家居 の つき づき しく 現代 語 訳。 2学年国語 國語科通信

徒然草家居のつきづきし10段品詞分解

家居 の つき づき しく 現代 語 訳

第十段 家居のつきづきしく、あらまほしきこそ• 家居(いえい)のつきづきしく、あらまほしきこそ、仮の宿りとは思へど、興あるものなれ。 よき人の、のどやかに住みなしたる所は、さし入りたる月の色も、一(ひと)きはしみじみと見ゆるぞかし。 今めかしくきららかならねど、木だちものふりて、わざとならぬ庭の草も心あるさまに、簀子(すのこ)・透垣(すいがい)のたよりをかしく、うちある調度も昔覚えてやすらかなるこそ、心にくしと見ゆれ。 多くの工(たくみ)の心をつくしてみがきたて、唐の、大和の、めづらしく、えならぬ調度ども並べ置き、前栽(せんざい)の草木まで心のままならず作りなせるは、見る目も苦しく、いとわびし。 さてもやは、ながらへ住むべき。 又、時のまの烟ともなりなんとぞ、うち見るより思はるる。 大方は、家居にこそ、ことざまはおしはからるれ。 後徳大寺大臣(ごとくだいじのおとど)の、寝殿に鳶(とび)ゐさせじとて縄をはられたりけるを、西行が見て、「鳶のゐたらんは、何かはくるしかるべき。 此の殿の御心(みこころ)、さばかりにこそ」とて、その後は参らざりけると聞き侍るに、綾小路宮(あやのこうじのみや)のおはします小坂殿(こさかどの)の棟に、いつぞや縄をひかれたりしかば、かのためし思ひいでられ侍りしに、誠や、「烏のむれゐて池の蛙(かえる)をとりければ、御覧じて悲しませ給ひてなん」と人の語りしこそ、さてはいみじくこそと覚えしか。 徳大寺にもいかなる故か侍りけん。 身分・知識・品格などが立派な人が、のどかに住みなしている所は、さし入る月の色も、ひときわしみじみと見えるものだ。 現代ふうにきらびやかではないけれど、木立が何となく昔めいた感じで、手を加えない自然な感じの庭の草も心ある様子で、簀子(すのこ)・透垣(すいがい)の配置も趣深く、何気なく置いてある道具類も古風に思われて心が安らぐのは、奥ゆかしいものと思われる。 多くの職人が心をつくして磨き立て、中国の、日本の珍しく、並大抵でない道具類を並べ置き、庭の植え込みまで自然のままでなく人工的に作っているのは、見た目にも苦しく、たいそうわびしい。 そんな状態のままで、いつまでも住んでいられようか。 住んでいられるわけがない。 また、火事によって焼けてしまい、烟ともなるだろうと、見るとすぐに思われる。 だいたいは、住居にこそ、人となりは推し量られるものだ。 後徳大寺左大臣が、屋敷の正殿に鳶をおらせまいとして縄をお張りになったのを、西行が見て、「鳶がいるのが、どうして不都合があろうか。 この殿の御心はこの程度か」といって、それ以後参上しなかったと聞いていましたので、 綾小路宮(あやのこうじのみや)性恵法親王がお住まいの小坂殿の棟に、いつだったか縄をお引きになっていたので、西行の例を思い出してありましたら、まあ、なんということでしょう。 「烏が群をなして池の蛙を取るので、宮さまは御覧になって悲しまれたからなのです」と人が語ったのこそ、何と素晴らしいと思ったことでした。 徳大寺のお屋敷に縄を張っていたのも、どんな理由があったのでしょうか。 自然のままの。 隙間を開けて、雨がたまらないようにしてある。 間をあけて竹や木で組んだ垣根。 「やは」は反語。 藤原実定(1139-1191)小二位左大臣。 祖父の実能が徳大寺実能とよばれるので区別して後徳大寺実定とよばれる。 歌人としても知られる。 百人一首に、が採られている。 徳大寺は北山の邸宅。 『平家物語』の登場人物でもある。 西行の佐藤家は徳大寺家に代々仕えていた。 平安末~鎌倉初期の歌人。 俗名佐藤義清(さとうのりきよ)。 出家して円位、西行、大宝坊と名乗った。 諸国を旅して歌を詠んだ。 百人一首にはが採られている。 妙法院(延暦寺別院)門跡。 綾小路に御所があった。 疑問ではない。 徳大寺殿は館衣笠山のふもとにあった。

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徒然草『家居のつきづきしく』解説・品詞分解(2)

