大相撲 横綱。 歴代横綱の成績表!在位数が長い横綱、短い横綱。優勝回数が多い横綱、少ない横綱は?

横綱昇進条件について

大相撲 横綱

第35代横綱・ (在位1938 - 1945年) 横綱(よこづな)は、のの格付け()における最高位のである。 語源的には、横綱だけが腰に締めることを許されている白麻製のの名称に由来する。 現行制度では横綱に降格はなく、現役によってのみその地位から降りる。 従って、横綱になる力士はその地位にふさわしい と抜群の 力量を要求される。 大相撲においては、横綱は、全ての力士を代表する存在であると同時に、のであることの証とされている。 それ故、は、病気・故障等の場合を除き、現役横綱の義務である。 横綱は、天下無双であるという意味を込めて「」( ひのしたかいさん)と呼ばれることもある。 なお、現役の力士が横綱の地位を狙うことを「 綱取り」と呼んでいる。 では横綱も力士として、15日間毎日取組が組まれている。 1789年11月に昇進した第5代横綱・小野川喜三郎の そして(寛政3年)、第11代将軍・の上覧相撲において(の谷風)とが行った紙垂をたらした純白の綱をつけた土俵入りが天下公認となり、横綱が誕生することになった。 しかし、次にが免許を受けるまで38年も実力者(など)がいたにも関わらず免許がなく、阿武松免許の直前に、が当時の両大関・に横綱を免許したため、吉田司家は、横綱免許を制度化した感がある。 この頃、横綱のステータスはまだ認知されていなかったのか、玉垣・柏戸が免許を受けたので横綱土俵入りをしたという記録は見つかっていない。 阿武松より、本場所で土俵入りするようになり、幣(しで。 綱につける紙の飾り)の形が現在と同じ(紙の長さ方向ではなく、幅方向に折り返すもの)となった。 それから江戸相撲では、吉田司家が横綱免許を与えた者が正式な横綱として認められるようになり、途切れることなく現役横綱力士が存在した。 もともと当初は、「大関」の地位の中で横綱を付けられる者のことを「横綱」と呼んでいた(谷風・小野川は関脇で横綱になっている。 また、不知火諸右衛門は横綱免許後に関脇で取っている。 このことから横綱になることを「綱を張る」と表現する。 また、横綱は、当初、横綱免許を持つ大関に対する名誉称号に過ぎなかったため、番付では大関が最高位であった。 それゆえ、雷電爲右エ門のように現在なら当然横綱に値するような成績を残しながら横綱免許を受けなかった強豪大関も少なくない。 当時の力士の多くはの御抱えであり、その力関係や派閥争いの影響で、横綱を逃すケースもあったと考えられる。 このように第16代横綱・の時代までは横綱は名誉称号という性格が強かったが、(明治23年)5月場所からは番付に横綱の文字が掲載されるようになった。 これは初代西ノ海嘉治郎が東正大関小錦八十吉に対して東張出大関にされ下風に立ったような形になった西ノ海をなだめる方法として横綱と記したのである。 そして、(明治42年)には相撲規約改正に伴い横綱の称号が地位として定められることになった。 「横綱は大関の中の強豪」という考え方が一般的になると、での成績によって横綱を免許されるようになった。 その最初のケースは、第17代横綱・だったと言われている。 明治初期はの有力者が後援者として力士を番付面で優遇して誕生させた「」も存在したが、近代としての体裁を整える中でこれらは姿を消した。 現在はがの諮問を仰ぎ、独自に推挙する。 横綱が大関の名誉称号であった時代の横綱に対しては「横綱を免許される」、地位となって以降は「横綱に昇進する」という様に、表現を使い分ける場合もある。 但し、誰までが「免許」で誰からが「昇進」かはっきりした基準があるわけでもなく、区分は明確ではない。 第15代横綱・までは番付が大関のままだったのでこれを基準とする見方や、第19代横綱・と20代横綱・の同時免許(このときの代数は、年長の常陸山を19代と決めている)で横綱は大関の上位と認識されるようになったのでこれを基準とする見方、史上初の相撲協会推挙による横綱である第41代横綱・を基準とする見方がある。 現在行われている歴代は、第12代横綱・が1900年にに建立した「」を基にしているため、伝説上の人物などを含む。 横綱免許 [ ] 元々横綱という言葉は谷風梶之助・小野川喜三郎以前にもあったとされるが、吉田司家が谷風・小野川に与えた新スタイルの横綱は何をベースにしたのか、いまだにはっきりしていない。 江戸初期の頃、邸宅を立てる時の地鎮祭に当時の大関を2人呼び、地面にたくさんの綱を張った中で四股を踏ませた。 このお祓いの地踏みに参加する資格を与えられることを「横綱之伝」と言ったとされるが、これが歴史的事実であるかどうかは極めて疑わしいとされている。 腰に巻いた綱は寛政から50年ほど前に、大坂相撲の強豪力士の間で黒と白のツートンカラーの太い綱を巻くブームがありそれを応用したとする指摘もあるが、この白黒の綱には四手も垂らされておらず、1人土俵入りを行ったわけでもないので、化粧まわしの装飾品だったと考える方が自然である。 (寛政元年)11月、江戸相撲の司家であったが谷風と小野川に横綱を授与したのが、横綱免許の始めとされる(なお、代数は前述の陣幕によって定められたものが、相撲協会によって公認された)。 吉田司家以外にも横綱免許を出したところは数多く存在したが、吉田司家は年間((文政元年) - (天保元年))に主君である主の威を背景として京都五条家との免許権争いに勝利する。 これにより吉田司家による横綱免許の授与が制度化され、江戸相撲では吉田司家の免許を持つ者が正式な横綱として認められるようになった。 横綱免許は明石志賀之助を最初とする説あり(江戸勧進相撲-記録があるようなので横綱免許は間違いないが明石以前にも横綱がいる可能性がある。 )協会公認3代の丸山権太左衛門と協会公認2代の綾川五郎次は実は逆の順番であるとする説もあり、一時期読売『大相撲』誌ではそれに基づいた横綱一覧を掲出していた。 吉田司家は初期ににして一時期権威を失うが、(明治17年)に免許を受けた第15代横綱・初代梅ヶ谷が吉田司家の免許を希望し、復権する。 にも吉田司家の免許を持つ公認横綱が4人存在する。 現在では吉田司家以外の免許を持つ力士は後に吉田司家の追認を受けた力士を除くと、歴代横綱として認められていない。 ただし、京都相撲のは正式な番付への掲載がなく((明治16年)1月は番付外幕内格、5月は客席格)、免許は巡業専用であったと解釈されているため追認されていない。 吉田司家の横綱免許を歴代横綱としている現在、吉田司家免許の記録がある以上、本来追認するのが妥当であるとされる(実力はかなり弱いと記述有り)。 また、は大関陥落後に長年の功績によって吉田司家から1日限定の横綱免許を与えられているがこれも歴代横綱に数えられていない。 吉田司家以外の免許で土俵入りを行った力士の中には吉田司家に遠慮して綱の色(黄色が多かったという)を変えたり吉田司家の地元では土俵入りを行わなかったりする者もいた。 吉田司家以外から横綱免許の話を持ち掛けられたが断った力士も存在する。 後述の通り、横綱免許を巡る事件も幾つか発生している。 以降、第40代横綱・までの横綱は、吉田司家で行われる本免許状授与式で免許を授与され、奉納の土俵入りを行うことが通例であった。 しかし、(昭和25年)に横綱の濫造を指摘された日本相撲協会が横綱の権威を保つために、横綱免許の家元である吉田司家ではなく、相撲に造詣が深い有識者に横綱を推挙してもらうことを目的として横綱審議委員会(横審)を発足させたことで、(昭和26年)5月場所後の第41代横綱・千代の山以降に吉田司家の横綱本免許状授与式は廃止となり行われていない。 慣例として、九州巡業や(九州場所)前に新横綱がの吉田司家を表敬訪問し、土俵入りを披露する慣わしも踏襲されたが、司家の経済問題による日本相撲協会との絶縁により、(昭和61年)に昇進した第60代横綱・以降の横綱は事実上廃止となり、これを行っていない。 横綱を世襲表現のように何代目(歴代横綱)と呼ぶのは、明治期より流行った呼び方のようで正しい日本語表現とはいえないと、が唱え、何人目(歴次横綱)と呼ぶべきだと主張し、読売系の一部のマスコミやファンが好んでこの表現を使っている。 ただし、協会公認の横綱一覧や、の展示では、何代目の表示がされているので、本項目はそれに従う。 非公認横綱 [ ] 相 撲 四股名 免 許 備考 五条家免許 五条家免許 神理教免許 吉田司家 長年の功績を讃える一日限りの特例免許 五条家免許 五条家免許 五条家免許 吉田司家 巡業用の特例免許 横綱土俵入り [ ] 詳細は「」を参照 横綱力士は、自身の横綱を締め、「」・「」を従えて横綱土俵入り(現在の型には雲龍型と不知火型の2種類が有る)を行う。 横綱土俵入りに太刀持ち、露払いを従えるようになったのは年間((天保元年) - (弘化元年))と伝わる。 横綱土俵入りは現役の横綱にしか許されない特権かつ義務であり、横綱経験者であっても自身の引退相撲を最後にこれを行うことはできない。 唯一の例外として、を迎えた時に赤い横綱を締めて行う「」(当時の親方、元の還暦土俵入り)がある。 横綱土俵入りは、セレモニーとして大相撲の最大の華であり、かつ横綱の権威を示すものでもあり、いやが上にも横綱の責任を大変重いものにしていると言える。 なお、露払いや太刀持ちには、引退相撲や還暦土俵入りなど特別な場合は横綱が付き従うことがあるが、それ以外の場合は関脇以下(本来は大関でもよいのだが、実際に大関在位中の者が付き従うことは非常に珍しい)の幕内力士が務める。 横綱が還暦や引退の土俵入りに付き従う場合でも、自分の土俵入りと同じく綱を締める。 露払い・太刀持ちとして付き従う力士は、通常、同じの力士の中から選ばれる。 地方巡業などでは、開催地の地元出身の力士などが一門外であっても起用される事がある。 また、当日にその横綱力士と対戦する幕内力士は露払いや太刀持ちを行わず、代わりの力士が起用される。 引退後、新たな横綱が誕生した際に横綱土俵入りの型と作法を伝授する事も、横綱を務め上げた力士にとっては重要な責務である。 横綱力士が締める綱 [ ] 材料はで3本の小縄を縒り合わせて両端を細く、中央部分を最も太くなるように作る。 3本の小縄にはそれぞれ線が芯として入れられている。 力士の横綱昇進時に新しく作り、以降は現在では東京場所毎に作り直す。 綱を作る作業は「綱打ち式」と呼ばれ、の力士を総動員して行う。 部屋が少人数の場合は同じ一門で綱打ち式の経験のある他の部屋の力士も動員することも多い。 土俵入りの型によって締め方が異なり、雲龍型は輪を一つ、不知火型は輪を二つ作る締め方をする。 このため、横綱力士の体格にもよるが概して不知火型用の綱は雲龍型用の綱より長く重くなる傾向にある。 歴代横綱の中で現存する写真の限りでは大坂相撲の(第23代)と(第29代、大坂相撲在籍時に限る)は、締めている綱の縒り方が逆になっている。 