どうやって 生き て いく か。 Path

どうやって生きていけばいいか分からなくなりました。

どうやって 生き て いく か

バカはどうやって生きていけばいいのでしょうか?周りに迷惑をかけないように生きたいのですが、何も取り柄が無い人間は生きていく事が出来ないのでしょうか? 負け組の役割すら全う出来ない気がしてなりません。 社会のごみは自分でごみ捨て場まで行かなければならないのでしょう。 勝ち組の手を汚してはいけないですから。 何でも良いからもう少し才能を持って生まれたかったです。 頭の良い人が本当に羨ましい・・・何故皆さんはそんなに頭がよろしいのでしょう?今ある常識や社会制度が何故この様な形を取っているのか、他ではなく何故これなのか、も過去の人々が試行錯誤の上で作り上げた(この過程で彼らが考えたであろう事も分かりません)以外の理由では、全く合理的に理解できません。 そして理解できないが故に受け入れる事も出来ません。 時代も人も全てが自分を上回っているのが現状です。 この事すら分からない人間に日本国民を名乗り、選挙に参加する権利が無いことは明らかです。 あなたは勘違いをしていますよ。 >今ある常識や社会制度が何故この様な形を取っているのか >全く合理的に理解できません。 この考えが正常です。 この世の中は、権力を持っている人達が、一般市民からいかに労働力を搾り取れるか?それをテーマにつくった制度によって営まれています。 悲しい事ですが、人類が始まったときからその制度が使われている、と云われています。 「勝てば官軍、負ければ賊軍」というのをご存知ですか? 実のところ、表の歴史というのは、殆どが嘘と考えていた方がよいでしょう。 常に勝った側の都合の良い歴史に書き換えられてしまうからです。 負けたほうの言い分は残されないのです。 (権力者により、真実が書かれた本を焼かれた時代もありました) それらの行為は、現在も堂々と続けられています。 権力者に媚びている学者が、嘘を堂々と発表すると、皆はそういうものだと勘違いしてしまいます。 地球温暖化で氷が解けると・・・海面上昇しません。 (違う理由です) 水は氷ると膨張するからです。 (小学生でも判ることを、学者が堂々と嘘をつくのです。 ) 皆、「そう決まっている事だから・・・」「偉い人がそう云っているから」と洗脳されているので、理由など考えずに社会の矛盾をそのまま受け取っています。 その不合理に気づいているあなたは、頭が良い部類に入ります。 論理的に納得しないと、そのルールや方式を使えないのでは? もしかしたら、数学も公式のワケを考えている内に遅れてしまったとか? たぶん、あなたは大器晩成型なのでしょう。 あなたが思っている人の「頭が良い人」とは、何も考えずに記憶できるから勉強が出来る人達の事ではないですか? その様な人たちは、実は頭が悪いのです。 訳も解らずに、やれと言われている事を黙々とこなしているだけなのです。 意味も解らずに勉強している人の、どこが頭の良い人ですか? 人生の意味も解らずにいる人達の、どこが勝ち組ですか? 権力者の敷いたレールや権力者の造った流行に乗っているだけです。 どうせなら、何故この世は矛盾だらけでおかしいのか? そういうことを、ネットなどで検索してみるとよいでしょう。 真実をシェアしている、良心的なHPなども多数あります。 解らない事はどんどん調べ、そのとき納得した事だけを受け止めましょう。 おかしな事をおかしいと云えるだけの、根拠と信念を持ってください。 今は落ち込んでいるかもしれないが、多くを調べたり学んでいるうちに、「必ず強くなる!」のです。 