップラー単独編曲」と思われる。 にもかかわらず、カラヤン盤と同様「第4番」と記載されている。 この盤には次のような但し書きが書いてある。 Numbering according to The New Grove, 2nd Edition,2001 なるほど。 だんだん話が見えてきた。 グローヴ音楽事典がSearle番号を採用した時に、DGがそれを採用したということか。 (上記の表を見ればわかるように、Searle番号の順に並べると第2番と第4番が逆になる。 )しかし、他のレーベルでは、それ以前の番号がしぶとく使われており、なかなか「グローヴ音楽事典 & DG」がスタンダードにならないということなわけだ。 フェレンツ・フリッチャイ指揮ベルリン放送交響楽団 DG。 1954年、イエス・キリスト教会でのモノラル録音。 2003年にeloquenceシリーズでモノラル録音の「新世界」とカップリングで 第1番、第2番の2曲。 さて、このCDは2003年リリースと新しいのだから、DGは上記のいきさつからするならSearle番号通り有名な第2番は「第4番」と表記すると思いきや「Nr. 2 d-moll」と表記されている。 ちょっと待て? d-mollつまりニ短調ならばドップラー単独編曲版の調ではないか。 しかし演奏を聴けばカラヤン盤同様、重厚な弦楽合奏で始まっているからリスト&ドップラー版であり、ならば「嬰ハ短調」の間違いだろう。 本当にこの曲の表記は混乱している。 ジョス・ファン・インマゼール指揮アニマ・エテルナ ZigZag。 2003年9月21-23日、ブリュージュ・コンセルトヘボウでの録音。 上記「前奏曲」の他の盤に 第1番・第3番の2曲が収録されている。 ファウスト交響曲 レナード・バーンスタイン指揮ボストン交響楽団 タングルウッド音楽祭合唱団、ケネス・リーゲル T DG。 OIBP化。 1976年録音。 「ファウスト交響曲」。 指揮シカゴ響 RCA。 LIVING STEREO。 メフィスト・ワルツ。 「悲愴」とカップリング。

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第416話 『ハンガリー狂詩曲(管弦楽版)』 リスト

リスト ハンガリー狂詩曲

楽曲解説 - ハンガリー狂詩曲 第5番 ホ短調 「悲しい英雄物語」 一般に「ハンガリー狂詩曲」の名で親しまれている作品集は全19曲からなるが、その創作は2期に分かれている。 1851年から53年にかけて出版された第1番から第15番までの作品は、リストが1839年と1846年にハンガリー訪問をしたことがきっかけで作られた作品群がそのルーツとなっている。 一方、第16番から第19番までの作品は、晩年の1882年から85年にかけて作られたものである。 リストが「ハンガリー的なもの」として考えていた音楽が、厳密にはそうではないということは民謡収集などの研究によって今や明白であるが、この曲集はリストなりのハンガリー音楽の研究成果であり、その内容をとがめるのはナンセンスである。 リストの考える「ハンガリー的なもの」とは、ジプシー楽団によって演奏された音楽であり、彼らは聴衆の求めに応じて土着の民謡の他、聴衆になじみの深い音楽などを「彼らのスタイル」で演奏した。 第5番 ホ短調「悲しい英雄物語」。 付点リズムを伴ったアウフタクトをもつ冒頭主題の音型は紛れもなく葬送行進曲である。 この葬送行進曲の部分と、3連音符の伴奏の上に甘美な旋律が歌われる部分が交互にあらわれる構成。 レヴィツキ伯爵夫人に献呈。 「ピティナ・ピアノ曲事典」より 作曲家解説 - リスト,フランツ ハンガリー系のドイツのピアニスト、作曲家。 