グラビア アイドル 歴史。 GOROでアイドルの歴史を振返る5“1979年” 山口百恵の水着ピンナップ

【画像】Mカップの超絶爆乳グラビアアイドルwww

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グラビアアイドルの歴史はアグネス・ラムから始まると言われるが、彼女の時代、「グラビアアイドル」という言葉は存在しなかった。 その後、堀江しのぶ、かとうれいこ、細川ふみえの時代を経て、1995年雛形あきこの大ブレイクによって、我が国にグラビアアイドルという言葉が根付いたのだった。 90年代後半から2000年代前半は、まさにグラビアアイドルの時代だった。 癒し系、ロリ、知性派、爆乳、着エロ、様々なグラビアアイドルが登場した。 しかし、現在グラビアアイドルというジャンルは完全に衰退局面に入っている。 なぜグラビアアイドルはAKB48の後塵を拝すようになってしまったのか。 その歴史をアイドル「幻想」が崩壊していく過程として振り返る。 本書はのべ400人以上のアイドルに取材した1969年生まれのフリーライターが、2011年に刊行した日本女性グラビアアイドル史である。 本書によれば、日本における事実上初めてのグラビアアイドル(歌を本業としない)は、1975年頃の中国系米国人アグネス・ラムであるが、グラビアアイドルが本格的に発展したのは1980年代であり、野田義治によるイエローキャブ方式(短期間の水着グラビアの間にしゃべりを勉強させ、水着の不要なタレントに育成する方式)の成功が大きな意義を持つ。 以後、彼は95年頃に少年誌のグラビアを飾った雛形あきこなど、巨乳アイドルを多数育成し、アイドル冬の時代(実際にはアイドル歌手にとって厳しい時代)を打開した。 98年には大手老舗事務所出身の優香がイエローキャブ方式で本格ブレイクし、以後グラビアアイドルは増加と多様化(知性派、癒し系、微乳など)、年齢幅の拡大の時代を迎えたが、2000年代には爆乳への幻滅、着エロの過激化、バラエティでの過激なぶっちゃけトーク、スキャンダルの続発、枕営業やタニマチの発覚などが重なり、アイドルへの幻想が崩壊した上、グラビアアイドルの職業化による世代交代の阻害、異業種(女優、キャスター、アスリート、モデル、声優、AKB48など)からのグラビア進出、雑誌不況、AV女優とのボーダーレス化が重なり、グラビアアイドルの存在意義は大きく低下した。 この状況に対し、著者はぶっちゃけ発言の見直し、不祥事への対策、グラビアアイドルの職業化の見直しなどによるグラビアアイドルの復権を提言する。 本書は今となっては懐かしい具体的なアイドル名(画像も比較的多い)を挙げながら、以上のような内容を主張するのだが、私見ではその分析は印象論に基づいているように思われるし、内容もそれほど目新しいものではない。

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GORO1985年3号は岡田有希子が表紙 1984年にデビューした岡田有希子は1985年にはアイドルのトップランナー。 グリコセシルチョコレートに続き、1985年には東芝のヘアドライヤー、レッツチャットのCMにも抜擢され、CM曲となった「二人だけのセレモニー」はオリコン4位と、シングルを出すたびにランクを上げるという活躍ぶりでした。 GORO3号は「二人だけのセレモニー」をリリースした頃に発売されたものです。 「二人だけのセレモニー」は尾崎亜美が作曲。 松田聖子に「天使のウインク」を提供したシンガーソングライターです。 松田聖子と同じサンミュージック所属の岡田有希子の期待の高さがわかるというものですね。 1980年代はタレントヌード写真集の時代でもありました。 70年代に輝いたアイドルたちが、次々とセクシー、時にはヌード写真集を発売。 毎週のようにGOROなどのグラビアがある雑誌に掲載されるアイドルたちの裸体に興奮したものです。 この1985年3号では大場久美子がセクシーグラビアを発表しています。 ちなみに1985年GOROでヌードを披露した70年代アイドルをあげていくと、2号で香坂みゆきがヌード10ページ、4号でシェリーがヌード6ページなどです。 GORO1985年4号表紙は大スター中森明菜 1984年オリコンチャートベスト10に「十戒」「北ウイング」「サザンウインド」の3曲がランクイン。 まさに歌姫でした。 1985年1月には近藤真彦とのダブル主演を果たした映画「愛・旅立ち」が公開。 3月8日にリリースした「ミ・アモーレ」で1985年のレコード大賞を受賞する活躍でした。 GORO1985年4号で表紙、ポスターとなっていますが、スターの貫禄が十分わかるというものです。 この4号では岡田有希子がビキニ姿を披露。 アニメにでも出てきそうな素敵なスタイルに世の中の男性をしびれさせました。 幼なじみと海に行って、脱いだら、これだったら、もう緊張して口がきけなくなるというものです・・・なんてことをみんな想像していたかもしれません。 スポンサーリンク 1985年、おニャン子クラブデビュー 1985年4月、アイドル界に革命が起きます。 それを仕掛けたのは秋元康。 そう、AKB48のプロデューサーです。 平日夕方5時からフジテレビ系列ではじまった「夕やけニャンニャン」はまさに革命的な番組でした。 この番組のマスコットガールとして毎週オーディションが開催され、選ばれていったのがおニャン子クラブです。 アイドル予備軍などもいる中、新田恵利など本当に普通の女子高生も中にはいて、学校の行事があると番組を休むというゆるさも魅力でしたね。 その頃、秋元康はおニャン子クラブのメンバーの基準として、クラスで2番めに可愛い子という表現をしていたのが印象的です。 松田聖子、河合奈保子からはじまった1980年代のアイドルは、中森明菜、小泉今日子などの実力派を群雄割拠させた後、菊池桃子、岡田有希子など自然体のお嬢様的な需要を欲しがり、ついにはもっと身近なクラスの隣の席の子になっていったのです。 1985年7月5日にリリースした「セーラー服をぬがさないで」はオリコン5位を獲得。 その後、おニャン子クラブや、おニャン子クラブメンバー、おニャン子クラブユニットの曲がオリコン上位を独占しだすという現象が発生しました。 GOROで、おニャン子クラブがはじめて登場したのは1985年23号。 1986年になると、新田恵利、河合その子、高井麻巳子が単独で表紙を飾っています。 おニャン子クラブが雑誌に出てくると昭和も終わりだなぁという感じがしてきますね。 この後、中山美穂、斉藤由貴、南野陽子なども活躍しましたが、 GOROで昭和アイドルを振返るシリーズはこれにて完結とさせて頂きます。 GOROの買取は昭和アイドルコレクション専門買取の星瞬堂がオススメです。

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