一歩いっぽですが、徐々に確実に強くなっていくのが、あなたのような人なのです。 選挙の時、政治を任せるような人がいないと思ったら、「該当者無し」という一票をいれてもかまいません。 あなたには、このおかしな世の中の矛盾を感じるという、才能があります。 周りに振り回されずに、強くなって欲しいと願うばかりです。 勝つことよりも、どうすれば(自分を含む)皆が幸せになれるのか?と考えたり感じたほうが、幸せになれますよ。 >日本国民を名乗り、選挙に参加する権利が無いことは明らかです。 残念ながら、権利はすでにあるのです。 あなたが、日本国民としてのアイデンティティーをお持ちであれば。 「アイデンティティー」と一概に表記すると、誤解を招きそうですが、ここでいうのは、「身分証明」という意味です。 あなたが、日本国籍を有し、戸籍登録されているのであれば、 日本人としてのアイデンティティーは、そこに存在し、 日本国憲法では、いくつかの制限はあれ(年齢とかね。 未成年なら、選挙権は現状、ありませんし。 ) 何も取り柄がなかろうが、どんな思想傾向であろうが、権利は保障されています。 というのは、あなたが権利放棄をしているだけにすぎない。 また、 >周りに迷惑をかけないように生きたいのですが、 と仰られていますが、それは、あなたの理想に過ぎないと思います。 その理想が人間が保有する、絶対的共有価値観であるはずがない。 私の価値観は、「迷惑をかけない人間がいるはずがない。 」と思っています。 理解できないことを、受け入れる必要性もない。 >何も取り柄が無い人間 と、これは、ご自身のことを揶揄していらっしゃるのでしょうが、 私から言わせて頂くとしたら、そんなことはありません。 綺麗ごとじゃ無くね。 理由は簡単です。 私に、「あなたに、何かを伝えたい」と思わせてくれたのが、結果です。 そうして、私は、こうやって拙い文章を、今、連ねている。 あなたに向けて。 「理解してほしい」とか、そんなこと、今の私の感情には2の次以降です。 私がとっているアクションは、私が、私の意見をあなたに伝えたくなったという、 明確な私の意思であり、この意思には、何にも束縛されるものではない。 私が、今、まさに回答を書いていることで、 「私の時間を奪い、迷惑をかけた」などと、感じるのであれば、それはあなたの価値観では、正当化されるものかもしれませんが、 私の意思を全く無視したものであり、私は迷惑と、何一つ感じておらず、 「こんなバカな意見に、そんなこと書くなんて、バカがいるもんだ。 」と感じたのであれば、 あなたの思想からすれば、私も生きていくことが出来ない人間なのかもしれませんね。 ただ、私は、(私も?)自分で、自分のことをバカだと思っていますし、 まぁ、なにをやらしても、上手くできませんし、人として、きちんと何かが欠落している、欠陥品みたいなものだと思っています。 それでも、私は、生きていくことを、自分の意思で、しています。 >何も取り柄が無い人間は生きていく事が出来ないのでしょうか? 私自身も、自分で、自分の取り柄というものを、見つけれているわけではないですが、 出来るか出来ないかなら、少なくとも、私が生きている以上、「出来る」という証明にはなると思います。 >バカはどうやって生きていけばいいのでしょうか? そこばかりは、自分で考えないといけないでしょうね。 私は、あなたのことを、バカだとは思いませんが、 自分の生き方、生き様は、誰かが決めれくれることでは無いと思っています。 すいません。 回答しているというか、 自分のことばかり申し上げた乱文になりましたこと、心よりお詫びいたします。