本人はハンガリー語を母国語として解さずその文化も異質なものであったが、自らの血統を強く意識していた。 ヨーロッパ中をその活動地とし、ドイツ語圏のほかはパリ、ローマで活躍した。 神童としてヴィーン、次いでパリにデビューした。 若くして演奏家として名を挙げたリストは、しかし、いったん華やかな社交界を辞してスイスへ移り住み、自らの音楽性を探求する日々を送る。 これが《旅人のアルバム》、《巡礼の年報》に実を結んだ。 また、39年にイタリアで表舞台に復帰した後に《ダンテを読んで》《ペトラルカのソネット》などが生まれるのも、その延長上の成果である。 その後の8年間でリストは、ヴィルトゥオーゾとしてヨーロッパ全土に熱狂を巻き起こした。 が、演奏旅行に明け暮れる生活をやめ、作曲に専念することを決意する。 1848年、ヴァイマル宮廷楽団の常任指揮者となり、居を構えた。 ここでリストは、自らの管弦楽曲、とりわけ交響詩と標題交響曲のための実験を繰り返し、大規模作品を完成させていく。 また鍵盤作品にも《超絶技巧練習曲》、ピアノ・ソナタロ短調などがある。 しかし53年にヴァイマル大公が代替わりすると、61年にはローマへ赴いた。 やがてまた、69年にはヴァイマルでピアノの教授活動を再開、のちにブダペストでもピアノのレッスンをうけもち、ローマと併せて3つの都市を行き来する生活となった。 晩年は彼のもとを訪れた多くの音楽家を温かく励まし、優れた弟子を世に送り出した。 生涯を通じて音楽の未来を信じ、つねに音楽の歴史の「前衛」であろうとした。 リストが音楽史上最大の技術を持つピアニストであったことは、彼が「自分のために」作曲した数々の難曲と、当時の演奏会評から確かめられよう。 また、レパートリーもきわめて広範囲に及び、当時はまだ決して一般に広まっていたとはいえないバッハの対位法作品から、音楽的に対立する党派といわれたシューマンの作品まで、ありとあらゆるものを取り上げた。 更にリストは、従来さまざまなジャンルや編成と複数の出演者で行っていた公開演奏会の形式を改め、自分ひとりで弾きとおすリサイタルを始め、集中力のより高い演奏会を作り出した。 「ピティナ・ピアノ曲事典」より 演奏家解説 - シフラ,ジョルジュ ハンガリー出身のピアニスト。 超絶技巧で名高い。 Gyorgy Cziffra とも明記する。 ブダペストにてロマの家系に生まれる。 5歳のときに、居酒屋やサーカスで民謡を主題とする即興演奏を行なって有名になる。 ブダペストのフランツ・リスト音楽院に入学し、エルネー・ドホナーニらに師事。 実際のところ生演奏では、シフラの豪快な演奏に酔いしれた聴衆が、演奏の途中でやんやの大喝采を送ることも稀ではなかった。 いずれにせよシフラが不世出のヴィルトゥオーソであり、即興演奏の達人であった事実はほとんど疑いようがない。 楽曲解説 - ハンガリー狂詩曲 第5番 ホ短調 「悲しい英雄物語」 一般に「ハンガリー狂詩曲」の名で親しまれている作品集は全19曲からなるが、その創作は2期に分かれている。 1851年から53年にかけて出版された第1番から第15番までの作品は、リストが1839年と1846年にハンガリー訪問をしたことがきっかけで作られた作品群がそのルーツとなっている。 一方、第16番から第19番までの作品は、晩年の1882年から85年にかけて作られたものである。 リストが「ハンガリー的なもの」として考えていた音楽が、厳密にはそうではないということは民謡収集などの研究によって今や明白であるが、この曲集はリストなりのハンガリー音楽の研究成果であり、その内容をとがめるのはナンセンスである。 リストの考える「ハンガリー的なもの」とは、ジプシー楽団によって演奏された音楽であり、彼らは聴衆の求めに応じて土着の民謡の他、聴衆になじみの深い音楽などを「彼らのスタイル」で演奏した。 