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何字で「説明」するかにもよるのだけど。 まず君の文案を書いてみて。 それを添削してあげることはできるよ。 記述問題は、現文でも古文でも、模範解答を百万回書き写しても無駄。 自分の文案を、添削してもらうしか、書けるようになる方法はないんだよ。 話の筋を簡単にまとめようよね。 ここんちの殿さんは、その程度のヤツ(心が狭い、生き物への慈悲の心がない)か」と言って批判した」 という話だね。 後徳大寺左大臣と西行の、あの話みたい」と連想していたところ、 誰かが、「烏(カラス!!!!)が集まって池のカエルを捕るので、 「カエルがかわいそう;;」と憐れんで、宮が縄を張られたんですってよ」 と教えてくれたので、なんて情け深い方なんだろう、と感動した」 という話だね。 この「具体的な2例」を挙げて、「筆者の考察、感想」を最後に述べているよ。 典型的な「随筆」の構造だよね。 どんな「考察や感想」だったかというと、 「徳大寺にも、いかなる「故」か侍りけん。 (後徳大寺の左大臣が、寝殿に縄を張りなさったというあの一件も、 どんな「故(=訳、事情、理由、真意)」があったのでしょうか)」 これだけで、ずいぶん簡略というか、暗示的で、 はっきり意見や感想を述べていないね。 だから設問にされてるわけなんだけど。 「左大臣が縄を張ったのだって、なんか事情があったのかもしれないねえ」 と言ってるんだよ。 これは、西行のしたこと(いきなり人格否定)を、 「いい」と思って言ってるかな?「よくない」と思って言ってるかな? 二つのエピソードを比べてみてごらん。 つまり、後徳大寺左大臣も、綾小路宮も、「したこと」は「同じこと」なの。 この差異は何だろう? 何か言動があるところには、かならず、それなりの「訳、事情、理由、真意」があるはずで、そこに思いが至るか至らないか、なんだよ。 物事の根底にある「訳、事情、理由、真意」を見ずに、 表面的な言動だけを見て、その人物の人格のすべてを評価することを、 兼好は、問題視しているのよ。 上の説明を読んだうえで、「戒め」になるように、作文してごらん。 「戒め」が難しいなら、「~てはいけない。 」で終わるように、とだけ、 手助けしておくね。 「~てはいけないという戒めのため。 」 こうだね。 「~」のところを書いてみて。 字数制限があるなら、なるべくそれに合うように。 少しくらい過不足があっても、それは俺が調整してあげる。 字数制限がないなら、書きたいだけ書いていいよ。

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古典についての質問です!学校で「徒然草」 家居のつきづきしく をや...

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つれづれなるままに(序段) 【冒頭部】 つれづれなるままに、日暮らし硯にむかひて、 【現代語訳】 話し相手もないひとり住みの所在なさにまかせて、一日中机に向かって、自分の心に次から次へと映っていく、たわいもないことを、とりとめもなく、書きつけていくと、へんに気ちがいじみた気持ちになることだ。 【語句】 つれづれなる・・・所在ない。 することがなくて退屈である。 日暮らし・・・一日中。 終日、「日ねもす」と同じ。 硯にむかひて・・・机に向かって。 心にうつりゆく・・・次から次へと心に映っていく。 よしなしごと・・・とりとめのないこと。 つまらないこと。 「よし」は「由」で、理由。 そこはかとなく・・・とりとめもなく。 はっきりした理由がなく。 あやしうこそ・・・妙にまあ。 不思議にまあ。 ものぐるほしけれ・・・気違いじみて見える。 なんとなく気がへんになりそうだ。 いでや、この世に生まれては(第1段) 【冒頭部】 いでや、この世に生まれては、願はしかるべき事こそ 【現代語訳】 さてまあ、(人間として)この世に生まれたからには、(こうあってほしいと)願うべきことが多くあるようだ。 (まず家柄については)、天皇の御位は(口にするのも)まことにおそれ多いことである。 皇族のご子孫まで人間界の血統でないのはきわめて貴いことである。 (次に)摂政・関白のごようすはいまさらいうまでもないことで、摂・関以外の貴族も、(朝廷から護衛として)近衛府の官人などをいただく身分の者はすばらしいと思われる。 以上の家の子や孫の代までは、身分が低くなってしまっていても、やはり気品がある。 それより低い身分の者は、その身分・家柄に応じて、運よく出世して、得意顔であるのも、自分では大したものだと思っているようであるが、(はたから見ると)まったくなさけないものである。 僧侶ぐらいうらやましくないものはあるまい。 「世間の人には木の切れはしのようにねうちのないものに思われるよ」と清少納言が(枕草子に)書いているのも、ほんとうにもっともなことであるよ。 いきおいがさかんで世間に評判が高くなっているのにつけても、(それがべつだんに)えらいとは見えない。 増賀上人がいったとかいうように、名利にあくせくしているように見えて、(俗念を棄てよという)仏のお教えにそむくであろうと思われる。 (これに対して)一途に世を捨てた人は、かえって望ましい点もあるにちがいない。 (家柄についでは)、人は容貌・容姿のすぐれているようなのが実にのぞましいことであろう。 ちょっとものをいっている、その話しぶりも、聞きぐるしくなく、かわいげがあって、ことばかずの多くない人は、いつまでも向かいあっていたい。 (しかしその)、ああ、りっぱだと思っていた人が、(なにかのはずみに)思ったよりも劣った感じをさせられる本性を(人に)見られるようなのは、残念であるのにちがいない。 身分・容貌というものは生まれつきのもので(どうにもならないもので)あろうが、心はどうして、賢い上にもさらに賢いところへも、移そうと思えば移らないことがあろうか、移るものである。 容貌や気立てのよい人も、学問がなくなってしまうということになると、家柄の低く、顔のみにくいような人の中にも立ちまじって、わけもなく圧倒されるのは、実に不本意なことである。 (人間にとって)身につけておきたいことは、本格的な学問の道、漢詩を作ること、和歌や音楽の道、または有職の知識や朝廷の儀式・行事の方面で、人の手本となるようなことは、実にすばらしいことであろう。 筆跡などもへたでなく、すらすらとみごとに書き、(酒の席では)美声で、歌の音頭をとり、(酒をすすめられると)こまったようにはするものの、酒ぎらいでないというのが、男としてはよいものである。 【語句】 かしこし・・・「畏し」で、恐ろしい。 おそれ多い。 「賢し」で、すぐれている。 ここは前者の意。 やんごとなき・・・高貴である。 更なり・・・いまさらいうまでもなく。 なまめかし・・・上品だ。 優雅だ。 時にあひ・・・よい時勢にめぐりあって。 したり顔・・・得意顔。 ののしりたる・・・世間で評判が高くなっている。 愛敬・・・かわいらしさ。 見えんこそ・・・人に見られるようなのは。 心ざま・・・性質。 気だて。 本意なきわざ・・・残念なこと。 あだし野の露きゆる時なく(第7段) 【冒頭部】 あだし野の露きゆる時なく、鳥部山の煙立ちさらでのみ 【現代語訳】 あだし野の露が消える時がなく、鳥部山の煙が立ち去ることがない(ように人が死なないで永久にこの世に)住みとおせるならわしであるとしたならば、どんなにか、ものの情趣もないことであろう。 この世は無常であるというのが、すばらしいことなのである。 生命のあるものをみると、人ほど長命のものはない。 かげろうが(その生まれた日の)夕方を待たずに死に、夏のせみが(夏の終わりには死んで)春や秋を知らないような(命の短い)ものもあるのである。 じっくりと落ちついて一年をくらす間でさえも、格別ゆったりとした感じのするものなのである。 (それなのに)いつまでももの足りず(命を)惜しいと思ったならば、かりに千年も過ごしたとしても、たった一夜の夢のようなはかない心地がするであろう。 いつまでも住みおおせることのないこの世に、(老い衰えた)みにくい姿を迎え得たところで、なんになろうか、なんにもなりはしない。 「長生きをすれば、はずかしい思いをすることが多い」(と古人もいっている。 )長くても、四十歳に満たないうちに死ぬようなのが、実に無難であろう。 