金田 城跡。 2020年 金田城跡へ行く前に!見どころをチェック

金田城|日本全国の城をめぐる|つちやうみまる

金田 城跡

防人が守った古代山城・金田城(城山) 城山(じょうやま)は、対馬の中央に広がる浅茅湾に突き出した岩塊です。 今からおよそ1350年前、白村江の戦いに敗れた大和朝廷は、大陸からの侵攻に備えて対馬に古代山城・金田城(かなたのき)を築きました。 城山は日露戦争時にも要塞化され、古代と近代の「国防の最前線・対馬」を体感できるトレッキングコースです。 標高276m、山頂までの往復コースの場合、コースタイム(休憩除く)は往路は50分、復路は40分。 金田城跡は国指定特別史跡。 古代山城・金田城(城山)関連パンフレット 「対馬トレッキングガイドブック」をダウンロードできます。 登山口 登山口は対馬市美津島町箕形(みかた。 住所表記は黒瀬だが、実際は箕形から行く)にあり、対馬空港から車で15分、厳原港から30分。 ルートの詳細は下記YAMAPのページをご覧ください。 ルート図、写真が掲載されています。 駐車の際には、他の車に配慮をお願いします。 トイレ 登山口周辺にはトイレがないため、美津島町鶏知(みつしままちけち)の商業施設などでトイレを済ませましょう。 (1)県道24号線交差点 国道382号線(厳原港~対馬空港~比田勝港)から県道24号線(城山ルート)へ入る交差点。 目印は、十八銀行美津島出張所(正面)の建物。 (2)城山と竹敷の分岐点 県道24号線を道なりに進み、この分岐点を直進すると城山方面、右に進むと竹敷。 (3)洲藻バス停前 右側に直進すると城山方面、左に進むと白嶽。 城山周辺にはトイレがないので、左に5分ほど進んだところにある白嶽登山者用トイレを利用し、戻ってくるのも一案。 城山の岩塊 古代山城・金田城は、三方を海に囲まれた巨大な岩山である城山の地形を利用して築かれています。 (4)城山入口(県道24号線) 城山の岩塊を見上げながら進むと、城山入口・金田城跡の看板が見えてきます。 ここから先は道が狭く、マイクロバス以下の車両のみ通行できます。 箕形地区から見た城山全景 上記の城山入口から登山口に進まず、県道24号線を3分ほど走ると、箕形地区の海沿いの道路から城山全景を眺めることができます。 登山前あるいは登山後におすすめ。 城山登山口への道 県道24号線城山入口から登山口までは、舗装・未舗装の狭い道を1. 8kmほど走ります。 幅員がないため、安全運転をお願いします。 (5)金田城跡(城山)登山口 林道を進むと、車が数台駐車できる登山口へ到着します。 城山にはトイレがないので、要注意。 登山道の様子 城山には明治期に城山砲台が築造されたため、山頂近くの砲台跡まで馬車道(旧軍道)が整備され、格好のトレッキングルートになっています。 (6)黒瀬湾を望む 登山道が断崖上を横切り、黒瀬湾を眺望できます。 (7)東南角石塁 金田城跡は、石塁(せきるい。 石積み)と天然の断崖によって守られた7世紀の古代山城です。 ここから山頂方面と三ノ城戸方面に分岐します。 案内標識に従い、直進すると山頂方面、右に降りていくと三ノ城戸です。 南門 上記分岐点の左側に南門があります。 カギカズラ こちらは城山に多い植物のひとつ、カギカズラ。 他の植物にカギをひっかけています。 ヤマボウシ 6月ごろ、城山登山道ではたくさんのヤマボウシ(ハナミズキの仲間)を見ることができます。 (8)あずまや(東屋) 山頂方面と防人住居跡(ビングシ山)への分岐点。 案内板と東屋があります。 ここでひとやすみ。 (9)南西部石塁 うっそうとした森の中に、小さな万里の長城のような状態で古代の石塁が残されています。 国指定特別史跡の石碑 山頂近くの砲台跡に、「国指定特別史跡 金田城跡」と刻まれた立派な石碑があります。 (10)城山砲台跡 日露戦争時、金田城は再度要塞化され、砲台や軍の施設が整備されました。 国境の島は、古代も近代も、常に外国との緊張にさらされています。 (11)城山山頂 旧軍施設から5分ほど小道を登ると、山頂にたどり着きます。 防人も見たであろう水平線が、今も眼前に広がっています。 北白川宮能久親王の記念碑 山頂には、明治期の北白川宮能久(きたしらかわのみやよしひさ)親王お手植えの金竹が茂っています。 オプションルート 「城戸・大吉戸神社をめぐる」 時間と体力に余裕があれば、いったん山頂から東屋まで戻り、そこから大吉戸神社を目指してみましょう。 一ノ城戸・二ノ城戸・三ノ城戸などの遺構を観察することができます。 山頂から直接一ノ城戸へ下りることもできますが、道が悪く、標高276mから海沿いまで一気に下降することになるため、膝への負担が大きくなります。 (12)防人住居跡(ビングシ山) 二ノ城戸と三ノ城戸の中間地点に、ビングシ山があり、防人の住居跡が発見されています。 (13)二ノ城戸 二ノ城戸は、一ノ城戸(大吉戸神社)と三ノ城戸への分岐点ですが、三ノ城戸へ海沿いの道は岩盤が露出して道がわかりにくいため迷いやすいところです。 海辺へ降りて一ノ城戸・大吉戸神社などを見た後、ここから防人住居跡に戻り、三ノ城戸へ向かいましょう。 ダンギク 対馬の秋を象徴する花ダンギク。 全国的には非常に珍しいのですが、対馬では9月ころ全島で見られ、特に一ノ城戸周辺に群生しています。 一ノ城戸近くの石塁の下部には水門が設けられています。 大雨の際に決壊しないよう、水圧をうまく逃がすしくみが今も生きています。 古代の建築技術のレベルの高さを感じます。 (14)一ノ城戸 金田城の一ノ城戸が出現。 下半分は7世紀に築かれた石垣で、自然石を積んだ野面積みの手法。 上半分は後世に修復したようで、切石を積んだ状態になっているのがよくわかります。 (15)大吉戸(おおきど)神社 一ノ城戸から海岸へ向かうとまもなく大吉戸神社が見えてきます。 八幡神を祭り、城山の守護としたもの。 別名、中津八幡宮。 国防の象徴である大吉戸神社は、歴代対馬藩主・宗家の尊崇も厚く、宗家が納めた神輿が安置されています。 金田城碑 金田城の比定地は厳原町西部にもあり、江戸時代から論争がありました。 この石碑は、戦前の対馬要塞司令官が「古代の金田城はこの地であり、ここが対馬要塞の起源だ」と刻んだもの。 国の特別史跡に指定されたのは昭和57年ですが、そのはるか前にこのような石碑が建立されていたことに驚かされます。 ウラジロ 城山ではあちこちにウラジロ(シダの仲間)が自生しています。 普通種で、花も咲かせませんが、新緑の季節には美しい若葉を見せてくれます。 (16)三ノ城戸 城壁の内部に入るためには、数ヶ所の城戸(城門)を通る必要があり、一・二・三ノ城戸および南門の4つが確認されています。 帰路 三ノ城戸から急傾斜を登ると、(7)東南角石塁が見えた登山道に戻ります。 登山口までは、旧軍道をゆっくり下っていきます。