第5番 ホ短調「悲しい英雄物語」。 付点リズムを伴ったアウフタクトをもつ冒頭主題の音型は紛れもなく葬送行進曲である。 この葬送行進曲の部分と、3連音符の伴奏の上に甘美な旋律が歌われる部分が交互にあらわれる構成。 レヴィツキ伯爵夫人に献呈。 「ピティナ・ピアノ曲事典」より 作曲家解説 - リスト,フランツ ハンガリー系のドイツのピアニスト、作曲家。 本人はハンガリー語を母国語として解さずその文化も異質なものであったが、自らの血統を強く意識していた。 ヨーロッパ中をその活動地とし、ドイツ語圏のほかはパリ、ローマで活躍した。 神童としてヴィーン、次いでパリにデビューした。 若くして演奏家として名を挙げたリストは、しかし、いったん華やかな社交界を辞してスイスへ移り住み、自らの音楽性を探求する日々を送る。 これが《旅人のアルバム》、《巡礼の年報》に実を結んだ。 また、39年にイタリアで表舞台に復帰した後に《ダンテを読んで》《ペトラルカのソネット》などが生まれるのも、その延長上の成果である。 その後の8年間でリストは、ヴィルトゥオーゾとしてヨーロッパ全土に熱狂を巻き起こした。 が、演奏旅行に明け暮れる生活をやめ、作曲に専念することを決意する。 1848年、ヴァイマル宮廷楽団の常任指揮者となり、居を構えた。 ここでリストは、自らの管弦楽曲、とりわけ交響詩と標題交響曲のための実験を繰り返し、大規模作品を完成させていく。 また鍵盤作品にも《超絶技巧練習曲》、ピアノ・ソナタロ短調などがある。 しかし53年にヴァイマル大公が代替わりすると、61年にはローマへ赴いた。 やがてまた、69年にはヴァイマルでピアノの教授活動を再開、のちにブダペストでもピアノのレッスンをうけもち、ローマと併せて3つの都市を行き来する生活となった。 晩年は彼のもとを訪れた多くの音楽家を温かく励まし、優れた弟子を世に送り出した。 生涯を通じて音楽の未来を信じ、つねに音楽の歴史の「前衛」であろうとした。 リストが音楽史上最大の技術を持つピアニストであったことは、彼が「自分のために」作曲した数々の難曲と、当時の演奏会評から確かめられよう。 また、レパートリーもきわめて広範囲に及び、当時はまだ決して一般に広まっていたとはいえないバッハの対位法作品から、音楽的に対立する党派といわれたシューマンの作品まで、ありとあらゆるものを取り上げた。 更にリストは、従来さまざまなジャンルや編成と複数の出演者で行っていた公開演奏会の形式を改め、自分ひとりで弾きとおすリサイタルを始め、集中力のより高い演奏会を作り出した。 「ピティナ・ピアノ曲事典」より 演奏家解説 - カンパネッラ,ミッチェル イタリア出身のピアニスト。 楽曲解説 - ハンガリー狂詩曲 第5番 ホ短調 「悲しい英雄物語」 一般に「ハンガリー狂詩曲」の名で親しまれている作品集は全19曲からなるが、その創作は2期に分かれている。 1851年から53年にかけて出版された第1番から第15番までの作品は、リストが1839年と1846年にハンガリー訪問をしたことがきっかけで作られた作品群がそのルーツとなっている。 一方、第16番から第19番までの作品は、晩年の1882年から85年にかけて作られたものである。 リストが「ハンガリー的なもの」として考えていた音楽が、厳密にはそうではないということは民謡収集などの研究によって今や明白であるが、この曲集はリストなりのハンガリー音楽の研究成果であり、その内容をとがめるのはナンセンスである。 リストの考える「ハンガリー的なもの」とは、ジプシー楽団によって演奏された音楽であり、彼らは聴衆の求めに応じて土着の民謡の他、聴衆になじみの深い音楽などを「彼らのスタイル」で演奏した。 