新横綱になったばかりの(第30代、のち3代西ノ海嘉治郎)と宮城山福松の両横綱の写真(右が宮城山福松) によると、2人の綱の縒り方が違っているのが確認できる。 源氏山の綱が現在の綱の縒り方(いわゆるZ縒り)である。 また、(第37代)も(昭和19年)以降逆に縒った綱を締めている。 特権と責務 [ ] 横綱力士は現役を退くまでその地位を保証されるが、その責として、 出場する際には常に最高レベルの相撲内容・成績を求められる。 大関以下の力士は、技量が衰えてもその時の実力に見合った番付で比較的長く現役を続けることができるが、これは横綱には許されず、横綱の地位に見合った高レベルの実力を発揮できなければ引退する以外に道はない(かつてが成績不振を理由に大関への降格を相撲協会に申し出たことがあったが認められなかった)。 そのため、負傷等により若くして引退に追い込まれる横綱も少なくない。 一方、横綱は負傷や体調不良を理由に休場しても番付が下がることはないため、横綱が本場所で高レベルの成績を出せる自信のない場合は長期休場することも珍しくない。 所属の規模にもよるが、横綱には通例10 - 15人程度のが付く。 綱を締めるために人手を必要とする事情もあって、大関以下のに比してその数は非常に多い。 また大関以下には無い三ツ揃いの化粧廻しと綱を持っているため、これを入れる必要上は支度部屋に3つまで持ちこむことが認められている(大関以下の力士は1つしか持てない)。 大相撲の番付の規則では、横綱はいなくても構わないが、大関は必ず最低2名(東西1名ずつ)は存在していなければならないため、大関が不在の時は2名(東西両方)、1名の時は1名(東と西のどちらか一方)、横綱が番付上「」として大関の地位を兼ねる。 日本相撲協会がであった時代は、日本国籍を有する横綱は評議員として役員選挙の投票権をもっていたが、協会がとなったときに廃止された。 横綱は、を持たなくても現役引退後5年間は現役時ののままで(委員待遇)として協会に残ることができる。 また、師匠の了承があれば、引退後1年以上の経過をもって部屋を新設することもできる。 巡業等、公式の移動においては、大関と同様、鉄道は、飛行機はを利用することができる。 また東京での本場所の際に両国国技館の地下駐車場に直接自家用車を乗り入れ、駐車することもできる(ただし、現役力士の自家用車の運転は協会の内規で禁止されていて、これは横綱であっても例外ではない。 したがって別に運転手を確保する必要がある)。 昇進 [ ] 横綱審議委員会への諮問 [ ] 詳細は「」を参照 理事会で横綱昇進が決定すると、協会の使者として理事と審判委員各1名ずつが当該力士のもと(通常、東京場所なら所属部屋、地方場所なら宿舎である旅館・寺社など)にその旨を伝達に訪れ、「 昇進伝達式」が行われる。 昇進伝達の使者は、当該力士が属する一門の年寄が務めるのが通例である。 当該大関は、所属部屋の夫妻を両脇に従えて使者を出迎え、「謹んで御受け致します」「横綱の地位を汚さぬ様」「稽古に(相撲道に)精進致します」「本日は誠に有り難う御座いました」といったほぼ定型の口上で応じる。 当該力士は、 新番付の発表を待たずにこの時点で横綱として扱われる。 よって昇進伝達式の後、翌場所の番付発表までは、横綱ではあっても同じ横綱の中での順位(東か西か、あるいは正位か2枚目以降(以前の張出)か)がまだ発表されていない状態となる(ただし近年のケースでは、翌場所の番付では新横綱は原則同じ横綱の中で最下位となる)。 横綱昇進前3場所成績 [ ] 明治神宮での関の奉納土俵入り(2017年1月27日撮影)• 一場所15日制が定着した(昭和24年)以降。 800 1回• 太字は (2年)現在で現役中。 玉の海は当時玉乃島、2代目若乃花は当時若三杉。 昇進場所から改名したため推挙状は玉乃島正夫および若三杉壽人名義だった。 双羽黒も当時北尾だったが推挙状は既に双羽黒名義だった。 優勝は昇進時での通算。 横綱をめぐる議論 [ ] 横綱制度をめぐる議論は、横綱不在となったり、そのおそれがあるような時、あるいは逆に横綱力士が揃って不調である様な時、しばしば提起される。 ただし、多くは好角家の間での議論に留まる。 過去には協会内部で横綱制度の見直しが論じられたこともあり、(昭和26年)には一度は横綱降格制度を検討したが、この時は見送られた。 以降は制度の抜本的な見直しではなく、制度の柔軟な運用で対応するというのが、相撲協会の基本的な姿勢である。 横綱の存在それ自体についても、かつてのような名誉称号でなく地位であるとするならば、その昇進に運不運の不公平があろうとも、大関等と同じく常時東西に1名ずつ常設すべきなのではないか、という意見もある一方、寧ろ名誉称号に戻すべきだとする意見もある。 横綱降格制度の是非は、その地位を陥落することがないことを特権と見るかどうかによって、正反対の視点から論じられる。 つまり、どれだけ負けても休んでもその地位を保障されるのは、近代スポーツとしては余りに不合理であるという点からの主張と、その地位を降りることが出来ないために若くして引退に追い込まれる横綱もあり、大関への降格やその位置から再起する選択肢も与えるべきではないかという点からの主張である。 昇進基準 [ ] 横綱昇進の内規については、古くから論議を呼んでいる(具体的内容はを参照)。 横綱審議委員会及び内規ができる以前はある程度幅のある対応がなされていた。 連続優勝で昇進を見送られたのは第32代・(年4場所で3連覇)と第41代・千代の山雅信(年3場所で2連覇)がいるが、いずれも後に(ともに連覇ではなかったが)横綱に昇進している。 なお、優勝制度確立後に年2場所で大関の地位で2場所連続優勝を決めたのは第22代・、第27代・、第35代・の3人がいるがいずれも場所後に横綱に昇進しているため、年2場所では皆無という事になる。 横審の内規が制定されたのは、本場所が年6場所制になった(昭和33年)である。 本来は「最低でも『 大関で2場所連続優勝またはそれに準ずる成績』」 であるべきという見解が正しいのだが 、それ以降「 〜準ずる成績」の部分が拡大解釈され、多分に興行上の必要性もあって、連続優勝を果たさなくても横綱に昇進する例が続いた。 年6場所制以降、期に「大関で2場所連続優勝」で横綱昇進したのは、、の3力士のみである。 (昭和62年)12月に、一度も優勝経験が無い第60代横綱・が、当時の師匠(親方・元関脇・)らとのトラブルが原因で突如したことにより、横綱の「粗製濫造」との批判が高まった。 以降、第63代横綱・が何度も横綱推薦の諮問を見送られた末に、大関で2場所連続優勝を果たして横綱に昇進したことから、内規を審判部が厳格に解釈する傾向が強くなり、結果的に旭富士から第70代横綱までの8横綱は全員、「 大関で2場所連続優勝」で昇進している。 一方で、優勝という外形的な基準に囚われ、相撲の内容が顧みられないという問題も起こった。 多くの場合、終了後から翌日の横審の定例会までの間に、当該力士の横綱昇進の可否をかなり的確に判断できる。 具体的には、• 内規に該当しているかどうか。 千秋楽終了後の報道陣の取材に対し長が理事長に当該力士の横綱昇進を審議する臨時理事会開催を要請するという趣旨の回答をするかどうか。 理事長が審判部長の要請を受け臨時理事会開催の意向を示すかどうか。 横審への諮問があった場合、報道陣が行う審議出席予定の横審委員への取材で、多くの委員が当該力士の昇進に関して肯定的な見解を回答するかどうか。 といったことなどを基準にしている。 しかし、このような前例に基づく横綱昇進予想は正しい予想が多いとはいえても、確実に正しいとまではいえない。 例えば、(平成6年)9月場所で全勝優勝を果した貴乃花の横綱昇進について理事長から横審への諮問が行われ、新聞各紙も1969年11月場所直後にの横綱昇進に関する理事長からの諮問で横審が否定の答申をした事例以降は理事長からの諮問で横審が長年昇進を見送らず横綱推薦してきた例から横綱昇進確実と報じたが、昇進が見送られた例がある。 (平成21年)7月14日時点において横綱昇進確実条件と目される「大関での2場所連続優勝」という条件も見直されつつある。 例えば、2009年5月場所において14勝1敗で優勝し、次の7月場所で綱とりに挑む大関・の横綱昇進についても、同場所千秋楽翌日の5月25日に行われた横審で、近年の相撲内容や昇進直前約3場所までの成績をあまり重視せず、2場所連続優勝の昇進内規を形式的に適用して横綱昇進を判断してきたことへの批判があったためか、横綱昇進の話題がほとんど上がらず、委員長は「いきなり綱獲りを論じるのは早い。 (5月場所の)戦のようなの変化は評価できない。 綱取りには今場所以上の成績も求められる」と述べ、無条件での横綱昇進を却下した。 また、委員も「綱獲りは全く話題にならなかったし、特に稀勢の里戦の変化は非常にガッカリした。 『大関で2場所連続で優勝すれば横綱』というのなら横審なんて全く必要無い」と発言し、「2場所連覇」で無条件に横綱昇進を決めることに対して、否定的な見解を示した。 これ以降は横綱昇進対象となる力士の成績や相撲内容が悪ければ大関で2場所連続優勝を達成しても横綱昇進が見送られる可能性があるのは否定できない。 以上のように、横審の答申前に横綱昇進見送りの前例がないことや少ないことを根拠として横綱昇進の可否を判断するのは、多くの場合正しいとはいえても、確実に正しいとまではいえない。 故に、横綱昇進の可否の確定は事実上横審の答申後である。 具体的なケース [ ]• は、(昭和63年)1月場所を14勝で優勝、続く3月場所と5月場所を各12勝した。 さらに(元年)には、1月場所から5月場所までの3場所を14勝(優勝同点)・13勝(次点)・13勝(同点)の合計40勝と極めて高いレベルで安定した成績を残した。 昭和時代ならば当然横綱昇進する事が可能な成績だったが、理事長は成績よりも相撲内容の点を指摘してことごとく横審への諮問を行わなかったため、昇進出来なかった。 (平成2年)5月場所、7月場所を連続優勝して批判を封じる形で横綱昇進を果たしたが、昇進が遅過ぎたためか横綱在位は僅か9場所(うち皆勤は6場所)、在位中の優勝は1回に留まった。 は、(平成3年)5月場所と7月場所を14勝(同点)・12勝(次点)、また同年11月場所から(平成4年)3月場所までの3場所を13勝(優勝)・12勝・13勝(優勝)と極めて安定した成績を残したにもかかわらず、横審への諮問がなく昇進できなかった。 1992年(平成4年)3月場所後の横審定例会で約半数の委員から小錦への横綱昇進の諮問があってよいのではないかという意見があったが、結局諮問はなかった(後世から見れば「連続優勝がなかった」という結論で落ち着くが、当時は横綱昇進の厳格化を掲げながらも「連続優勝」を求める声は必ずしも多くなかった)。 また、同定例会で外国人であることが横綱昇進に何ら障害とならないという考えが確認されたが、紙、に 「小錦が横綱になれないのはのせいだ」といった趣旨の記事が掲載され、史上初の外国人横綱を誕生させることへの抵抗の有無が取り沙汰された。 