その年ごろを過ぎてしまうと、自分の容貌をはじる気持ちもなくなり、(おくめんもなく)人の中に出てつきあいをしようということを思い、夕日の傾きかけたような老年に及んで、子や孫を愛し、その子孫が栄えていく将来を見とどけるまでの命を期待し、ただもうむやみに世間の名利をほしがる欲心だけが深くなって、ものの情趣もわからなくなっていくのは、なんとも嘆かわしいことである。 【語句】 ならひ・・・ならわし。 いかに・・・どんなにか。 もののあはれ・・・ものの情趣。 いみじけれ・・・すばらしいのである。 人ばかり・・・人ほど。 飽かず・・・いつまでももの足りず。 待ちえて・・・迎えとって。 何かはせん・・・なんになろうか。 なんにもなりはしない。 家居のつきづきしく(第10段)~家居のつきづきしく~ 【冒頭部】 家居のつきづきしく、あらまほしきこそ、 【現代語訳】 すまいがしっくりと調和がとれていて、好ましいのは、(この世における)一時の宿とは思っても、やはり興味のあるものである。 身分が高く教養のある人が、ゆったりと静かに住みついている所は、さしこんでいる月の光も、一段と深く心にしみて感じられるものである。 現代風でなく、けばけばしくはないが、樹木がなんとなく古い色をおびて、特に人工を加えたというのではない庭の草も、風情のあるようすで、簀子や透垣の配置が趣深く、ちょっと置いてある道具類も、古風な感じがして、安定しているのは、実に奥ゆかしく感じられる。 (これに反して)多くの大工が心を打ち込んで、(りっぱに)造りたて、日本製の、あるいは中国製の、珍しく、いいようすもなくすぐれた道具類を並べて置き、庭の植えこみの草木まで、(伸びようとする草木の自然の)心のままにまかせず、(不自然に手を加えて)作ってあるのは、見た目も気づまりで、ひどくいやなものに感じられる。 そんなに、ごてごてとかざりたてたところでまあ、いつまでも住みとおされようか、住みとおせはしない。 (火事にでもあえば)これもまた、一瞬の間の煙となって(焼けて)しまうであろうと、ちょっと見るとすぐさま感じられる。 だいたいは、すまいによって、(その主人の)心のほどは推測できる。 【語句】 家居・・・住居。 すまい。 つきづきしく・・・似つかわしい。 調和がとれている。 あらまほしきこそ・・・好ましいのは。 仮の宿り・・・一時の宿。 よき人・・・身分が高くて教養のある人。 住みなしたる所・・・住みついている所。 しみじみ・・・深く心にしみて、しんみりと。 今めかしく、きららかならねど・・・現代風でなく、けばけばしくはないが。 ものふりて・・・なんとなく古びて。 ここは樹木が年を経て、古めかしい趣のあること。 わざとならぬ・・・特に人工を加えたというのではない。 「わざと」は故意にする意。 心あるさまに・・・趣のあるようすで。 「心」はここは趣。 簀子・・・板と板との間を少しすかして作った縁側。 透垣・・・板や竹で間を少しすかして作ったかきね。 たより・・・配置。 をかしく・・・趣深いようすで。 うちある態度・・・ちょっと置いてある道具類。 昔覚えて・・・昔のことが思われて。 古風な感じがして。 心にくし・・・なんとなく心ひかれる。 奥ゆかしい。 上品だ。 工・・・大工。 えならぬ・・・なみひととおりでない。 前栽・・・庭の植えこみ。 庭の草木。 草を植えた庭。 心・・・(伸びようとする草木の)心。 作りなせるは・・・作ってあるのは。 わびし・・・やりきれない感じを示す語。 さてもはや・・・そんなにしてもまあ。 時の間・・・一瞬の間。 家居のつきづきしく(第10段)~後徳大寺大臣の~ 【冒頭部】 後徳大寺大臣の、寝殿に、鳶ゐさせじとて縄をはられたりけるを、 【現代語訳】 後徳大寺の左大臣が神殿(の屋根)に、とびをとまらせまいと思って縄をお張りになったのを西行が見て、「とびがいたからといって何が苦になろう。 苦になりはしない。 後徳大寺殿のお心は、この程度の(つまらぬ)ものでおありになったのだ」といって、その後は参上しなかったと聞いていますが、綾小路宮がお住いになっていらっしゃる小坂殿の棟に、いつであったか縄をお引きになっていたことがあったので、あの後徳大寺の例がふと思い出されましたが、ほんとにまあ、「からすが(屋根に)群がっていて、池のかえるをとったので、それをごらんになって、かわいそうに思し召されて、(そうされたのです)」と人が語ったのには、そういうことなら、(宮様のお心は)たいそうごりっぱであったのだと感じた。 