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城山(金田城跡)

金田 城跡

愛知から新幹線で博多に出て、福岡空港から対馬空港という行程。 空港からはレンタカーで城山登山口。 ここまでおおよそ7時間を費やす。 登山口「防人が築いた大要塞 城山(金田城跡)トレッキングコース往復約5. さらに5分程歩くと金田城の東南角石塁に到着し金田城一番の絶景が現れます。 さらに35分程登ると砲台跡が現れ、さらに急坂を登ると城山山頂到着。 登山口からおおよそ1時間の行程です。 ただこの日は強風が吹き荒れ、山頂は立て看板つかまっていないと飛ばされそうでした。 それでも景色は絶景で登ってきた甲斐がありました。 帰路は途中から道を変え二ノ城戸、一ノ城戸、三ノ城戸と回り登山口に戻りました。 全行程2時間半のトレッキングでした。 空港から登山口へはレンタカーが欠かせません(道幅が狭いので軽自動車が良いでしょう)。 登山口には3台ほどのスペース有り。 杖とパンフレットが用意されてますが、トレッキングの準備は必要です。 途中、東屋があり休憩できますがトイレはありません。 滞在時間•

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金田城跡(かねだじょうあと)とは

金田 城跡

概要 [ ] から頃に、対朝鮮・中国の情勢に応じて西日本各地の山に築造された防衛施設の総称である。 従来、文献に見える山城は「 朝鮮式山城(ちょうせんしきやまじろ(さんじょう)、天智紀山城)」、見えない山城は「 (こうごいしけいやまじろ(さんじょう)、神籠石式山城)」と呼び分けられてきたが、近年の発掘調査により両者の違いが必ずしも明確でなくなりつつあり、これらをして「古代山城」と総称される傾向にある。 文献に見える城は12ヶ所(狭義の朝鮮式山城11ヶ所と中国式山城1ヶ所)、見えない城は16ヶ所(いずれも神籠石系山城)があり、合計28ヶ所を数える。 これらは基本的に山1つを防御施設としたもので、山の頂上付近を土塁・石塁で区画しており、大規模なものでは区画の外郭線が数キロメートルに及ぶ。 これらの山城は古代に役目を終え、一部の城跡では中世に山城や寺社などが設置され現在に至っている。 分類 [ ] 狭義の朝鮮式山城 [ ] (福岡県ほか) 「」の名称は、初めて発見されたの遺跡の呼称に由来する。 その後各地で高良山に似た列石や石塁の遺構が見つかり、これらを巡り霊域説・山城説に分かれて議論(神籠石論争)が展開されたが、現在では山城跡が定説となっている。 百済の技術を基にした山城と見られる点では、この神籠石系山城も「広義の朝鮮式山城」の範疇に入る。 現在見つかっているものは16ヶ所。 遺構の特徴としては、切石を並べた列石を土塁の土留め石とする点や、列石区画の内側には特に建物跡が見られないという点が挙げられる。 これらの山城では年代を示す遺物の出土が少ないため、その存続年代が明らかでない。 上記の朝鮮式山城と同様の後半頃と推測する説などがあるが定かではなく、朝鮮式山城・神籠石系山城の年代の前後関係が注目されている (詳細は「」を参照)。 2)「記事」欄は、城について記述する史書の記事年次を記載。 3)「史跡指定」欄は、城跡の史跡指定名称・指定種別・指定年を記載。 4)「文化庁」欄は、文化庁のへのリンクを記載。 148-170. 「怡土城跡」『日本歴史地名大系 41 福岡県の地名』 平凡社、2004年。 鏡山猛 「怡土城」『国史大辞典』 吉川弘文館。 「怡土城」『日本大百科全書(ニッポニカ)』 小学館。 , p. 211. , p. 『新編日本古典文学全集 4 日本書紀 3 』小学館、2003年(ジャパンナレッジ版)、pp. 284-285。 参考文献 [ ]• 事典類• 斎藤忠「神籠石」『』。 亀田修一「朝鮮式山城」『日本古代史大辞典』、2006年。 その他文献• 磯村幸男「西日本の古代山城」『史跡で読む日本の歴史 3 古代国家の形成』編、、2010年。 福岡県立図書館郷土資料課、2011年(リンクは福岡県立図書館)。 『日本古代都城制と城柵の研究』、2015年。 向井一雄『よみがえる古代山城 国際戦争と防衛ライン(歴史文化ライブラリー440)』、2017年。 関連項目 [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 ( )• ( ).

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