しかし小錦は以後失速、終盤まで優勝争いに絡む事が無くなった。 さらに(平成5年)11月場所では、大関で2場所連続負越した為に関脇の地位へ陥落が決定、横綱昇進の気運は完全に消滅した。 は、1993年(平成5年)5月場所と7月場所を14勝(優勝)・13勝(同点)としたが、理事長から横審への諮問がなく昇進はならなかった。 翌(平成6年)は1月場所から9月場所までの5場所中3場所で優勝、うち9月場所では全勝を果たし(14・11・14・11・15勝)、9月場所後には理事長から横審への諮問が行われた。 理事長の諮問がありながら横審が否定の答申をした例は、1969年11月場所直後の以降長年の間なく、新聞各紙も横綱昇進確実と報じたが、25年ぶりに昇進を見送られた。 横審が否定の答申をした理由は、2場所連続優勝でないこと、特に7月場所の11勝で貴乃花の綱獲りは白紙に戻ったとしながら、次の9月場所の全勝で「2場所連続優勝は横審の内規であって協会の諮問とは無関係」という姿勢で、横綱推挙を言わば強行した協会の姿勢への批判などが大きな要因だった。 横審委員11名の中では貴乃花の昇進に賛成する者が6名と過半数、反対が5名だったが、内規に定められた「出席委員の3分の2以上の賛成」には達しなかった。 それでも貴乃花は翌11月場所も15戦全勝し大関の地位で30連勝、大関の地位「2場所連続全勝優勝」という以来(のちに第70代横綱・も達成)の非の打ち所のない成績で、ようやく横綱昇進を果たした。 は、1994年(平成6年)5月場所と7月場所を12勝(次点)、15勝(全勝優勝)という成績だったが、7月場所後の横審には諮問がなかった。 3場所前(新大関)の同年3月場所が9勝と1桁勝ち星だった事 や、5月場所が大関昇進後初の2桁勝利であった。 しかも優勝次点とはいえ優勝の貴乃花には2点の差が有り、7月場所に武蔵丸の綱獲りのムードはそもそもなかった。 翌9月場所に初の綱獲りに挑むも11勝に終わっている。 は、(平成8年)11月場所と1997年(平成9年)1月場所を11勝(同点)、14勝(優勝)と2場所連続優勝もしくはそれに準ずる成績を残しながらも、理事長から横審への諮問がなかった。 優勝を逃しての11勝は優秀な成績とはいえないとの見方もあり、この頃には「綱獲りは原則的に優勝する事が起点」という相撲協会の態度が定まっていた。 翌3月場所は横綱昇進を賭けて挑んだが、初日から3連勝しながらも3日目に右足を大けが、4日目から途中休場した。 は、(平成16年)9月場所と11月場所を13勝(優勝)、12勝(次点)の成績を残しながらも理事長から横審への諮問がなかった。 11月場所は初日黒星後にと並ぶことが無く、14日目で優勝を許したのが大きかった。 千秋楽に朝青龍を下し12勝、翌(平成17年)1月場所も綱獲りの可能性を繋いだが、左肩腱板炎で途中休場と失敗に終わる。 それ以降も魁皇は(平成23年)7月場所迄、大関在位65場所と長期間務めたが、終盤戦迄優勝争いに加わる事は殆ど無く、横綱昇進への機会は巡らなかった。 は、(平成18年)5月場所と7月場所を14勝(優勝)、13勝(次点)の成績を残しながらも、朝青龍に独走を許したのがマイナス要因となり理事長から横審への諮問がなかった。 新大関から2場所での横綱昇進は年6場所制で初めてとなるため、特に高いレベルでの連覇が求められたためもある。 関脇時代の1月場所からの4場所連続13勝以上は、考慮されなかった。 翌9月場所は再び昇進のチャンスだったが8勝7敗の成績不振で綱取りは振り出しになった。 (平成19年)3月場所は13勝(優勝)したが、優勝決定戦の内容が立合いの変化であったため印象が悪く翌5月場所は十分な内容が求められた。 その5月場所で自身初の全勝優勝という文句なしの成績を残し、横綱昇進を果たした。 逆のパターンとして、第63代・旭富士正也は(平成2年)3月場所にギリギリ勝ち越しの8勝の後、同年5月と7月場所を各14勝の連続優勝で昇進。 第64代・曙太郎は、1992年(平成4年)7月場所の新大関場所で全休し翌9月場所に9勝と一桁勝利の後、同年11月と翌1993年(平成5年)1月場所を14勝と13勝の連続優勝で昇進。 第66代・若乃花勝は、直前場所の(平成10年)5月場所は12勝の低レベル優勝ながらも、同年3月と5月場所を14勝と12勝の連続優勝で昇進。 第67代・武蔵丸光洋は(平成11年)1月場所が千秋楽で辛うじて勝ち越しの8勝の後に、同年3月と5月場所を各13勝の連続優勝で昇進。 第70代・日馬富士公平も、(平成24年)5月場所が千秋楽で勝ち越した8勝7敗の後、同年7月と9月場所を各15戦全勝で連続優勝により昇進などの例がある。 特に若乃花勝の場合、相撲協会内には「もう1場所様子をみるべき」という意見が有った程である。 それでも「若乃花は2場所連続優勝しており、内規をクリアーしている。 」という理由により、貴乃花光司の2場所連続全勝優勝という完璧な成績での横綱審議で10分掛かったにも拘わらず、横審では僅か7分で若乃花の横綱昇進を全会一致で決めた。 しかし横綱昇進後の若乃花は優勝を1度も果たせず、さらに横綱皆勤負け越しなどの不名誉な記録を残したまま、横綱在位は11場所(内皆勤は5場所)で早々引退してしまった。 その後、理事長職を務めた(第55代・一代年寄)が在任中に「優勝の成績は13勝以上」とよく注文を付けていた事も、結果的に若乃花の甘かった横綱昇進の例と関係が有るのではないか?との声がある。 は2013年11月場所は9勝6敗に終わったが、2014年1月場所は白鵬と千秋楽まで優勝を争った。 で白鵬に敗れたものの、14勝1敗の優勝同点の成績で2014年3月場所に綱獲りを懸けることとなった(但し鶴竜は当時幕内優勝経験が無く、大関11場所中7場所が9勝以下だったため角界内部の一部に慎重論も出ていたが、北の湖理事長と及び横審委員長は二人共に「綱獲りの場所だが13勝以上の優勝が必要」と公言している )。 結果鶴竜は同3月場所を14勝1敗の幕内初優勝を果たし、場所後に第71代横綱に推挙。 これで第62代・以来27年ぶりに大関連覇無しでの横綱昇進となった。 は2016年11月場所で12勝3敗で、14勝1敗で優勝した鶴竜力三郎に星の差2つで優勝を逃し、2017年1月場所に14勝1敗で初優勝するまで優勝が1回も無かったが、前年に史上初の優勝無しでの年間最多賞を獲得し、直前六場所の勝率(8割2分)が平成の大横綱である朝青龍や白鵬が横綱昇進を果たした直前六場所の勝率を上回るなど成績が安定しており、それが「準ずる成績」に値するとされ同場所後に横綱昇進を果たした。 このように、かつて「『大関で二場所連続優勝』が絶対条件」という基準だけに固執する弊害を指摘する声も少なくなく、そもそも番付編成上は優勝と全く公平に扱われている優勝同点の価値が、横綱昇進時に低く扱われることが問題視されていた(なお第56代・や第57代・など直前3場所中一度も優勝を果たせなかったが、優勝次点・優勝同点の好成績を評価され昇進した例もある)。 大関昇進は直前3場所の成績(合計33勝以上が目安)で決まるが、それより高い成績を求める横綱昇進が直前2場所のみで決まるのは問題有りとして、横綱昇進の内規についても「直前3場所の成績で決めるよう改めるべき」との声も少なくない。 しかしこれには、横綱になるには先ず大関にならなければならない以上「『大関で連続優勝』の条文はその条件を既に内包している」との反論もある。 また、勝ち星が内規にないことも問題とする意見もある。 今後は、横綱昇進内規を直前3場所の成績に改めるだけでなく、勝ち星についても具体的に付け加えるべきとの声もある。 (昭和33年)に年6場所制が施行されてから、負け越した(全休含む)場所後の2場所で横綱に昇進した例は皆無である。 前述で横綱昇進の際に3場所の成績で見るべきということについて、特に3場所前が負け越し(全休含む)の場合は、2場所合計29勝以上の超ハイレベルな連続優勝が求められるべきとの声が多い。 事実、(平成20年)5月場所にで14勝1敗の優勝だったの綱獲り条件が全勝優勝のみだった。 横綱なら長期安定こそ望ましいということで、やはり負け越しの後では成績が不安定だから昇進のハードルを高くすべきだと思われよう。 一方で本来、横綱とは数字に表れる強さに加えて力士としての品格・態度が評価されて(「品格」は内規にも明示されている)免許されていたものであり、勝率などで一律に昇進基準を定めてしまっては、その本質を損なうとの反論もある。 柏鵬時代を築いた第47代横綱・などは、横綱昇進前3場所で優勝が1回もない33勝12敗の成績で、大関推挙の目安としてもギリギリとされるラインの勝ち星に留まっていたにも係わらずに横綱昇進を果たした。 記録 [ ] 横綱在位記録 [ ] 順位 四股名 在位数 在位期間 在位中成績 在位中勝率 1位 76場所 2007年7月-現役中 872勝125敗143休、優勝41回 勝率 休場含まない. 875、勝率 休場含む. 765、優勝率. 811、勝率 休場含む. 718、優勝率. 349 3位 59場所 1981年9月-1991年5月 625勝112敗137休、優勝29回 勝率 休場含まない. 848、勝率 休場含む. 715、優勝率. 492 4位 58場所 1961年11月-1971年5月 622勝103敗136休、優勝29回 勝率 休場含まない. 858、勝率 休場含む. 722、優勝率. 500 5位 49場所 1995年1月-2003年1月 429勝99敗201休、優勝15回 勝率 休場含まない. 813、勝率 休場含む. 588、優勝率. 306 6位 48場所 1993年3月-2001年1月 432勝122敗166休、優勝8回 勝率 休場含まない. 780、勝率 休場含む. 600、優勝率. 167 7位 47場所 1961年11月-1969年7月 407勝147敗140休、優勝4回 勝率 休場含まない. 735、勝率 休場含む. 586、優勝率. 085 1973年7月-1981年3月 466勝142敗85休、優勝12回 勝率 休場含まない. 766、勝率 休場含む. 672、優勝率. 255 9位 42場所 2003年3月-2010年1月 463勝91敗76休、優勝23回 勝率 休場含まない. 836、勝率 休場含む. 735、優勝率. 548 10位 36場所 2014年5月-現役中 266勝115敗159休、優勝5回 勝率 休場含まない. 698、勝率 休場含む. 493、優勝率. 太字の白鵬と鶴竜は現役中で、場所数と成績は共に2020年(令和2年)5月場所中止時点のもの。 但し白鵬は、中止された2011年(平成23年)3月場所と2020年(令和2年)5月場所を数えず、本場所ではないが公式記録が残る2011年(平成23年)5月のを数える。 鶴竜は、中止された2020年5月場所を数えない。 在位中に不祥事を起こした朝青龍は引退に追い込まれている。 