後徳大寺殿の場合にもなにか理由がありましたのでしょうか。 【語句】 後徳大寺大臣・・・左大臣藤原実定。 寝殿・・・貴族の住居、寝殿造りの正殿。 鳶ゐさせじとて・・・とびをとまらせまいと思って。 西行・・・平安末期の歌僧。 本名佐藤義清。 「山家集」の著者。 さばかりにこそ・・・この程度の(つまらぬもので)おありになったのだ。 参らざりけると聞き侍るに・・・参上しなかったと聞いていますが。 綾小路宮・・・性恵法親王。 亀山天皇皇子。 さては・・・それなら。 いみじくこそと・・・実にりっぱなことだと。 神無月のころ(第11段) 【冒頭部】 神無月のころ、栗栖野と言ふ所を過ぎて、 【現代語訳】 陰暦十月のころ、栗栖野という所を通って、ある山里に(人を)たずねて入ってことがありましたが、(その時に)遠くまでずっと続いたこけのはえている小道を踏みわけて(行くと、その奥に、小道を踏みわけて)、心細く住みついている庵がある。 木の葉にうずもれているかけ樋からしたたりおちる水以外には音をたててたずねるものもまったくない。 閼伽棚に菊やもみじなどを折りとってむぞうさに置いてあるのは、それでもやはろ住む人があるからなのであろう。 こんなふうにしてでもすんでおられるものだなあと、しみじみと感じ入って見ているうちに(ふと見ると)、あちらの庭に大きな蜜柑の木で、枝もたわむほどに実のなった木が、まわりを厳重にかこってあったのは、いささか興ざめて、もしもこの木がなかったとしたら(どんなによかったろうに)と思われたことであった。 【語句】 神無月・・・「かんなづき」とも読む。 栗栖野・・・京都市東山区山科の地名。 たづね入る事侍りしに・・・人をたずねて入ったことがありましたが。 遥かなる・・・遠くまで長く続いた。 苔の細道をふみわけて・・・こけのはえている細い道をふみわけて。 住みなしたる・・・住みついている。 「住みなす」は、居つく。 住みつく。 かけ樋・・・竹や木を地上にかけわたして水を引くとい。 地中に埋めたといを「埋み樋」という。 雫ならでは・・・しずくでなくては。 つゆおとなふものなし・・・全然音をたてるものもなく、おとずれるものもない。 ここは両方の意をかけていったもの。 閼伽棚・・・仏に供える花や水を置く棚。 「閼伽」は梵語で仏に奉る水。 折りちらしたる・・・折りとって無造作に置いてある。 さすがに・・・それでもやはり。 かくてもあられけるよ・・・こんなにしても住んでおられるものだなあ。 あはれに・・・しみじみと感じ入って。 柑子の木の、枝もたわわになりたるが・・・蜜柑の木で枝のたわむほどに実のなった木が。 「柑子」は蜜柑。 ことさめて・・・輿さめて。 この木なからましかばと・・・もしもこの木がなかったとしたら(どんなによかったろうに)と。 覚えしか・・・思われたことであった。 同じ心ならん人と(第12段) 【冒頭部】 同じ心ならん人と、しめやかに物語して、をかしき事も 【現代語訳】 気持ちのしっくりと合った人と、しんみりと話をして、興趣のある風雅の方面のことでも、とりとめもなく世間話でも、心のへだてなく話しあって、心を慰めるようなことは、実にうれしいことであるはずなのに、そういう気の合った人は(実際には)あるまいから、(気持ちのしっくりしない人に)すこしも(相手の気心に)さからうまいと、対座しているようなのは、(相手はいても)たったひとりぼっちでいるような気持ちがするであろう。 お互いに話しあうようなことは、「なるほどそのとおりだ」と聞く価値はあるものの、多少考えの違うところのあるような人が、「私はそう思おうか、思いはしない」などと反論し合い、「それだから、そう思うのだ」とも語りあったならば、(さだめし)さびしい気持ちも慰められるであろうと思うが、実際には、少し不平をいう方面でも、自分と同じ気持ちでない人は、世間一般のあたりさわりのない話を言っているうちはまあよかろうが、真実の友だちとはずっと距離があるにちがいないのは、実にいたしかたのないことであるよ。 【語句】 しめやかに・・・しんみりと。 をかしき事・・・興趣のあること。 うらなく・・・心のへだてなく。 げに・・・なるほどそのとおりだ。 