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どうやって生きていったらいいかわからない~そんなときは

どうやって 生き て いく か

夢をあきらめるなというけれど がんばっても報われなかったら絶望が生じる 「夢や希望をもって生きましょう」とか「夢や希望があるから私たちは生きていける」とかよく言いますよね。 それ耳にはとても心地よいフレーズなんですが、実際【夢】や【希望】があるからこそ【絶望】が生じるということも私たちは頭に入れておかなくてはなりません。 わたしたちは幸せになるために「夢」や「希望」を叶えようとひたすらがんばっています。 なのにまったく報われないという状況におちいってしまいます。 がんばってもがんばっても報われないとき、人は絶望します。 人は絶望するとつよい怒りの感情で行動してしまいます。 「怒り」が他人に向けられたとき、それが激しい怒りになると「殺人」を犯してしまいます。 「怒り」が自分に向けられたとき、それが激しい怒りになると「自殺」してしまいます。 幸せになるためにがんばっているのに、なんでこうなってしまうのでしょう? 「夢」や「希望」というのは洗脳 私たちは「ああなりたい」「こうなりたい」と夢や希望をもってがんばっているのに、幸せじゃないのは「夢」や「希望」をもって生きるということじたいが間違っているということをまずは理解しましょう。 だいたい「夢」や「希望」をもって生きることがいいことならば世界がこんなに混乱しているわけがないのです。 「夢」や「希望」の正体は「生存欲」という「欲」です。 みんな「生存欲」という強烈な本能につきうごかされて生きています。 「生きていたい」というのは生命の根本的な本能ですから、限りがありません。 この「欲」を満たすためだけに、わたしたちは生きているといっていいでしょう。 世界はこの欲につきうごかされているからこそ、こんなにも混乱しているのです。 そして、この「生存欲」から派生するさまざまな欲が満たされないときわたしたちは深い失望を覚えるのです。 「欲」というのは思いどおりにいかないことを思いどおりしたいと願う心のことです。 これが非常に生きることを苦しくする原因なのです。 「欲」というのは本能ですからそれが満たされないということは非常な苦しさを生み出します。 夢や希望が満たされたいけれども、満たされないから苦しい。 だったら夢や希望のない生き方をすればいいじゃないかというと、それは絶対にいやという気持ちがわいてくると思います。 「夢や希望のない暮らし」というフレーズにどうしてこんなにも拒否反応を示してしまうのかというと、そこに「恐怖心」があるからです。 「夢や希望」が無くなってしまったら、どうやって生きていっていいのかわからなくなるのです。 夢や希望が無くて、どうやってうまく生きていけるのかという恐怖心がそこにはあります。 それがわたしたちが「夢や希望」を手放したくないという気持ちにさせるのです。 とはいえ、あきらめなくてはならないときも多々ある 何か自分の願望をあきらめなくてはならないとき、人は非常におおきな苦しみを覚えます。 孤独感、空しさ、悲しさ、怒り、憎しみ 自分の欲が満たされないことにたいして、深い絶望感を感じ 「どうやって生きていったらいいのかわからない」 という状態におちいってしまいます。 私が瞑想して得たこと 「どうやって生きていったらわからない」とき、人は何を頼りに生きていけばいいのでしょう? 人生が暗闇につつまれてしまったと感じたとき、何を明かりに進めばいいのでしょう? 私が瞑想している最中に出てきた答えは 「優しい心を失うな」 というものでした。 人は絶望感をおぼえたとき怒りの感情で行動してしまいます。 そして、それはさらに私たちを不幸に追いやります。 怒りの感情もまた本能です。 本能の任せるまま生きていけば人は不幸になります。 対して「優しい心」「慈しみの心」というのは理性です。 深い絶望におちいったとき、ぜったいに手放してはいけないのが、この「優しい心」「慈しみの心」です。 深い絶望にあって「どうやって生きていいかわからない」ときこそ、 「こういうとき慈しみの心で対応したらどうなるか」ということを頭において行動するようにするのです。 そうすれば理性のある生き方ができるようになります。 慈しみの心が、あなたを守ってくれます。 そしていつかその優しい心が自分を救ってくれることになります。 ギリシャ神話でパンドラの箱に最後に残ったのは【希望】でした。 ギリシャ神話の神様というのは怒ってばかりだからそういうお話になったのかもしれませんが【希望】というのはうまく生きていくうえで役に立つもんではないのです。 仏教的なパンドラの箱の中に残っているのは 「優しい慈しみの心」です。 それが、わたしが今回、瞑想して得た「知恵」です。 関連記事:.

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女性が一人で生きていく職業・仕事。一生続けるための働き方とは?