上記力士の横綱土俵入りは白鵬のみ不知火型、他9人は雲龍型を選択している。 休場を含まない勝率では休場を計算に加えていない。 休場を含む勝率では休場を敗戦扱いにして計算している。 短命横綱 [ ] 順位 四股名 在位数 在位期間 在位中成績 在位中勝率 1位 6場所 1947年11月-1949年10月 24勝27敗5休、優勝なし 勝率 休場含まない. 471、勝率 休場含む. 429、優勝率. 000 2位 8場所 1973年3月-1974年5月(番付上は1974年7月) 66勝34敗20休、優勝1回 勝率 休場含まない. 660、勝率 休場含む. 550、優勝率. 125 1979年9月-1980年11月 55勝23敗30休、優勝2回 勝率 休場含まない. 705、勝率 休場含む. 509、優勝率. 250 1986年9月-1987年11月(番付上は1988年1月) 74勝33敗13休、優勝なし 勝率 休場含まない. 692、勝率 休場含む. 617、優勝率. 000 5位 9場所 1990年9月-1992年1月 71勝29敗24休、優勝1回 勝率 休場含まない. 710、勝率 休場含む. 573、優勝率. 111 6位 10場所 1970年3月-1971年9月(現役中に死亡) 130勝20敗0休、優勝4回 勝率 休場なし. 867、優勝率. 400 7位 11場所 1998年7月-2000年3月 61勝38敗57休、優勝なし 勝率 休場含まない. 616、勝率 休場含む. 429、優勝率. 000 8位 12場所 2017年3月-2019年1月 36勝36敗97休、優勝1回 勝率 休場含まない. 500、勝率 休場含む. 213、優勝率. 083 9位 15場所 1983年9月-1986年1月 95勝42敗75休、優勝2回 勝率 休場含まない. 693、勝率 休場含む. 448、優勝率. 133 10位 16場所 1959年5月-1961年11月(番付上は1962年1月) 102勝58敗95休、優勝1回 勝率 休場含まない. 638、勝率 休場含む. 400、優勝率. 062• 太平洋戦争終了後の1945年(昭和20年)11月場所から、2020年(令和2年)現在までの記録。 前田山は、年6場所制定着以前の昇進。 在位中に終戦後の混乱で本場所開催が不定期だった期間がある。 在位場所数では前田山が最も短命だが、年6場所制となった1958年(昭和33年)以降の在位期間では番付上、三重ノ海が最も短い。 在位中に不祥事を起こした前田山は引退、双羽黒は廃業とそれぞれ追い込まれている。 玉の海は現役中の1971年(昭和46年)10月11日に、27歳の若さで急病死した。 上記力士の横綱土俵入りは前田山・三重ノ海・稀勢の里・朝潮の4人が雲龍型、他の6人は不知火型を選択している。 休場を含まない勝率では休場を計算に加えていない。 休場を含む勝率では休場を敗戦扱いにして計算している。 玉の海は横綱在位中、休場なし。 優勝回数記録 [ ]• (令和2年)現在。 太字の白鵬は現役中。 順位 四股名 優勝回数 横綱在位中優勝 全勝優勝 備考 1位 44回 41回 15回 2位 32回 29回 8回 3位 31回 29回 7回 14回目の優勝で休場あり 4位 25回 23回 5回 5位 24回 22回 7回 6位 22回 15回 4回 7位 14回 12回 3回 4回目の優勝で不戦敗休場あり 8位 12回 9回 8回 年2場所制の時代の記録 7回 1回 10位 11回 8回 なし• 双葉山は、幕内在位を通して年2場所制。 全勝優勝8回中、11戦全勝が2回、13戦全勝が3回。 上記力士の横綱土俵入りは白鵬のみ不知火型、他の9人は雲龍型を選択している。 初土俵(付け出しを除く)からの横綱昇進所要場所数 [ ]• 以下の記録は、付け出しを除き、前相撲で初土俵を踏んだ力士に限定している。 順位 四股名 所要場所 内訳 前相撲 序ノ口 序二段 三段目 幕下 十両 平幕 前頭 小結 関脇 大関 1位 25場所 1場所 1場所 1場所 1場所 6場所 2場所 3場所 3場所 4場所 3場所 2位 * 29場所 1場所 1場所 2場所 4場所 6場所 4場所 3場所 1場所 2場所 5場所 3位 30場所 1場所 1場所 3場所 2場所 5場所 3場所 5場所 3場所 3場所 4場所 4位 38場所 1場所 2場所 3場所 6場所 5場所 2場所 5場所 2場所 5場所 7場所 5位 41場所 1場所 1場所 2場所 3場所 3場所 5場所 8場所 3場所 4場所 11場所• 2020年3月場所終了現在。 太字の力士は2020年3月場所終了現在において現役力士である。 四股名の横に*のついている力士は年6場所制以前の初土俵力士である。 横綱皆勤場所 [ ] 順位 四股名 横綱皆勤場所 1位 64場所 2位 51場所 3位 46場所 4位 45場所 5位 38場所 6位 35場所 8位 34場所 9位 32場所 10位 25場所• 2020年3月場所終了現在。 太字の力士は、2020年3月場所終了現在、現役力士である。 2020年3月場所終了現在。 太字の力士は、2020年3月場所終了現在、現役力士である。 東横綱勝利数 [ ] 順位 四股名 勝利数 備考 1位 609勝 東横綱52場所 2位 445勝 東横綱41場所 3位 430勝 東横綱38場所 4位 361勝 東横綱30場所 5位 345勝 東横綱31場所• 2020年3月場所終了現在。 太字の力士は、2020年3月場所終了現在、現役力士である。 東横綱優勝 [ ] 順位 四股名 優勝回数 備考 1位 30回 東横綱52場所 2位 19回 東横綱38場所 19回 東横綱41場所 19回 東横綱31場所 5位 12回 東横綱30場所 12回 東横綱25場所• 2020年3月場所終了現在。 太字の力士は、2020年3月場所終了現在、現役力士である。 大関通過場所数 [ ]• 羽黒山は大関2場所目の1940年(昭和15年)5月場所を途中休場(7勝5敗3休)、曙は新大関の1992年7月場所を全休(0勝0敗15休)。 以前では、東西合併による「横綱付出し」の例も在って比較が難しいが、の大関2場所(9勝1預-10戦全勝)、の3場所(8勝2敗-7勝3敗-10戦全勝)、の4場所等が特筆される。 日馬富士は本場所開催が中止された2011年(平成23年)3月場所は数えない。 また本場所ではないが、公式記録が残される同年5月場所のは数える。 新大関から陥落直後の関脇の地位(のち大関特例復帰)も含めた合計で数えると、日馬富士と並んで22場所となる。 2020年3月場所現在。 同時最多在籍横綱 [ ] 4横綱 [ ] 番付上に最も多くの横綱が出揃ったのはまでで、現在まで16通りの例がある。 この節のが望まれています。 例 開始場所 横綱(太字は新規昇進者) 最終場所 場所数 終了理由 1 (大正6年)5月場所 (大正7年)1月場所 2 太刀山が引退 2 1918年(大正7年)5月場所 大錦卯一郎 2代西ノ海嘉治郎 鳳谷五郎 1918年(大正7年)5月場所 1 西ノ海が引退 3 (昭和13年)1月場所 1938年(昭和13年)5月場所 2 玉錦が5月場所後に死亡 4 (昭和18年)1月場所 双葉山定次 (昭和20年)11月場所 7 双葉山が引退 5 (昭和24年)1月場所 照國萬藏 羽黒山正司 1949年(昭和24年)11月場所 3 前田山が引退 6 (昭和26年)9月場所 東富士欽壹 照國萬藏 羽黒山正司 (昭和28年)1月場所 5 照國が引退 7 1953年(昭和28年)3月場所 千代の山雅信 東富士欽壹 羽黒山正司 1953年(昭和28年)9月場所 3 羽黒山が引退 8 (昭和29年)3月場所 鏡里喜代治 千代の山雅信 東富士欽壹 1954年(昭和29年)9月場所 3 東富士が引退 9 (昭和30年)1月場所 (昭和33年)1月場所 14 吉葉山と鏡里が同時引退 10 (昭和36年)11月場所 (昭和37年)1月場所 (相撲番付上) 1 2 朝潮が1月場所前に引退 11 (昭和40年)3月場所 (昭和41年)11月場所 11 栃ノ海が引退 12 (昭和54年)9月場所 (昭和55年)11月場所 8 三重ノ海が引退 13 (昭和62年)11月場所 (昭和63年)1月場所 (相撲番付上) 1 2 双羽黒が1月場所前に廃業 14 (平成2年)9月場所 大乃国康 北勝海信芳 千代の富士貢 (平成3年)5月場所 5 千代の富士が引退 15 (平成11年)7月場所 (平成12年)3月場所 5 若乃花が引退 16 (平成29年)3月場所 (平成29年)11月場所 5 日馬富士が引退• 最初のは、1917年5月場所、太刀山、鳳、2代西ノ海、大錦によって実現した。 翌1918年5月には太刀山の引退と入れ替わりに栃木山が誕生し、同場所で西ノ海が引退するまで連続3場所4横綱時代が続いた。 のため総当たりは不可能だった。 4横綱総当りは、の余波で一門の実施されていた1938年5月場所に玉錦、武藏山、男女ノ川、双葉山によって初めて実現した(この顔ぶれ自体は前場所の1月場所からだが、この時は武蔵山が途中休場)。 結果は、双葉山3戦全勝、武藏山2勝、男女ノ川1勝、玉錦3戦全敗だった。 この場所は武藏山と男女ノ川は6勝6敗どうしの千秋楽対決という悲惨な結果となっている(武藏山が勝ち、男女ノ川が)。 同じ顔触れで最も長く続いた4横綱時代は千代の山、鏡里喜代治、吉葉山、栃錦による14場所。 1955年1月場所で栃錦が昇進してから、1958年1月場所後に鏡里と吉葉山が同時に引退するまで続いた。 4横綱の皆勤は(昭和31年)3月場所の1場所きりとなったものの、8場所で4横綱のいずれかが優勝(吉葉山に優勝がないのを除き、他の3横綱が複数回の優勝)を果たしている。 千代の山と栃錦は同門のため対戦しなかった。 4横綱の合計勝ち星の最多は、1月場所の54勝(6敗)。 双葉山15戦全勝、羽黒山13勝2敗、安藝ノ海12勝3敗(双葉山への不戦敗あり)、照國14勝1敗で、横綱同士以外で喫した黒星は2つだけだった。 この4人は翌5月場所でも52勝8敗で、4横綱皆勤場所に限ればこれが最高成績となる。 逆に4横綱皆勤しての最少勝ち星は3月場所、千代の山8勝、鏡里8勝、吉葉山11勝、栃錦9勝で36勝(24敗)。 1961年11月場所で柏戸、大鵬が2人同時昇進となり、初代若乃花、3代朝潮と17場所ぶり4横綱となったが、翌場所の直前に朝潮が引退を表明したため、この4横綱は実質上1場所のみ(番付上では翌1962年1月場所とあわせて合計2場所)だった。 若乃花と大鵬は同門のため対戦なし。 現行の年6場所制定着後で最も長かった4横綱時代は柏戸、大鵬、栃ノ海、佐田の山による11場所で、1965年3月場所から1966年11月場所までである。 実質の4横綱皆勤は1965年9月場所の一度きりであったが(1965年5月場所では大鵬が千秋楽のみ休場、佐田の山に不戦敗)全盛期の大鵬を中心に11場所すべて4横綱のいずれかが優勝している。 