かこつかた・・・不平をいう方面。 まめやか・・・忠実である。 真実である。 人は己をつづまやかにし(第18段) 【冒頭部】 人は己をつづまやかにし、奢りを退けて、 【現代語訳】 人は自分の身を質素にし、ぜいたくをしりぞけて、財宝を持たず、世俗的な欲望をしいて持たないのがすばらしいことである。 昔から賢人が富んでいたことはめったにない。 中国に許由という人がいたが、その人は、身につけてたくわえておくというものはまったくなくて、水すらも手ですくいあげて飲んでいたのを見て、ひょうたんというものを、ある人が与えたので、ある時、キの枝にかけておいた(そのひょうたん)が、風に吹かれて鳴ったので、うるさいといって捨ててしまった。 また(もとのように)手ですくいあげて水も飲んだ。 どんなに心のうちはせいせいしたことであろう。 孫晨は冬の季節に夜具がなくて、わらが一たばあったのを、夜はこの中に寝、朝になると(これを)しまった。 中国の人は、これらの人の行状をすばらしいと思ったからこそ本に書きとめて後世へも伝えたのであろうが、日本の人は(もしそんな人があったとしてもそのすばらしさがわからないから)語り伝えるはずがない。 【語句】 つづまやかにし・・・質素にして。 奢り・・・ぜいたく。 世をむさぼらざらんぞ・・・世俗的な欲望をしいて求めないのが。 「世」はここは世俗的。 「むさぼる」はあくまでほしがるの意。 唐土に許由と言ひつる人は・・・中国に許由という人がいたが、その人は。 水をも手して捧げて・・・水すらも手ですくいあげて。 なりひさこ・・・「ひさこ」は「ひさご」でひょうたん。 かけたりけるが・・・かけておいた(そのひょうたん)が。 鳴りけるを・・・鳴ったので。 かしかまし・・・「かしがまし」と同じ。 うるさい。 やかましい。 むすびて・・・両手で水をすくって。 いかばかり心のうち涼しかりけん・・・どんなにか心のうちはせいせいしたことであろう。 「涼し」は心のうちがさっぱりする意。 孫晨・・・中国の人。 冬の月・・・冬の時期。 「月は」時期。 衾・・・掛けぶとん。 をさめけり・・・しまった。 世にも伝へけめ・・・後世へも伝えたのであろうが。 折節の移りかはるこそ(第19段)~折節の移りかはるこそ~ 【冒頭部】 折節の移りかはるこそ、ものごとにあはれなれ。 【現代語訳】 四季それぞれの季節の移り変わるのは、すべてのものについて情趣深いものである。 「しみじみとした情趣は秋がいちばんまさっている。 」とだれもが言うようであるが、(秋よりも)もういっそう心も浮きたつものは、春の情趣であるようだ。 鳥の声なども格段と春らしくて、のどかな日光のもとで垣根の草が一面に立ち、桜の花もだんだん咲き出そうとするころであるのに、ちょうどそういうおりもおり、あいにく雨や風がつづいて、気ぜわしく散りすぎてしまう。 (こうして)青葉になって行くまで、なににつけても、気ばかりもませることだ。 花の咲いた橘は(昔の人のことを思いおこさせる花として)有名であるが、なんといってもやはり、(私には)梅の香りによって、昔のことも、当時にかえって、自然なつかしく思い出される。 山吹の清らかなさま、藤の花がほおっと長くたれさがったさまなど、すべて、思い捨てにくいものが多い。 「四月八日の灌仏会のころ、賀茂神社の祭りのころ、若葉の梢が涼しげに茂っていくころは、世のしみじみとした情趣も、人の恋しさもいっそうまさるものだ」と、ある人がおっしゃったのは、ほんとうにそのとおりである。 五月(になって)、(軒々に)しょうぶをさす端午の節句のころ、苗代から苗をとって田に植えるころ、水鶏の(戸をたたくような声で鳴くころ)など、心細い気持ちがしないだろうか、どれもこれも心細い気持ちがする。 六月のころ、みすぼらしい家に、夕顔(の花)が白く見えて、蚊遣火がくすぶっているのもしみじみと情趣深い。 六月祓もまたおもしろいものである。 【語句】 折節・・・四季それぞれの季節。 もののあはれ・・・しみじみとした情趣 さるものにて・・・なるほどもっともなことであるが。 「さるもの」は「そのとおりであること」。 やや・・・だんだん。 しだいに。 やうやう・・・しだいに。 けしきだつほどこそあれ・・・咲き出そうとする時分であるが。 