第5番 ホ短調「悲しい英雄物語」。 付点リズムを伴ったアウフタクトをもつ冒頭主題の音型は紛れもなく葬送行進曲である。 この葬送行進曲の部分と、3連音符の伴奏の上に甘美な旋律が歌われる部分が交互にあらわれる構成。 レヴィツキ伯爵夫人に献呈。 「ピティナ・ピアノ曲事典」より 作曲家解説 - リスト,フランツ ハンガリー系のドイツのピアニスト、作曲家。 本人はハンガリー語を母国語として解さずその文化も異質なものであったが、自らの血統を強く意識していた。 ヨーロッパ中をその活動地とし、ドイツ語圏のほかはパリ、ローマで活躍した。 神童としてヴィーン、次いでパリにデビューした。 若くして演奏家として名を挙げたリストは、しかし、いったん華やかな社交界を辞してスイスへ移り住み、自らの音楽性を探求する日々を送る。 これが《旅人のアルバム》、《巡礼の年報》に実を結んだ。 また、39年にイタリアで表舞台に復帰した後に《ダンテを読んで》《ペトラルカのソネット》などが生まれるのも、その延長上の成果である。 その後の8年間でリストは、ヴィルトゥオーゾとしてヨーロッパ全土に熱狂を巻き起こした。 が、演奏旅行に明け暮れる生活をやめ、作曲に専念することを決意する。 1848年、ヴァイマル宮廷楽団の常任指揮者となり、居を構えた。 ここでリストは、自らの管弦楽曲、とりわけ交響詩と標題交響曲のための実験を繰り返し、大規模作品を完成させていく。 また鍵盤作品にも《超絶技巧練習曲》、ピアノ・ソナタロ短調などがある。 しかし53年にヴァイマル大公が代替わりすると、61年にはローマへ赴いた。 やがてまた、69年にはヴァイマルでピアノの教授活動を再開、のちにブダペストでもピアノのレッスンをうけもち、ローマと併せて3つの都市を行き来する生活となった。 晩年は彼のもとを訪れた多くの音楽家を温かく励まし、優れた弟子を世に送り出した。 生涯を通じて音楽の未来を信じ、つねに音楽の歴史の「前衛」であろうとした。 リストが音楽史上最大の技術を持つピアニストであったことは、彼が「自分のために」作曲した数々の難曲と、当時の演奏会評から確かめられよう。 また、レパートリーもきわめて広範囲に及び、当時はまだ決して一般に広まっていたとはいえないバッハの対位法作品から、音楽的に対立する党派といわれたシューマンの作品まで、ありとあらゆるものを取り上げた。 更にリストは、従来さまざまなジャンルや編成と複数の出演者で行っていた公開演奏会の形式を改め、自分ひとりで弾きとおすリサイタルを始め、集中力のより高い演奏会を作り出した。 「ピティナ・ピアノ曲事典」より 演奏家解説 - ピサロ,アルトゥール ポルトガル、リスボン生まれのピアニスト。 楽曲解説 - ハンガリー狂詩曲 第5番 ホ短調 「悲しい英雄物語」 一般に「ハンガリー狂詩曲」の名で親しまれている作品集は全19曲からなるが、その創作は2期に分かれている。 1851年から53年にかけて出版された第1番から第15番までの作品は、リストが1839年と1846年にハンガリー訪問をしたことがきっかけで作られた作品群がそのルーツとなっている。 一方、第16番から第19番までの作品は、晩年の1882年から85年にかけて作られたものである。 リストが「ハンガリー的なもの」として考えていた音楽が、厳密にはそうではないということは民謡収集などの研究によって今や明白であるが、この曲集はリストなりのハンガリー音楽の研究成果であり、その内容をとがめるのはナンセンスである。 リストの考える「ハンガリー的なもの」とは、ジプシー楽団によって演奏された音楽であり、彼らは聴衆の求めに応じて土着の民謡の他、聴衆になじみの深い音楽などを「彼らのスタイル」で演奏した。 