4横綱皆勤の最も多かったのは、輪島、北の湖、2代若乃花幹士、三重ノ海で、1979年9月場所から1980年11月場所までの8場所中3場所となっている。 4横綱総当り3回も最多。 昭和末期の1987年11月場所では千代の富士、双羽黒、北勝海、大乃国の4横綱が全て皆勤となったが、11月場所後に双羽黒が廃業となったため、この4横綱は1場所のみ(番付上では翌1988年1月場所と合わせて合計2場所)となってしまった。 千代の富士と北勝海は同部屋のため対戦なし。 平成時代の1例目は千代の富士、北勝海、大乃国、旭富士の4横綱時代が、1990年9月場所から1991年5月場所までの5場所連続であるが、全員皆勤となったのは1990年11月場所の1場所のみだった。 このときも千代の富士と北勝海は同部屋のため対戦なし。 その後1991年5月場所の千代の富士の引退を皮切りに、大乃国、旭富士、北勝海が僅か1年の間に相次いで引退してしまい、横綱空位となった。 平成時代2例目の4横綱だった曙、貴乃花、若乃花(勝)、武蔵丸は1999年7月場所から2000年3月場所まで5場所続いたが、2000年(平成12年)3月場所で若乃花が引退となるまで、4横綱全員が皆勤する場所も、4人全員がそろって勝った日も一度も無いままに終わってしまった(4横綱が揃っての出場は1999年9月場所初日・2日目、及び2000年3月場所初日〜5日目の計7日間のみ)。 2016年の千代の富士逝去によって、4人全員健在の最古の4横綱となった。 2017年1月場所で優勝した稀勢の里が横綱に昇進し、同年3月場所は稀勢の里、白鵬、鶴竜、日馬富士による4横綱となった 17年ぶりに平成時代3例目。 4横綱となった時点(4人目の横綱が昇進した時点)で外国籍を持つ横綱が含まれるのはこのケースが初である(平成時代2例目の曙と武蔵丸は外国出身だが、4横綱の時点では両方ともすでに日本に帰化していた)。 同年11月場所後に日馬富士が不祥事で引退したため、5場所で終了。 本場所で総当たりする4横綱としては36年ぶり だったが、4横綱全員が皆勤した場所はないまま終わった。 4人全員がそろって勝ったのは3月場所の2日目と5月場所の3日目の2回しかなかった。 5横綱 [ ] ひとつの番付に5人の横綱が名を連ねたことはこれまでにないが、あえていえば以下の様な例がある。 大阪相撲の横綱を交えての5横綱• 1918年4月の大阪のの横綱免許から、同年5月場所で東京の二代目西ノ海が引退するまでの1ヶ月弱。 ふたつの4横綱時代の狭間• 1953年1月場所で引退の照國(新横綱鏡里)や、1954年9月場所引退の東富士(新横綱栃錦)が、直後の巡業では横綱土俵入りを披露しており、現役4横綱とともに5横綱が揃った写真を残している。 一人横綱 [ ] だった例はこれまでに9例ある。 例 開始場所 開始場所前の動向 一人横綱 最終場所 場所数 終了理由 1 (昭和5年)10月場所 が引退 (昭和6年)3月場所 3 宮城山が引退 (横綱空位) 2 (昭和8年)1月場所 (横綱空位) 玉錦が昇進 (昭和10年)5月場所 5 が昇進 3 (昭和44年)9月場所 が引退 (昭和45年)1月場所 3 玉乃島改めと 北の富士が同時昇進 4 (昭和46年)11月場所 玉の海が9月場所後に死亡 (昭和48年)1月場所 8 が昇進 5 (昭和61年)3月場所 が引退 1986年(昭和61年)7月場所 3 北尾改めが昇進 6 (平成4年)3月場所 が引退 1992年(平成4年)5月場所 (番付上) 1 2 北勝海が5月場所前に引退 (横綱空位) 7 (平成5年)3月場所 (横綱空位) 曙が昇進 (平成6年)11月場所 11 が昇進 8 (平成16年)1月場所 が引退 (平成19年)5月場所 21 白鵬が昇進 9 (平成22年)3月場所 朝青龍が1月場所後に引退 (平成24年)9月場所 15 が昇進• 9例目の場所数は本場所開催が中止された2011年(平成23年)3月は数えない。 また本場所ではないが、公式記録が残される同年5月のは数える。 また、複数(二人以上)在位している横綱が本場所の休場・引退などにより、一人のみの横綱が出場する場合を「一人横綱」と呼ぶことも有る。 横綱空位・横綱不在 [ ] (明治42年)2月の相撲規約改正に伴い「横綱」の称号が地位として定められて以降、番付上において横綱の地位に一人も存在しない時期、すなわち「横綱空位」と言われた時期が2例ある。 例 開始場所 開始場所前の動向 最終場所 場所数 終了理由 1 1931年(昭和6年)5月場所 宮城山が引退 (昭和7年)10月場所 6 玉錦が横綱昇進 2 1992年(平成4年)7月場所 (番付上) 北勝海が5月場所前に引退 1993年(平成5年)1月場所 5 4 曙が横綱昇進 また、横綱の全員休場や引退などで「横綱不在」と言うこともある。 最近では(令和2年)1月場所、当時2横綱だったが4日目から途中休場を表明、事実上一人横綱のも5日目にとなり、同場所千秋楽まで11日間休場した際に横綱不在と言われた。 なおそれ以前にも、白鵬・鶴竜の2横綱が(令和元年)9月場所8日目から揃って途中休場し、更にかつて3横綱の白鵬・鶴竜・が休場や引退により、(平成30年)7月・11月・2019年(平成31年)1月場所の途中で横綱不在となった。 さらに過去には(平成6年)7月・9月場所は、当時一人横綱だったが2場所連続で初日より全休が有る。 さらに、現役を退いた元横綱まで含めて完全な「横綱不在」となったことは、実質の初代横綱とされるとの同時免許から現在まで一度だけ、4月の小野川没から3月の免許まで約22年間がこれにあたる。 太字は現役横綱。 明石と綾川には茨城出身説もある。 実際の出身地と番付上の出身地が異なる場合もある。 本稿では番付表記や土俵入りなどで用いられる公称を優先している。 他にとが、ともに「5月場所」が新横綱であるが、それぞれ東京相撲との力士で、厳密には免許の時期も異なり、一般に同時横綱の例には数えられていない。 表などでも、大錦の引退が早かったが栃木山が先代の扱いとなっている。 常陸山と2代梅ヶ谷が同時に横綱に昇進した時には、常陸山を先代とすることにしたが、最終的には先代の常陸山が先に引退した。 それ以来、2人の力士が同時に横綱に昇進した場合には、先に引退(または現役中に死去)した者を先代の横綱とすることになった。 ただし柏戸と大鵬の場合は、彼らの現役中に栃ノ海とが相次いで横綱に昇進したため、正式な47代横綱と48代横綱がまだ決まらないうちに49代横綱と50代横綱が誕生するという不合理が生じたことがある。 なおかつ、柏戸と大鵬が現役中に栃ノ海も佐田の山も引退したため、1968年5月場所から1969年7月場所途中に柏戸が引退するまでは、現役横綱の代数が決まらないまま、あとの代数の横綱が元横綱になる状態であった。 複数の力士が同時に横綱昇進して全く同時に引退した例は未だ無い。 但し、前述の通り1987年12月のの廃業事件をきっかけに、横綱昇進の条件が従来より厳格となった以降は、複数力士が同時に横綱昇進する機会もなくなっている。 同期生横綱 [ ] 初土俵場所 代位 四股名 昇進場所 最終場所 代位 四股名 昇進場所 最終場所 代位 四股名 昇進場所 最終場所 6月場所 19代 6月 5月 20代 1903年6月 6月 1月場所 26代 5月 1月 30代 5月 10月 31代 1月 10月 7月場所 56代 7月 1月 59代 1983年9月 1月 3月場所 60代 7月 11月 61代 1987年7月 3月 3月場所 64代 1月 1月 65代 1月 1月 66代 7月 3月 常陸山と2代梅ヶ谷は、共に横綱昇進も同時。 2代若乃花と隆の里、貴乃花と3代若乃花は、共に同日同部屋入門。 貴乃花と3代若乃花の間で一度だけ実現した兄弟優勝決定戦は、若乃花の大関時代であり、「同日同部屋入門の同期生横綱による優勝決定戦」はまだ実現していない。 横綱在位中での最多連勝記録 [ ] 分・預・休を含める・含め無いにかかわらず、横綱が正式な地位として扱われてからは、平成22年 中に達成したの63連勝が最多である。 その前回の記録としては、昭和63年 の千代の富士の53連勝だった。 の69連勝は、平幕から横綱に掛けてのものだった為、双葉山の横綱としての最多記録は36連勝である。 逆に横綱としての連勝の最少記録はの4。 横綱在位中での最多連敗記録 [ ] 不名誉である上、負けが込むと途中休場に至るケースが多い為あまり話題にはされないが、分・預・休を含めず不戦敗(引退時も含む)を含める場合、稀勢の里寛の10連敗が最多記録である(平成30年()千秋楽~平成31年()4日目)。 さらに稀勢の里は不戦敗を除けば8連敗であり、昭和2年()の東西合併以降では単独ワーストとなってしまっている(それに次ぐのは、照国萬蔵・北の富士勝昭・貴乃花光司の3横綱が、不戦敗を含めての8連敗)。 尚、一場所での記録としては昭和29年()1月場所の東富士欽壹の7連敗(6日間の途中休場を挟み、不戦敗1を含む)が最多。 一場所皆勤してのものとしては5連敗が最多で、平成30年(2018年)9月場所の鶴竜力三郎まで複数の横綱が記録している。 横綱在位中に降格を経験している横綱 [ ] 番付上に横綱が銘記された明治23年 5月場所以降に横綱から降格した力士はいない。 明治23年 1890年 5月場所より前の横綱免許制度時代でも横綱免許を取り消された横綱はいない。 そのため、横綱の地位から降格した力士は現在まで一人もいない。 しかし、明治23年 1890年 5月場所より前の横綱免許制度時代で第8代横綱・が大関から張出 三役格 への降格を経験した(当時は最高位が大関だった為)。 明治23年 1890年 5月場所より前の横綱免許制度時代でもこのような降格経験者は不知火諾右衛門のみ。 不知火諾右衛門は天保11年()11月に横綱免許を受けながら、翌12年正月場所では番付から消え、天保12年 11月場所で西張出 三役格 として復帰した。 その直後の天保13年 2月場所で西関脇に昇進し、同年10月場所で西大関に復帰。 不知火諾右衛門の降格は相撲会所や、彼を抱える、さらにはその熊本細川家の家臣である吉田司家の間で、様々な紛糾、妥協のあった末とも言われるが詳細は不明。 上記の例は横綱制度が成熟していなかった時代で、かつ上記のように現代では考えられない極めて特殊な場合である。 現在では、理論上は横綱の降格が起こり得る唯一のケースとして、日本相撲協会寄附行為施行細則に定める協会所属員への懲罰としての番付降下処分が行われる場合が挙げられるが、横綱の立場上現実的にはまず考えられないといってよい(これに相当する場合には横綱審議委員会が「引退勧告」を行うことができる)。 なお、第41代横綱・は成績不振を理由に、降格ではなく「横綱返上」を申し出たことがある唯一の横綱であるが、却下されている。 