「けしきだつ」はそれらしいようすが見える。 折しも・・・おりもおり。 ちょうどそういうおりに(あいにく) 花橘は名にこそおへれ・・・(昔の人のことを思いおこさせる花として)有名であるが。 「花橘」は花の咲いている橘。 「名におふ」は「有名である」 なほ・・・やはり。 依然として。 おぼつかなきさま・・・ぼおっと長くたれさがっているようす。 「おぼつかなし」ははっきりしないさま。 たよりない。 あやめふくころ・・・菖蒲を軒にさすころ。 早苗とる・・・稲の苗を苗代からとって田へ植える。 あやしき家・・・いやしい身分の者の住む家。 ふすぶる・・・くすぶる。 いぶる。 をかし・・・趣がある。 折節の移りかはるこそ(第19段)~七夕まつるこそ~ 【冒頭部】 七夕まつるこそなまめかしけれ。 【現代語訳】 (秋になって)七夕祭をするのは優雅なものである。 次第に夜は肌寒くなるころ、雁の鳴いて来るころ、萩の下葉から色づいてくるころ、早稲の田を刈り取って、それを乾かすころなど、なにやかや情趣深いことの重なっていることは、秋がいちばん多いことである。 また、台風の吹いた翌朝は実に興味が深い。 こう言いつづけてくると、みな「源氏物語」や「枕草子」などにいいふるされていることであるが、同じことを、また、こと新しく言うまいというわけでもない。 心に思っていることをいわないのは、腹がへる(ような気がする)ことであるから、筆にまかせて、つまらぬ慰み書きをしたもので、書くそばから破り捨ててしまうべきものであるから、人の見るべきものではない(からかまわない)。 【語句】 なまめかしけれ・・・優雅である。 夜寒・・・昼は暖かく、夜になるとひえびえするころ。 早稲田・・・稲の実の早く熟する田。 とりあつめたる事・・・なにやかや情趣深いことが重なっていること。 野分の朝・・・台風の吹いた翌朝。 ことふりにたれど・・・いいふるされているが。 「ことふる」は「ふるくさくなる」。 あぢきなきすさび・・・つまらない慰み。 折節の移りかはるこそ(第19段)~さて冬枯のけしきこそ~ 【冒頭部】 さて冬枯のけしきこそ秋にはをさをさおとるまじけれ。 【現代語訳】 さて、冬枯れの景趣は、秋にほとんど劣りはしないであろう。 池の水ぎわの草に、紅葉が散りとどまって、(その上に)霜が大そう白くおりた朝、遣り水から(水蒸気が)煙のようにたっているのはおもしろい。 年もすっかりおしつまって、だれもがみないそがしがっているころは、この上なく情趣深い。 殺風景なものとしてながめる人もない(十二月の)月が、寒々と澄んでいる二十日すぎの空は、実に心細いものである。 御仏名や荷前の使いが出発するのなどは情趣深く貴いことである。 (宮中では)諸儀式が多く、(年末の行事を)新春の準備と重ねて行いなさるようすは、すばらしいことであるよ。 大みそかの追儺から(すぐに)新年の四方拝につづくのがおもしろい。 大みそかの夜、大そう暗い中に、たいまつなどをともして、夜中すぎまで、人の家の門をたたいて走りまわって、何ごとであろうか、大げさにわめきたてて、足も地につかぬように急ぎかけまわっているのが、明けがたからは、なんといってもやはり、音もなく静かになってしまうのは、ゆく年の心残りが感じられて心細い。 (この大みそかの夜を)死んだ人の霊がやってくる夜だといって行う魂まつりの仏事は、このごろは京都にはないのに、関東のほうでは、依然として(昔どおりに)やっていることであったのは、しみじみと感興深かった。 このようにして夜があけていく(元日の)空のようすは、昨日に変わったとは思えないが、うって変わって珍しい心地がする。 大通りのようすは、(家ごとに)門松を立てつらねて、陽気でよろこばしそうなのは、また感慨が深い。 【語句】 遣り水・・・庭に引き入れた細い流れ。 すさまじきもの・・・興ざめたもの。 殺風景なもの。 やんごとなき・・・高貴である。 公事・・・朝廷の儀式・行事。 春のいそぎ・・・「いそぎ」は準備。 足を空にまどふが・・・足も地につかぬように、急ぎかけまわっているのが。 さすがに・・・なんといってもやはり。 ひきかへ・・・うって変わって。

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