第5番 ホ短調「悲しい英雄物語」。 付点リズムを伴ったアウフタクトをもつ冒頭主題の音型は紛れもなく葬送行進曲である。 この葬送行進曲の部分と、3連音符の伴奏の上に甘美な旋律が歌われる部分が交互にあらわれる構成。 レヴィツキ伯爵夫人に献呈。 「ピティナ・ピアノ曲事典」より 作曲家解説 - リスト,フランツ ハンガリー系のドイツのピアニスト、作曲家。 本人はハンガリー語を母国語として解さずその文化も異質なものであったが、自らの血統を強く意識していた。 ヨーロッパ中をその活動地とし、ドイツ語圏のほかはパリ、ローマで活躍した。 神童としてヴィーン、次いでパリにデビューした。 若くして演奏家として名を挙げたリストは、しかし、いったん華やかな社交界を辞してスイスへ移り住み、自らの音楽性を探求する日々を送る。 これが《旅人のアルバム》、《巡礼の年報》に実を結んだ。 また、39年にイタリアで表舞台に復帰した後に《ダンテを読んで》《ペトラルカのソネット》などが生まれるのも、その延長上の成果である。 その後の8年間でリストは、ヴィルトゥオーゾとしてヨーロッパ全土に熱狂を巻き起こした。 が、演奏旅行に明け暮れる生活をやめ、作曲に専念することを決意する。 1848年、ヴァイマル宮廷楽団の常任指揮者となり、居を構えた。 ここでリストは、自らの管弦楽曲、とりわけ交響詩と標題交響曲のための実験を繰り返し、大規模作品を完成させていく。 また鍵盤作品にも《超絶技巧練習曲》、ピアノ・ソナタロ短調などがある。 しかし53年にヴァイマル大公が代替わりすると、61年にはローマへ赴いた。 やがてまた、69年にはヴァイマルでピアノの教授活動を再開、のちにブダペストでもピアノのレッスンをうけもち、ローマと併せて3つの都市を行き来する生活となった。 晩年は彼のもとを訪れた多くの音楽家を温かく励まし、優れた弟子を世に送り出した。 生涯を通じて音楽の未来を信じ、つねに音楽の歴史の「前衛」であろうとした。 リストが音楽史上最大の技術を持つピアニストであったことは、彼が「自分のために」作曲した数々の難曲と、当時の演奏会評から確かめられよう。 また、レパートリーもきわめて広範囲に及び、当時はまだ決して一般に広まっていたとはいえないバッハの対位法作品から、音楽的に対立する党派といわれたシューマンの作品まで、ありとあらゆるものを取り上げた。 更にリストは、従来さまざまなジャンルや編成と複数の出演者で行っていた公開演奏会の形式を改め、自分ひとりで弾きとおすリサイタルを始め、集中力のより高い演奏会を作り出した。 「ピティナ・ピアノ曲事典」より 演奏家解説 - カツァリス,シプリアン マルセイユでギリシア系キプロス人の家庭に生まれる。 両親と共にアフリカのカメルーンに移住。 4歳でピアノのレッスンを始める。 1964年、パリ音楽院に入学。 ピアノをアリーヌ・ヴァン・バランヅァンとモニーク・ド・ラ・ブリュショルリに師事。 1969年、ピアノで最優秀賞を受ける。 さらに室内楽をルネ・ルロワとジャン・ユボーに学び、1970年に最優秀賞を受ける。 1966年5月8日、シャンゼリゼ劇場にて、パリで最初の公開コンサートを開く。 1974年、ヴェルサイユでジョルジュ・シフラ国際ピアノコンクールに出場し、最優秀賞を受けたことが彼のキャリアの始まりとなった。。 演奏は超絶技巧的な面と詩人的な面を併せ持ち、内声の処理が非常に巧みである。 現在は、カツァリス自身が設立したレーベル「PIANO21」において様々なレコーディングや自身の過去の録音の復刻を行っている。

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