大関後復帰・大関を経験している横綱 [ ] 大関陥落を経験している横綱は、「2場所連続負け越しで大関陥落、翌場所関脇で10勝以上挙げれば大関特例復帰」の現行制度(昭和44年 1969年 7月場所から)の整った昭和以降、が唯一である。 特例復帰によらずに大関復帰を果たして横綱になった力士はまだいない。 「2場所連続負越で大関陥落」になった現行制度以降、大関角番を最も多く経験した横綱は、琴櫻、三重ノ海、3代若乃花の3人(それぞれ3回)。 琴櫻には現行制度以前の大関在位があり、大関での負け越し自体は5回で、これも昭和以降の横綱の中での最多。 三重ノ海は上述の通り一度実際に大関を陥落しており、大関での負け越し自体は4度、これは現行の角番制度以降に大関に昇進した横綱としての最多となる。 なお若乃花には他に大関として2場所がある。 他にも、曙、貴乃花、白鵬、日馬富士、稀勢の里がそれぞれ1回ずつ経験している。 また、現行制度以前(昭和33年 1958年 1月場所から昭和44年5月場所まで)の「3場所連続負け越しで大関陥落」だった時代、北の富士が「大関で2場所連続負け越し」での角番を1度経験しているほか、3代朝潮、佐田の山、玉乃島(のち玉の海)らも大関での負け越しがある。 江戸時代にはは横綱免許前に興行上の理由からに上位を譲って関脇への降格を経験している。 横綱在位中に皆勤してのを経験している横綱 [ ]• - 昭和2年10月 4勝7敗、昭和5年3月 4勝7敗、昭和6年1月 5勝6敗• - 昭和13年5月 6勝7敗• - 昭和20年11月 4勝6敗• - 平成11年9月 7勝8敗 東正位横綱経験なしの横綱 [ ] 横綱が正式な地位として扱われてから、東正位の地位で横綱経験無しだった横綱は、、、、の5人。 この中で大乃国だけが、横綱在位中に幕内最高優勝(3月場所)を経験している。 同場所の大乃国は東横綱で、西正位横綱のと13勝2敗同士ので勝利したが、当時決定戦の勝敗は番付に影響しない慣例だった。 その理由により翌5月場所では、優勝同点の北勝海が東正位横綱、優勝の大乃国が西正位横綱という番付だった。 その後9月に相撲協会の理事会において「同地位で優勝決定戦を行った場合、優勝者を上位とし、優勝同点者は下位に廻す」という規定に変更。 その為現在であれば翌場所の番付は、優勝した大乃国が東正位横綱、優勝同点の北勝海は西正位横綱と、地位が逆転する形式となっている。 また2代目西ノ海は新横綱だった6月場所で東張出横綱だったが、同場所の番付で正横綱は西の太刀山ひとりで、東正横綱ではないものの東方の最高位にはなっている。 当時はの時代で、個人の成績ではなく方屋ごとの総勝ち星によって東西が入れ替わったため、このような現在では有り得ない番付編成もあった。 横綱在位中に優勝経験なしの横綱 [ ] 昭和以後、横綱昇進後に一度も幕内最高優勝の経験が無かった横綱は、、、、、、の7人。 これ以外で横綱初優勝までの最多所要場所数はの横綱18場所目。 年6場所制定着以降では、とでともに横綱12場所目。 また照國の7年4ヶ月優勝なしは横綱としての最長記録 、年6場所制以降では、大乃国の3年2ヶ月が最長期間(1988年5月〜7月場所)で、20場所の間横綱として優勝無しも昭和以降の横綱で最多記録である。 本割対横綱戦勝利記録 [ ] 本割対横綱戦勝利記録とは、本割での横綱戦勝利数のことを指している。 順位 四股名 勝利数 最高位 1位 43勝 横綱 43勝 横綱 3位 42勝 横綱 4位 41勝 1 大関 5位 40勝 横綱 6位 37勝 大関 7位 35勝 2 横綱 35勝 1 横綱 9位 34勝 横綱 34勝 横綱• 2020年3月場所終了現在。 太字の力士は、2020年3月場所終了現在、現役力士である。 勝利数の横の の中の数は、含まれている不戦勝の数を指している。 本割及び優勝決定戦対横綱戦勝利記録 [ ] 本割及び優勝決定戦対横綱戦勝利記録とは、本割と優勝決定戦において、横綱戦勝利数を指している。 順位 四股名 勝利数 最高位 備考 1位 45勝 横綱 本割43勝、優勝決定戦2勝 2位 44勝 横綱 本割43勝、優勝決定戦1勝 3位 43勝 横綱 本割42勝、優勝決定戦1勝 4位 41勝 1 大関 本割41勝 1 41勝 横綱 本割40勝、優勝決定戦1勝 6位 37勝 大関 本割37勝 7位 36勝 2 横綱 本割35勝 2 、優勝決定戦1勝 8位 35勝 1 横綱 本割35勝 1 9位 34勝 横綱 本割33勝、優勝決定戦1勝 34勝 横綱 本割34勝 34勝 2 大関 本割33勝 2 、優勝決定戦1勝 34勝 横綱 本割34勝• 2020年3月場所終了現在。 太字の力士は、2020年3月場所終了現在、現役力士である。 勝利数の横の の中の数は、含まれている不戦勝の数を指している。 対横綱戦最多連勝記録 [ ] 横綱同士の対戦で連勝した最多記録は7。 双葉山が男女ノ川戦で、白鵬が朝青龍戦でそれぞれ記録している。 大横綱 [ ] この節にはが含まれているおそれがあります。 問題箇所をしして、記事の改善にご協力ください。 議論はを参照してください。 ( 2016年7月) 幕内最高優勝回数や連勝記録、勝率が際立って高い横綱は 大横綱(だいよこづな )、特にが・の頃に活躍した横綱はそれぞれ、 昭和の大横綱、 平成の大横綱と呼ばれている。 江戸時代の大横綱は 、 明治時代の大横綱は。 大正時代の大横綱は 、 を指すことが多い。 谷風の横綱在位場所数は年6場所制定着後の大横綱と比べ少ないが、谷風が実質的な初代横綱であり現役中に横綱制度ができたことや、当時本場所が年2場所制だったことを考えると少ないとはいえない。 また、現在の年6場所制で大横綱とよばれる貴乃花(優勝22回)、北の湖(優勝24回)等の優勝回数に比肩する優勝回数(谷風の優勝相当成績:21回)を、現在の3分の1しかない年2場所制で達成したことを考えると、谷風の優勝回数は極めて多いといえる。 現に150年以上の年2場所制の時代で20回以上の優勝・優勝相当成績を達成したのは谷風と(優勝相当成績:28回)だけである。 さらに、優勝20回以上、50連勝以上、通算勝率9割以上を達成したのは大相撲の長い歴史の中で谷風だけである。 以上のように、谷風は天下無敵とよばれるのにふさわしい成績を収めている。 そのため 谷風は歴代横綱の第一人者とされ、実質的な初代横綱として横綱の模範とされる大横綱である。 太刀山の優勝回数・横綱在位場所数は、昭和の大横綱と言われる双葉山の成績と比較しても遜色ない。 両者は谷風、雷電と比較すると優勝回数が少ないが、谷風を除けば年2場所制下の横綱中で優勝回数が多い。 年2場所制下では双葉山は歴代4位、太刀山は歴代5位の優勝回数である。 年6場所制での大横綱である大鵬、千代の富士、北の湖、貴乃花と比べれば優勝回数・横綱在位場所数が少ないが、年2場所制下での成績であることや連勝・勝率からして大横綱と呼ばれるのにふさわしいと考えられている。 昭和の大横綱は、一般的には 、 、 、 の4人を指すのが妥当と考えられる。 なお千代の富士は、初期(元年〜3年)にかけても活躍しているが、昭和末期(56年〜63年)の頃の活躍が主であり、「平成の大横綱」と呼ばれる事はほとんどなく、「昭和最後の大横綱」と呼ばれる事が多い。 平成の大横綱は、第65代横綱・ が活躍し始めたころ、昭和の大横綱と比較する形で生まれた。 第68代横綱・ も、優勝25回・7場所連続優勝・年6場所完全制覇などの大記録を誇る。 第69代横綱・ はとに年間最多の86勝を達成し、さらに2010年には年6場所制以降で史上初の4場所連続15戦全勝優勝や、平成最多の63連勝を成し遂げた。 年6場所制では概して幕内優勝回数が20回を超えると大横綱と呼ばれる傾向があるが、9月場所で白鵬も優勝回数を20回の大台に乗せ、2015年1月場所には大鵬を超える33回目、2017年11月場所には40回目の優勝を記録。 記録上では「大横綱」と呼ばれる。 特に上述の横綱の中で、谷風と双葉山は力量だけでなく品格抜群と評され、歴代横綱中別格の存在として他の力士の模範となっている。 大横綱間の対戦成績 [ ] 年6場所制になってからの大鵬以降の大横綱(朝青龍、白鵬も含む)間の対戦成績は以下の通り。 大鵬-北の湖(対戦なし)• 北の湖-千代の富士(12-6)• 千代の富士-貴乃花(0-1)• 貴乃花-朝青龍(2-0)• 朝青龍-白鵬(12-13) 対戦は全て幕内のみで十両以下での対戦はなし。 大鵬が引退した1971年5月場所は北の湖新十両の場所。 北の湖-千代の富士、朝青龍-白鵬は横綱同士での対戦があるが、貴乃花が関わる対戦については、いずれも 千代の富士、貴乃花の引退間際の対戦である。 優勝決定戦では北の湖-千代の富士(0-1)、朝青龍-白鵬(3-1)となっている。 大横綱と呼ばれる各力士の成績 [ ]• (令和2年)3月場所終了現在。 デフォルトでは時代の古い順に配列。 在位期間の列のソートボタンで元の順序に戻る。 表の右端がはみ出る場合は一時的にブラウザを最大化のこと。 横綱名 在位 場所数 在位期間 1811年2月引退 28回 254勝 010敗 02分 08預 5無 041休. 833. 966. 935. 882. 858. 811. 848. 813. 836. 875. 845 63連勝• 雷電は最高位大関。 谷風、雷電、梅ヶ谷の優勝回数は幕内最高成績(優勝相当)の回数。 谷風、雷電、梅ヶ谷の時代には、幕内力士は千秋楽は休場するのが通例。 また、谷風、雷電には番付に名前の載らない「不出場」(星取表に残らない休場)もしばしばあった。 谷風の63連勝は江戸本場所のみの記録。 大阪本場所、京都本場所を含めると98連勝。 谷風と雷電の連勝記録には、幕下力士を1勝にかえた星が含まれる。 谷風、雷電、太刀山、白鵬には、他にそれぞれ43連勝があって、40連勝以上を二度はこの4人だけ。 太刀山の優勝11回の内訳は優勝9回、優勝相当2回。 谷風から双葉山までの現役時代は年2場所制、制度なし• 千代の富士は優勝決定戦に6回出場して全勝の為、優勝同点は1回も無しである。 雷電と貴乃花の連勝記録は大関時代のもの。 なお貴乃花の横綱時代での最多記録は17連勝が2回。 梅ヶ谷58連勝は平幕から大関にかけてのもので、横綱免許後の最多連勝は6連勝となるが、これは大関時代からの35連勝の一部になる。 栃木山29連勝は関脇から横綱にかけてのもので、横綱免許後の最多連勝は25連勝。 双葉山の69連勝は平幕・関脇・大関・横綱時代にかけてのもので、横綱時代での最多記録は36連勝。 太字の白鵬は現役中。 横綱の品格 [ ] 横綱は力量だけでなく、品格抜群とされるからこそ横綱とされる建前である。 これは横綱昇進条件ともなっている。 横綱の品格基準は日本相撲協会によると:• 一、相撲に精進する気迫• 二、地位に対する責任感• 三、社会に対する責任感• 四、常識ある生活態度• 五、その他横綱として求められる事項 となっている。 