どうやって 生き て いく か

夢をあきらめるなというけれど がんばっても報われなかったら絶望が生じる 「夢や希望をもって生きましょう」とか「夢や希望があるから私たちは生きていける」とかよく言いますよね。 それ耳にはとても心地よいフレーズなんですが、実際【夢】や【希望】があるからこそ【絶望】が生じるということも私たちは頭に入れておかなくてはなりません。 わたしたちは幸せになるために「夢」や「希望」を叶えようとひたすらがんばっています。 なのにまったく報われないという状況におちいってしまいます。 がんばってもがんばっても報われないとき、人は絶望します。 人は絶望するとつよい怒りの感情で行動してしまいます。 「怒り」が他人に向けられたとき、それが激しい怒りになると「殺人」を犯してしまいます。 「怒り」が自分に向けられたとき、それが激しい怒りになると「自殺」してしまいます。 幸せになるためにがんばっているのに、なんでこうなってしまうのでしょう? 「夢」や「希望」というのは洗脳 私たちは「ああなりたい」「こうなりたい」と夢や希望をもってがんばっているのに、幸せじゃないのは「夢」や「希望」をもって生きるということじたいが間違っているということをまずは理解しましょう。 だいたい「夢」や「希望」をもって生きることがいいことならば世界がこんなに混乱しているわけがないのです。 「夢」や「希望」の正体は「生存欲」という「欲」です。 みんな「生存欲」という強烈な本能につきうごかされて生きています。 「生きていたい」というのは生命の根本的な本能ですから、限りがありません。 この「欲」を満たすためだけに、わたしたちは生きているといっていいでしょう。 世界はこの欲につきうごかされているからこそ、こんなにも混乱しているのです。 そして、この「生存欲」から派生するさまざまな欲が満たされないときわたしたちは深い失望を覚えるのです。 「欲」というのは思いどおりにいかないことを思いどおりしたいと願う心のことです。 これが非常に生きることを苦しくする原因なのです。 「欲」というのは本能ですからそれが満たされないということは非常な苦しさを生み出します。 夢や希望が満たされたいけれども、満たされないから苦しい。 だったら夢や希望のない生き方をすればいいじゃないかというと、それは絶対にいやという気持ちがわいてくると思います。 「夢や希望のない暮らし」というフレーズにどうしてこんなにも拒否反応を示してしまうのかというと、そこに「恐怖心」があるからです。 「夢や希望」が無くなってしまったら、どうやって生きていっていいのかわからなくなるのです。 夢や希望が無くて、どうやってうまく生きていけるのかという恐怖心がそこにはあります。 それがわたしたちが「夢や希望」を手放したくないという気持ちにさせるのです。 とはいえ、あきらめなくてはならないときも多々ある 何か自分の願望をあきらめなくてはならないとき、人は非常におおきな苦しみを覚えます。 孤独感、空しさ、悲しさ、怒り、憎しみ 自分の欲が満たされないことにたいして、深い絶望感を感じ 「どうやって生きていったらいいのかわからない」 という状態におちいってしまいます。 私が瞑想して得たこと 「どうやって生きていったらわからない」とき、人は何を頼りに生きていけばいいのでしょう? 人生が暗闇につつまれてしまったと感じたとき、何を明かりに進めばいいのでしょう? 私が瞑想している最中に出てきた答えは 「優しい心を失うな」 というものでした。 人は絶望感をおぼえたとき怒りの感情で行動してしまいます。 そして、それはさらに私たちを不幸に追いやります。 怒りの感情もまた本能です。 本能の任せるまま生きていけば人は不幸になります。 対して「優しい心」「慈しみの心」というのは理性です。 深い絶望におちいったとき、ぜったいに手放してはいけないのが、この「優しい心」「慈しみの心」です。 深い絶望にあって「どうやって生きていいかわからない」ときこそ、 「こういうとき慈しみの心で対応したらどうなるか」ということを頭において行動するようにするのです。 そうすれば理性のある生き方ができるようになります。 慈しみの心が、あなたを守ってくれます。 そしていつかその優しい心が自分を救ってくれることになります。 ギリシャ神話でパンドラの箱に最後に残ったのは【希望】でした。 ギリシャ神話の神様というのは怒ってばかりだからそういうお話になったのかもしれませんが【希望】というのはうまく生きていくうえで役に立つもんではないのです。 仏教的なパンドラの箱の中に残っているのは 「優しい慈しみの心」です。 それが、わたしが今回、瞑想して得た「知恵」です。 関連記事:.

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