しかし、これらを基準として横綱の品格を判断しても、多数者の見解として「品格抜群」といえるか疑問を持たれる横綱は少なくない。 品格は成績と異なり客観的判断が難しく、・・・のようによほどの問題を起こすなどの特段の事情が認められない限り、品格を問題視され引退に追い込まれることはない。 そのため、横綱昇進の条件ともなっている「品格抜群」という条件は、横綱昇進・存続においてほとんど機能しておらず、事実上成績さえ満たせば横綱昇進・存続する。 近年の例では(平成19年)7月場所後、第68代横綱・朝青龍が夏巡業休場表明後の仮病疑惑(母国での参加)により、2場所連続出場停止という処分が下される。 横綱としての品格が問題視され、一部から引退もささやかれていた程であった。 その事件後も朝青龍は現役を続行したものの、それから2年半後の(平成22年)1月場所中に、再びを起こした朝青龍に対し、横綱審議委員会(委員長・)から 史上初の「引退勧告書」が提出される。 結局朝青龍は同年に、自ら責任を取る形で現役引退に追い込まれた。 しかし、歴代横綱で品格抜群の横綱がいないわけではなく、力士の模範となる者も存在する。 例えば、第4代横綱・、第19代横綱・、第35代横綱・は品格・力量抜群とされ、歴代横綱の中で別格の存在として他の力士の模範となっている。 参考グラフ・大鵬• 年度別優勝回数・曙貴時代 青=貴乃花 赤=曙 黄=武蔵丸 横綱相撲と注文相撲 [ ] 上記5. の品格について「 横綱とは常に真っ向勝負。 己の力のみで戦い、駆け引き・頭で戦わず、勝負にも拘らず、負けたと思えば潔く負けを認めるべきである。 」というがありこれを横綱の品格とされている。 近年、モンゴル人横綱がハングリー精神のあまり勝負にこだわった変化 という意表をつく、又は頭脳プレイで魅せる相撲の行為が横綱審議委員会から注文相撲と呼ばれる抗議を受けている。 これについては「相撲は勝ち負けの世界である以上ルールで禁止してなければ作戦を練るのは当然。 真っ向勝負でぶつかって組み合うだけなら馬鹿でもできる。 」と主張するものと「横綱の姿とは日本の精神的強さと様式美、伝統文化を体現するものである」と主張するものに別れている。 これは相撲が元は宗教行事という特殊な発祥であるため、現在でも相撲はスポーツの一つと捉えるべきなのかという議題も起こっている。 遅くとも期に入るとの相撲アナウンサーでも一方的な圧勝を「横綱相撲」と誤って表現することが見られるようになった。 アマチュア相撲の横綱 [ ] (の優勝者)、(の優勝者)、(の優勝者)、(の優勝者)、(の優勝者)など、年代ごとの主要大会での優勝者を通称として「横綱」と呼ぶことも多い。 特に、(小学生を対象にしたの優勝者)は、翌年の大会で大相撲の横綱とほぼ同じ横綱土俵入りを披露することが出来る。 が小学生時代にわんぱく横綱として土俵入りを行っている。 関連項目 [ ]• - 時代の横綱に一時期起こっていた現象(平成15年 2003年 3月場所から平成29年 2017年 1月場所まで、日本出身力士の横綱が不在) 脚注 [ ]• 『大相撲ジャーナル』2017年6月号53頁• 京都大関で五条家横綱の磯風音次郎は(明治23年)5月 吉田司家より横綱免許の記録有りとする文献有り- 読売新聞社 古今大相撲辞典 (昭和55年)発行• 例外としては1951年に元の高砂親方がアメリカ巡業の際に土俵入りを行っている• 頭山満写真集• は2001年(平成13年)7月場所から2002年(平成14年)7月場所まで連続7場所全休した記録があり、横綱の連続全休の記録としては史上最長である。 また、は途中休場の場所を含めて2017年(平成29年)5月場所から2018年(平成30年)7月場所まで連続8場所休場した記録がある。 ZAKZAK 2013. ZAKZAK 2013. 例として2013年11月場所を1差次点の13勝で終えた稀勢の里は、翌2014年1月場所を幕内初優勝することでようやく「優勝に準ずる成績」に到達する。 ただし、年6場所制になって以降連覇せずに横綱になった力士のうち、、、、、、、、 、の10人は、横綱昇進後に連覇を達成している。 この内、隆の里と稀勢の里のみ横綱昇進をまたぐ形での連続優勝である。 リアルライブ 2013年5月27日• リアルライブ 2013年11月25日• " どこまで厳しくなる?横綱昇進条件 " - 大相撲 2009年7月号 p64 読売新聞社• " 【大相撲】横審、日馬富士「来場所の綱取りは厳しい」 " - 産経ニュース web 2009. この6場所中5場所で横綱よりも好成績であった。 年6場所制定着以降、2014年3月場所後に昇進した鶴竜以前に「昇進直前3場所前が1ケタ白星でありながら連覇無しで綱取りを果たした横綱」は1人もいなかった。 東スポWeb 2014年1月28日16時00分• 1960年11月場所から翌年3月場所までの間に11勝-13勝(優勝)-12勝(1差次点)を記録しており、1961年3月場所後に昇進を見送られたもののこの時すでに綱取りに相応しい成績を残していた。 13例目と14例目は、千代の富士と北勝海()が、15例目は貴乃花と若乃花()が同部屋だったため、本割で対戦が組まれることは無かった。 BLOGOS(2019年9月16日記事)• だが、3月場所でとの2大関が13勝2敗と、共に優勝次点(優勝は15戦全勝の横綱・朝青龍)の成績を挙げた際、翌場所の成績いかんによって両者横綱昇進も在り得るとされ、複数力士の同時横綱昇進の可能性も完全否定するものではない。 このうち、双羽黒は横綱昇進前を含めても幕内最高優勝を一度も果たせなかった。 逆に三代若乃花は横綱昇進前に5度、男女ノ川は2度幕内最高優勝を経験。 他の4人はいずれも横綱昇進前に1度だけ幕内最高優勝を経験している。 戦後本場所開催が不定期だった期間を含む。 " " - 内館牧子 読売新聞 2005年1月26日 [ ]• " " - 大相撲星取クイズ 綱の系譜• 基本的に、、等の奇襲戦法やトリックプレー、等の相手をいなす形、それに伴い呼び水となるやは横綱の取る相撲としては好ましくないとされている。 (これは相手の格下力士も同様であり横綱相手に打撃技は使わず組み合うよう促している)珍しい所では2004年7月場所中日で横綱(現:実業家・タレント)が、相手の琴ノ若の上手投げで朝青龍が仰向けになりながらもブリッジ状態でなお廻しを離さなかった行為にマスコミ等では「驚異の身体能力」「最後まで諦めない勝負への執念」と紹介されたが協会側からは「投げられたと思ったら潔く敗けを認めるべきだった。 」と注文相撲を受けた。 -スポーツ報知 [ ]• -r25 相撲で「立会い変化」が問題視されるのはナゼ? ] [ ]• 時事通信 2020年05月02日09時11分 2020年5月2日閲覧 ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。

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【大相撲】平成の歴代横綱まとめ【63代~73代】

大相撲 横綱

横綱は地位ではなく、称号でした。 第4代横綱・谷風と第5代横綱・小野川が1789年に横綱土俵入りを行ったが起源として分かっています。 誰しもが土俵入りができたわけではなく、人気力士に対して横綱免許を与える形で横綱土俵入りを行っていたんだとか。 ですから、この当時は番付表では大関が最上位であって横綱という正式な地位が出来たのは明治時代に入ってからなのです。 現代でこそ成績次第で横綱になれるわけですが、ただ単に強いだけではなく品格が問われるのはこういったことに由来しています。 ただ単に強いだけなら、昔でいうところの大関止まりということになるのではないでしょうか。 大関から横綱への昇進条件とは?横綱へ昇進した過去力士の成績紹介! 日本相撲協会によって大関から横綱への昇進が許可されるわけですが、昇進できる条件が一応存在しています。 その条件とは 「大関として2場所連続優勝に準ずる成績」とされています。 もちろん、横綱は力量だけではなく品格も重要視されていますので成績だけでは無い面が少なからず存在します。 横綱推挙状には、 「品格力量抜群につき横綱に推挙す」と書かれています。 横綱には力量よりも、品格を求めているのがこの文章から伺いしれます。 はっきり言って「準ずる成績」というのは大変曖昧となる部分で、どこまでは準ずる成績なのか?までは決まっていません。 ですから、単純に勝敗数だけを見て決められるものではないということになります。 まずは、過去の横綱に昇進した力士の成績を見ていきましょう! 優勝… 赤色 同点優勝… 水色 準優勝… 黄緑色 四股名 3場所前 2場所前 先場所 3場所合計 勝率 優勝回数 柏戸 10勝5敗 11勝4敗 12勝3敗 33勝12敗. 733 1回 大鵬 11勝4敗 13勝2敗 12勝3敗 36勝9敗. 800 3回 栃ノ海 11勝4敗 14勝1敗 13勝2敗 38勝7敗. 844 2回 佐田の山 13勝2敗 13勝2敗 13勝2敗 39勝6敗. 867 3回 玉の海 13勝2敗 10勝5敗 13勝2敗 36勝9敗. 800 2回 北の富士 12勝3敗 13勝2敗 13勝2敗 38勝7敗. 844 3回 琴櫻 9勝6敗 14勝1敗 14勝1敗 37勝8敗. 822 4回 輪島 11勝4敗 13勝2敗 15戦全勝 39勝6敗. 800 2回 若乃花 2代 13勝2敗 13勝2敗 14勝1敗 40勝5敗. 889 1回 三重ノ海 10勝5敗 13勝2敗 14勝1敗 37勝8敗. 822 1回 千代の富士 11勝4敗 13勝2敗 14勝1敗 38勝7敗. 844 2回 隆の里 12勝3敗 13勝2敗 14勝1敗 39勝6敗. 867 2回 双羽黒 10勝5敗 12勝3敗 14勝1敗 36勝9敗. 800 なし 北勝海 11勝4敗 12勝3敗 13勝2敗 36勝9敗. 800 2回 大乃国 15戦全勝 12勝3敗 13勝2敗 40勝5敗. 800 3回 曙 9勝6敗 14勝1敗 13勝2敗 36勝9敗. 800 3回 貴乃花 11勝4敗 15戦全勝 15戦全勝 41勝4敗. 911 7回 若乃花 10勝5敗 14勝1敗 12勝3敗 36勝9敗. 800 5回 武蔵丸 8勝7敗 13勝2敗 13勝2敗 34勝11敗. 756 5回 朝青龍 10勝5敗 14勝1敗 14勝1敗 38勝7敗. 844 2回 白鵬 10勝5敗 13勝2敗 15戦全勝 38勝7敗. 844 3回 日馬富士 8勝7敗 15戦全勝 15戦全勝 38勝7敗. 844 4回 鶴竜 9勝6敗 14勝1敗 14勝1敗 37勝8敗. 822 1回 稀勢の里 10勝5敗 12勝3敗 14勝1敗 36勝9敗. 800 1回 2場所連続優勝で横綱昇進を果たして力士 準優勝のみで昇進 「大乃国」のみ。 3場所前の成績が8勝7敗の「旭富士」「武蔵丸」「日馬富士」が2場所連続優勝で横綱昇進を決めていることから、3場所前の成績は加味されていないと言えるように見えます。 ですが、 大乃国が横綱昇進した際には2場所連続で優勝を逃し5つ負けているにも関わらず昇進しているのには、大いに3場所前の15戦全勝優勝が加味されているのではと思われます。 また、稀勢の里が横綱昇進した際には2場所前に優勝した鶴竜に2つの勝ち星さを付けられて、準優勝させ出来なかったわけですが結果的に14勝1敗で初優勝したことや年間最多勝という加味されてるべきでない点によって横綱昇進を手にしています。 このように実は、「大関として2場所連続優勝に準ずる成績」というのはかなり曖昧で、その時の横綱の数や人気、もちろん品格によっては成績が良くても昇進出来ない場合もあります。 あくまでも、一つに大きな基準として考えるだけであって様々な要素が加味されて横綱昇進に繋がることが分かっていただけたのではないでしょうか。

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歴代横綱力士一覧 大相撲.jp

大相撲 横綱

この記事の目次• 7 2 55代 北の湖 63 109 57. 8 3 58代 千代の富士 59 125 47. 2 4 48代 大鵬 58 87 66. 7 5 65代 貴乃花 49 90 54. 4 6 64代 曙 48 78 61. 5 7 54代 輪島 47 68 69. 1 7 47代 柏戸 47 84 56. 0 8 68代 朝青龍 42 67 62. 7 9 41代 千代の山 32 54 59. 3 9 71代 鶴竜 36 110 32. 7 10 36代 羽黒山 30 46 65. 2 10 70代 日馬富士 30 100 30. 0 10 61代 北勝海 30 80 37. 5 11 56代 2代若乃花 28 88 31. 8 11 44代 栃錦 28 66 42. 4 12 67代 武蔵丸 27 86 31. 4 12 52代 北の富士 27 105 25. 7 13 45代 初代若乃花 26 65 40. 0 14 38代 照國 25 41 61. 平成30年3月場所で、北の湖を抜いて単独トップに立った白鵬を筆頭に時代を彩った名横綱がずらりと並んでいますね。 この数値で力士人生のうち横綱として土俵を務めた割合がどれぐらいなのかが分かると思います。 1位の54代横綱輪島は69.1%という高い在位率ですが、これは大学卒の学生相撲出身で幕下付出(60枚目格)での角界入りも影響しているでしょう。 そう考えると、前相撲からである大鵬の66. 7%や白鵬や朝青龍の在位率は輪島と同等か、それ以上の数値とも言えるのではないでしょうか。 2 2 39代 前田山 6 52 11. 5 3 57代 三重ノ海 8 105 7. 6 3 53代 琴櫻 8 93 8. 6 3 37代 安藝ノ海 8 32 25. 0 3 33代 武藏山 8 41 19. 5 4 63代 旭富士 9 67 13. 4 4 60代 双羽黒 9 54 16. 7 5 51代 玉の海 10 76 13. 2 6 66代 3代若乃花 11 73 15. 1 6 24代 鳳 11 35 31. 4 7 72代 稀勢の里 12 101 11. 9 7 34代 男女ノ川 12 46 26. 1 7 32代 玉錦 12 53 22. 6 7 26代 大錦 12 27 44. 4 8 22代 太刀山 14 36 38. 9 9 59代 隆の里 15 106 14. 2 9 30代 3代西ノ海 15 42 35. 7 9 27代 栃木山 15 30 50. 0 次は横綱在位数が短い力士を見ていきますが、その前に補足として場所数の違いをご紹介。 相撲の歴史は長く、年間の場所数も変動しています。 現在のような年6場所制が確立したのは昭和33年(1958)からであり、それ以前は2~5場所と場所数に大幅な違いがあるのです。 それを踏まえたうえで表を見てみると、1位の2代西ノ海は横綱在位が5場所、2位の前田山は在位数が6場所で現在の感覚では1年で退いたように思いそうですが、実際は両者が横綱だった頃は年間2~3場所であるため、2年ほどは務めているのです。 そこで近代横綱に目を移してみると、三重ノ海や琴櫻、旭富士に双葉黒あたりが短命に感じられますね。 そして、 現役横綱として進退が囁かれていた稀勢の里ですが、ついに引退を表明しました。 横綱在位は12場所となりました。 スポンサーリンク 優勝回数が多い横綱 順位 横綱 代数 四股名 優勝 回数 優勝率 (%) 勝率 (%) 生涯 場所数 横綱在位 場所数 勝数 敗数 休場 出場回数 1 69代 白鵬 43 37. 7 83. 1 114 76 1147 241 164 1380 2 48代 大鵬 32 36. 8 82. 7 87 58 872 182 136 1045 3 58代 千代の富士 31 24. 8 70. 5 125 59 1045 437 170 1473 4 68代 朝青龍 25 37. 3 79. 5 67 42 669 173 76 838 5 55代 北の湖 24 22. 0 73. 1 109 63 951 350 107 1293 6 65代 貴乃花 22 24. 4 75. 2 90 49 794 262 201 1049 7 54代 輪島 14 20. 6 74. 2 68 47 673 234 85 899 8 35代 双葉山 12 23. 5 75. 0 51 17 348 116 33 463 8 67代 武蔵丸 12 14. 0 72. 6 86 27 779 294 115 1068 9 22代 太刀山 11 30. 6 87. 6 36 14 211 30 73 257 9 64代 曙 11 14. 1 73. 8 78 48 654 232 181 882 10 31代 常ノ花 10 20. 4 76. 5 49 20 263 81 66 361 10 45代 初代若乃花 10 15. 4 70. 1 65 26 593 253 70 844 10 44代 栃錦 10 15. 2 70. 2 66 28 578 245 44 821 10 52代 北の富士 10 9. 5 64. 8 105 27 786 427 69 1208 11 27代 栃木山 9 30. 0 88. 3 30 15 197 26 24 235 11 32代 玉錦 9 17. 0 75. 4 53 12 350 114 17 466 11 70代 日馬富士 9 9. 0 65. 2 100 30 827 441 73 1263 12 19代 常陸山 8 17. 8 91. 4 45 22 159 15 131 199 12 61代 北勝海 8 10. 0 67. 4 80 30 591 286 109 874 さて、本題に戻って次は優勝回数が多い横綱を見ていきます。 言わずもがなですが、1位は現役横綱の白鵬です。 優勝回数は色々なメディアでも目にすることが多いので、ここでは更に 「優勝率」を求めてみました。 これは優勝回数を生涯場所数で割って算出したもので、どれほどの頻度で優勝しているのかが分かります。 この優勝率でも1位は白鵬ですが、2位には朝青龍がランクインしています。 生涯場所数が67場所と少ないですが、その間に25回もの優勝を挙げている朝青龍は、白鵬にとっては高い壁でありライバルでもありました。 もしも朝青龍の現役がもっと長く続いていたら?白鵬の優勝回数はどうなっていたでしょうか。 優勝回数が少ない横綱 順位 横綱 代数 四股名 優勝 回数 優勝 率(%) 勝率 (%) 生涯 場所数 横綱在位 場所数 勝 敗 休 出場回数 1 60代 双羽黒 0 0. 0 65. 4 54 9 348 184 24 529 2 39代 前田山 1 1. 9 66. 7 52 6 306 153 50 451 2 43代 吉葉山 1 2. 1 67. 6 47 17 357 171 85 521 2 30代 3代西ノ海 1 2. 4 71. 8 42 15 176 69 121 250 2 33代 武藏山 1 2. 4 75. 2 41 8 240 79 71 318 2 25代 2代西ノ海 1 2. 6 73. 1 38 5 117 43 70 200 2 37代 安藝ノ海 1 3. 1 67. 4 32 8 209 101 38 309 3 72代 稀勢の里 2 1. 98 61. 9 101 12 800 492 97 1286 3 62代 大乃国 2 2. 5 63. 7 81 23 560 319 113 876 3 34代 男女ノ川 2 4. 3 65. 5 46 12 294 155 34 449 3 38代 照國 2 4. 9 74. 0 41 25 318 112 74 422 3 24代 鳳 2 5. 7 69. 8 35 11 113 49 68 180 3 29代 宮城山 2 9. 1 57. 8 22 17 104 76 26 176 4 57代 三重ノ海 3 2. 9 57. 0 105 8 695 525 56 1214 4 49代 栃ノ海 3 4. 7 64. 7 64 17 478 261 104 733 4 20代 2代梅ヶ谷 3 6. 4 85. 5 47 24 183 31 116 264 5 59代 隆の里 4 3. 8 58. 4 106 15 693 493 80 1180 5 56代 2代若乃花 4 4. 5 67. 0 88 28 656 323 85 975 5 63代 旭富士 4 6. 0 64. 0 67 9 573 323 46 893 5 42代 鏡里 4 8. 0 68. 7 50 21 415 189 33 602 最後に優勝回数が少ない横綱を見てみましょう。 1位の双葉黒(北尾)は優勝が一度もない横綱として有名ですね。 優勝次点(12勝3敗)と優勝同点(14勝1敗)の好成績を2場所続けた大関・北尾は、一度も優勝経験がないまま横綱に推挙されて昇進、双葉黒と四股名を改めて期待されましたが、結局は一度も優勝することがないまま廃業してしまいました。 優勝1回の横綱に目を移してみると、大正から昭和中期頃の横綱で現在とは時代背景などの違いがあるかもしれません。 近代横綱で見ると大乃国の2回が際立って少ないように感じますね。 また、現役である稀勢の里も現時点では2回ですので、優勝回数をのばして貰いたいところです。 おすすめの記事 今回の記事では明治後期(1910年頃)からの東京相撲の横綱を対象に、優勝回数や在位場所数にポイントを置いてご紹介いたしました。 当サイトではこの他に、 すべての横綱についての詳細な一覧表もご用意しております。 歴代の横綱についてご興味のある方はぜひご覧ください。 カテゴリー• 121• 104• 108•

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